2013年12月31日

今年の10大ニュース

釜山日報が選んだ2013年の10大ニュース<国内編>

1. 国家情報院の大統領選介入疑惑=国家情報院の選挙介入疑惑により政局が混乱した。捜査方向をめぐって検察首脳部が正面衝突するという史上初の抗命事態に、セルフ監察まで登場した。国家情報院の新改革案をめぐり与野が熾烈な攻防を繰り広げている。

2. パク・クネ、第18代大統領就任=パク・クネ大統領が憲政史上初の女性大統領として、第18代大統領に就任した。「国民幸福時代」 と 「4大社会悪の根絶」 を掲げて出馬したが、人事の相次ぐ 「落馬」 や、大統領選での各種公約の後退が指摘され反発が大きくなっている。

3. 統合進歩党イ・ソッキ議員 「内乱陰謀嫌疑」 拘束=統合進歩党のイ・ソッキ議員が内乱陰謀・扇動の嫌疑で今年9月、電撃的に収監された。現役議員が内乱陰謀の嫌疑などで拘束されるのは、65年の憲政史上初めてのこと。

4. 南北首脳会談会議録の廃棄・流出疑惑=2007年の南北首脳会談の会議録が失踪した。史草(国の公式記録)廃棄疑惑を捜査した検察は、NLL発言の対話録原文が国家記録院の大統領記録館にないと発表した。

5. 北朝鮮ナンバーツー、チョン・ソンテク粛清=北朝鮮権力のナンバーツー、チョン・ソンテク国防委員会副委員長が粛清された。「国家転覆陰謀行為」 の嫌疑で特別軍事裁判後、即刻、死刑執行された。北朝鮮は 「キム・ジョンウン唯一体制」 強化に本格的に突入した。

6. 水産物の放射能恐怖=福島原発の放射能汚染水流出に対する国民の不安感により、国内の水産物消費市場が著しく萎縮した。“国民の魚” タチウオやサバを含む今年9月の消費は前年比20%以上減少した。

7. 米プロ野球韓国人選手リュ・ヒョンジン、チュ・シンス旋風=韓国人メジャーリーガー、リュ・ヒョンジンとチュ・シンス選手は今年、米プロ野球の歴史の1ページを飾った。一方、チュ・シンスはテキサスレンジャーズと7年間1億3千万ドルという歴代のアジアの選手の中で最高の条件で契約した。

8. 青瓦台(大統領府)代弁人ユン・チャンジュンセクハラスキャンダル=「grab」 と 「touch」、今年1年、世間を騒がせた単語だ。ユン・チャンジュン大統領府代弁人が今年5月の韓米首脳会談中、在米韓国人女性インターンにセクハラした事件だ。国家の格をおとしめた国家的な恥辱だった。

9. チェ・ドンオク婚外子疑惑=チェ・ドンオク検察総長が国家情報院の大統領選介入の捜査中、婚外子疑惑により辞退した。最近、大統領府の行政官がチェ元総長に関する個人情報の不法閲覧に関係していたと明らかになり、波紋が広がっている。

10. 大企業 「甲」 の横暴=今年5月、南陽(ナミャン)乳業本社職員が代理店の店主に対し、暴言を吐いたり過度な量の商品を押し付ける内容が録音されたファイルが公開された。大企業の横暴を世間に知らしめるきっかけになった。

* * * * *


釜山日報が選んだ2013年の10大ニュース<国際編>

1. 人権と和合の象徴、ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領他界

2. 米元CIA職員エドワード・スノーデン、NSA(米国国家安保局)の無差別情報収集活動を暴露

3. 史上初、南米出身のフランシスコ(ローマ教皇)選出

4. フィリピン超大型台風 「ハイエン」 直撃、約7,400人死亡・行方不明

5. 中国 「防空識別区域」 設定、東北アジア緊張構造

6. 米・ボストンマラソンテロで約100人死傷

7. 「秘密保護法」 通過、「集団的自衛権」 行使推進・・・安倍、極右へ疾走

8. 日本 「アベノミクス」 で無制限に紙幣印刷・・・円の劣勢加速化

9. イラン、欧米6カ国と核協議妥結

10. 危機の新聞産業、米ワシントンポスト売却

以上、12月24日付 『釜山日報』 より



写真=AP連合ニュース(▲)  

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2012年09月13日

思うこと

この夏は約1ヶ月間、日本に一時帰国していた。8月10日のイ・ミョンバク大統領の竹島上陸、同15日の天皇訪韓に関する発言、さらに同13~15日の韓国人俳優ソン・イルグッや歌手キム・ジャンフンらによる竹島までのリレー遠泳、これらは一時帰国中の日本で耳にした。

竹島までのリレー遠泳は、そういう予定だと前々から韓国メディアが報道していたので聞き知っていたが、大統領の竹島上陸と天皇謝罪発言は日本のニュースを見て知った。

連日の関連ニュースの報道を見ていると、慰安婦問題も含め、日韓関係の溝は日に日に深まるばかり。ニュース報道だけ見聞きしていると、韓国に住む日本人や、日本に住む韓国人の身の安全を案ずる声が出るのも無理はないと思えるほど、関係はこじれているように見える。

しかし、実際に9月に釜山に戻ってくると、予想通り、一般市民レベルでは以前と何ら変わらぬ雰囲気。

港から自宅まで利用したタクシーの運転手さん、アパートの警備員のおじさん、掃除担当のおばさん、近所のスーパーの店員さん、軽トラの八百屋のおじさん・おばさん、会社の上司、食堂のおばさん・・・。

釜山に戻って数日間のうちにいろいろな韓国人と接したが、これまでと何の変わりもない。私が日本人と知っていても、私に竹島や慰安婦、大統領の発言などの話題を持ちかけてきたり、意見を求めてくる人はほとんどいない。1人だけそれらに関する自分の意見を話した人がいたが、私にその意見を強要するわけでもなく、ただ、自分はこう思うんだがと言うだけ。日本人だという理由で冷たくされたり、差別的な対応をされたことももちろんない。

むしろ逆に「久しぶりね。元気だった?日本は台風大丈夫だった?」と温かく迎えてくれる。

ここのところの摩擦の影響で、新大久保での売り上げが急減したという話は聞いたことがあるが、新大久保を訪れる日本人の数そのものはこれまでとあまり変わりないと聞く。また韓国に来る日本人観光客の数も、今のところ大きな変化はないという。

両国の関係はいろいろ騒がしくなっているが、一般の市民レベルではほとんど変わりないというのが私の印象だ。

ネット上では市民もお互いに舌戦を繰り広げているようだが、それはずっと以前からあったこと。今に始まったことではない。

政府同士ではいろいろあるし、両国の市民にもそれぞれ意見はあると思うが、国レベルで問題を解決することと、市民が日常生活を送ることは別次元。中には自分の持てる力や時間のほとんどを問題解決のために注ぎ込む人もいるようだが、多くの市民は、両国が問題を抱えいてるのを認識しながら、それはそれとして自分の生活を送っている。

言いたいことや思うところはいろいろあるが、それよりももっと目の前にある毎日の生活の方が優先だ。両国間の問題を横目で見つつ、自分の人生のコースを走っているというのが多くの市民ではないだろうか。

個人的には、竹島も慰安婦も両国ともに納得するような円満解決は、これからも期待できないと思う。それならば、問題は抱えつつもそれはそれとして、これまで同様、市民は市民の生活を送っていけばいいと思う。

せっかくこれまで築き上げてきた文化的・人的交流が、政治的問題のために途絶えてしまうというのはあまりに惜しい。政治は政治。市民は市民でこれからも、政治的な問題にも揺らがないような強固なネットワークや交流を深めていけばいいと思う。



  

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2012年05月30日

『福島、そしてキム・ヒョンニュル』

2012年5月25日付の釜山日報(6面)に紹介されていた記事をご紹介。

*****

パク・イルホン監督 「福島の事故後、核は過去の話ではなく現在進行形」

「キム・ヒョンニュル氏はこちらが戸惑うほど堂々した人でした。独立ドキュメンタリーの監督なら、当然、原爆被害2世問題を撮るべきではないのか、とはっきり言う、そんな人でしたね」。

パク・イルホン監督(43)は25日、韓国原爆2世患友会の初代会長、故キム・ヒョンニュル氏の7周忌の前日、キム氏についてこう語った。キム・ヒョンニュル氏(1970~2005)は2002年3月、韓国では初めて自らを原爆被害者2世だと明かし、2005年5月に亡くなるまで、原爆被害者2世問題を世に知らしめるために尽力した活動家だ。

パク監督は 「ヒョンニュン氏が自分の話を撮ってくれとやって来られたとき、被害者という立場上、こちらに何かをお願いしたり頼んだりするような話し方をされるのかなという先入観がありました。でもむしろ、自分が望むことをはっきりと要求してきたので驚きました。ヒョンニュル氏が亡くなった今振り返ってみると、自分には残された時間があまりないことを知っていて行動しているようでもありました」 と話す。

パク監督は、もともと原爆被害者問題に関心があったわけではない。彼は 「2004年、ヒョンニュル氏と短時間だが2度お会いした。その後、原爆被害者2世問題をドキュメンタリーで撮ってほしいというヒョンニュル氏の願いを実現できずにいたのだが、翌年ヒョンニュル氏があっけなく亡くなり、この問題について考えるようになった」 と話す。

パク監督は昨年、キム・ヒョンニュル氏と彼の父親キム・ボンデ氏の人生を描いた独立ドキュメンタリー映画 『아들의 이름으로』(息子の名前で)を手がけた。それに続いて今回は 『후쿠시마 그리고 김형률』(福島、そしてキム・ヒョンニュル)というドキュメンタリーを撮り、現在仕上げ作業中だ。

彼は 「福島の原発事故の直後、核は過去の問題ではなく現在進行形の問題として我々に迫ってきた。福島の事故を見て思ったのは、キム・ヒョンニュルのことを記憶にとどめ彼の話に耳を傾けなければ、韓国社会もまさに福島のようになってしまうということ。それで 『福島、そしてキム・ヒョンニュル』 を企画したんです」 と説明する。

ドキュメンタリーのため、パク監督は昨年11月に福島を訪れ10日間滞在した。一般人が近づくことのできる出入り禁止区域の境界エリア・南相馬市も訪れ、原発事故以降の住民らの生活の様子を聞いて回った。

パク監督は 「過去を教訓にしない未来はあり得ないと思う。だから私たちは福島を、そしてキム・ヒョンニュル氏を絶対に忘れてはならない」 と繰り返した。

一方、26日午前11時、釜山市の民主公園でキム・ヒョンニュル氏の7周忌追悼祭が開かれる。パク監督の独立ドキュメンタリー映画 『福島、そしてキム・ヒョンニュル』 は、6月1日~3日まで、釜山視聴者メディアセンターで開かれる 「第2回釜山反核映画祭」 の閉幕作として上映される予定だ。

*****



写真作家윤정은/ユン・ジョンウン氏が撮影した、故・김형률/キム・ヒョンニュル氏▲

釜山視聴者メディアセンター
釜山市海雲台区センタム中央路42(佑洞1472)
(051) 749-9500
地下鉄2号線センタムシティ駅4番出口を出て、出た方向にまっすぐ徒歩5分。右手に。
  

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2012年03月27日

日韓の原発

最近、韓国でも原発問題が大きな話題になっている。韓国には現在稼働中の原発が21基、そのうち5基が釜山市기장(キジャン=機張)郡と울산(ウルサン=蔚山)市一帯の고리(コリ=古里)原子力発電所にある。(5基のうち後述のコリ1号機は停電事故のため運転停止中)

釜山市キジャン郡にあるコリ原発1号機(▼)は1998年に稼働した。2007年6月に当初の使用寿命30年を迎えたが、2008年に10年間の延長使用が認められ継続して稼働している。しかしその延長稼働中のコリ原発1号機で、定期点検中だった今年2月9日、外部からの電力が喪失する完全停電(ブラックアウト)が起こった。



その停電事故当時、本来なら作動するはずの非常用ディーゼル発電機も2台とも作動しなかった。また、電力供給が完全に止まった状態で、核燃料棒を入れ替えていたという。電力の供給が止まるということは冷却機能も喪失しているということで、一歩間違えれば核燃料棒の温度が上がりメルトダウンや放射能漏出という、まさに福島と同じような事故が起こっていた可能性があるという事態だった。

しかも、そのような危険な事態だったにも関わらず、この完全停電事故の事実を、コリ原発側が3月12日まで1か月以上も隠ぺいしていたことが先日明らかになったのだ。たまたま기장(キジャン=機張)郡の議員キム・スグン氏がこの事実を知り得て、世間に知られることになったのだが、「バレなければ」 ずっと隠ぺいしたままだったのではないかという疑いの声も上がっている。

事実をありのままに公表しなかったのは、公表すれば原発に対する風当たりが強くなることが分かっていたからだろう。福島の原発事故当時、重要な情報がなかなか公表されなかった日本の状況と重なるようだ。

日本と同じく、韓国でも反原発、反核、脱原発への動きが大きくなってきているが、ソウルや京畿道エリアと、釜山や慶尚南道エリアではその運動に対する温度差があるようだ。先日の新聞でも以下のような内容が報道されていた。

先月、全国の基礎自治体(市・郡、および特別市・広域市管下の区)の長らが 「脱核エネルギー転換のための都市宣言」 を発表したが、ここでも釜山の自治体関係者の姿はほとんど見られなかった。「エネルギー条例(仮称)」 を作り、新再生エネルギーの普及を増やそうというソウルや京畿道、慶尚北道一帯の45の基礎自治体長らは参加していたが、実際に原発が密集している釜山や慶尚南道の自治体の中では、ウルサンの自治体2か所が参加していただけだ。

もっとも市民レベルでは、釜山でも先日、反核運動が行われた。釜山地域の44の市民社会文化団体が連帯して作った組織 「反核釜山市民対策委員会」 が準備したもので、釜山駅から南浦洞まで行進するなどしたそうだ。

韓国には活断層がないため地震は起きないという前提で、高層・超高層ビルも続々建っているが、本当に100%地震がないと言い切れるのだろうかと時々思う。実際、つい先日も、ウルサン沖を震源とする地震が起きた。「地震がない」 という前提で建てられている高層ビルや原発だが、前例のなかったことが起こることなんていくらでもある。特に、こんなに近い日本であんなことがあったに、「それでも韓国は大丈夫」 と過信できるはずはないと思うが。

日本にある54基の原発のうち、今も稼働しているのは2基のみ(北海道電力の泊原発と東京電力の柏崎刈羽原発)。その2基も4月下旬までに、定期検査に入る予定だという。

一方、韓国には現在稼働している原発が21基。2025年にはこれが12基まで増える予定だそうだ。

海を隔てた日本と韓国。これから両国の原発がどうなっていくのか、非常に気になるところだ。  

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2012年03月12日

韓国感謝チャリティー・ウォーク 2012 in Korea 2

つづき

震災のときの支援に対する感謝の気持ちを韓国人に伝え、交流を図るというのが趣旨のウォーク。参加者は 「고마워요, 한국 힘내세요, 일본(ありがとう!韓国、がんばれ!日本」 と書かれた小旗を持って歩き、道中こういうチラシ(▼)も配るのだそうだ。







多くの人の挨拶が通訳を介して行われるため、その分時間がかかり、予定では30分だった出発式が終わったのは30分遅れの11時。ようやく出発のときを迎えた。「日中韓から世界へ」 のスタッフの皆さんが前に出て 「출발(出発)!!」 のかけ声。



記念写真撮影の後、出発していった。



この日は、海雲台の尾浦(ミポ)で昼食を取り、松亭(ソンジョン)海水浴場の竹島(チュッド)公園まで歩く予定とのこと。全行程の最終目的地浦項(ポハン)には3月17日に到着予定で、浦項市長が一行を迎える予定だそうだ。

ちなみに出発式が行われているとき、ビーチ上には赤いベストを着た人々が続々と集まってきていた。最初はウォークに参加する韓国側のスタッフかと思っていたが、それにしてはやけに人数が多すぎる。



よく見るとウォークの関係者ではなかった。掲げている横断幕には 「過越祭にあたっての全世界第1334回地球環境浄化運動」 と書かれている。ビーチの清掃ボランティア活動に参加するキリスト教団体の人々らしい。



ウォークの出発式が終わった後に清掃活動をする予定のようで、かたわらにはほうきなどの道具が置かれ、みな出発式が終わるのを待っているようだった。式が終わると一斉にビーチ一帯の清掃活動を始めていた。  

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2012年03月12日

韓国感謝チャリティー・ウォーク 2012 in Korea 1

東日本大震災から1年を迎えた2012年3月11日。日本、そして世界各地で追悼行事などが開かれたが、ここ釜山でも 「韓国感謝チャリティー・ウォーク 2012 in Korea」 が開かれた。

東京に拠点を置く特定非営利活動法人 「日中韓から世界へ」 と、釜山に拠点を置く社会法人 「釜山韓日文化交流協会」 の共同主催。釜山市や在釜山日本国総領事館や各新聞社・放送局などが後援。「日中韓から世界へ」 は2010年4月に、日中韓の通訳仲間が中心となって設立したNPO法人(代表理事・牛尾恵子氏)。

震災当時、さまざまな形で支援してくれた韓国国民に対し、感謝の気持ちを直接伝え交流を図るべく、釜山から機張(キジャン)-カンジョルゴッ(岬)-蔚山(ウルサン)-甘浦(カンポ)-慶州(キョンジュ)-良洞(ヤンドン)マウルを経由し、浦項(ポハン)までの道のりを歩くというのがウォークの趣旨。

全行程約170kmを1週間かけて歩き、浦項には3月17日到着予定。浦項では市役所で歓迎の行事が開かれるそうだ。

ウォークに参加するのは日本側からは 「日中韓から世界へ」 の会員・一般人ら約30人、韓国側からは韓国在住の日本人(一般参加者)や韓国人スタッフら約40人。1週間の全行程を歩くのはなかなか大変だが、1日だけの参加も可能(事前申込が必要)だそうだ。

出発に先立ち、広安里(クァンアルリ)ビーチで10時から出発式が開かれた。まずは、かね(꽹과리)・どら(징)・チャング(장구)・太鼓(북)の4種の楽器を使った사물놀이(サムルノリ)の演奏と踊りから。





数日間穏やかな天気が続いていたが、ちょうどこの日から寒さが戻り風も強かったため、体感温度はかなり低かった。近くのホテルで着替えを済ませてきたらしきメンバーは、薄い衣装にまともに寒風を受けて気の毒なほどだった。



しかし演奏を始めると寒さなど感じていないようで、生き生きと演奏していた。



続いて開会の挨拶に続いて、来賓・関係者の挨拶。「日中韓から世界へ」 の代表理事・牛尾恵子さん(▼)。通訳を通さず、ご自分で韓国語・日本語両方の言葉で挨拶される。



総領事の余田(よでん)幸夫氏(▼)。「絆」 という日本語の意味について触れながらの挨拶。



そして 「韓日友情の証」 として紹介され、挨拶されていたのは2001年、東京・新大久保駅で線路に転落した日本人を救出しようとして犠牲になった이수현(李秀賢=イ・スヒョン)さんのお父さん(▼)。お母さんと2人で参加されていた。





つづく  

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2012年03月01日

今日は三一節

本日3月1日は、韓国では삼일절(三一節=サミルジョル)。1919年3月1日、日本の植民地支配に抵抗し、市民らが独立を求めて行った 「3・1独立運動」(独立万歳運動、万歳事件とも)をたたえた祝日だ。街のあちこちに太極旗が掲げられている。





  

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2012年01月02日

2012年の四字熟語

韓国では毎年年末になると、大学教授らが、その1年を振り返っての四字成語を選定する。2011年の四字成語として選ばれたのは 「엄이도종(掩耳盜鐘)」 だった。

同じく、2012年の1年間に対する希望を込めた四字成語として選ばれたのは 「파사현정(破邪顯正)」。もとは仏教から出た言葉で 「誤った見解を打ち破り、正しい見解を打ち出す」 という意味だそう。



(▲)書家최희근(チェ・ヒグン)氏の書。韓国書家協会HPより

昨年、全国の大学教授281人を対象に行ったアンケートの結果、新年の四字成語として全体の32.4%がこの 「파사현정(破邪顯正)」 を選んだと、교수신문(教授新聞)が発表した。

この四字成語を推薦した호서(湖西)大学の김교빈(キム・キョビン)教授は「嘘や貪欲な欲望、不義などがあふれるこの社会を、きちんと正そうという強い気持ちが込められている。今年、特に総選挙においてあらゆる無道を退け、正しいことをまっすぐに行うという希望を込めた」 と述べた。

「파사현정(破邪顯正)」 に続いて選んだ人が多かったのは、「生命を生きる喜び」 という意味の 「생생지락(生生之樂)」(27.0%)だった。  

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2011年12月24日

釜山日報が選ぶ今年の10大ニュース

釜山日報が選ぶ今年の10大ニュース<国内編>

1位 「金正日死亡」



2位 「韓米FTA国会批准」
3位 「貯蓄銀行の経営破綻」
4位 「安哲秀(アン・チョルス)シンドローム」



5位 「韓進重工業に対する309日間のクレーン上単独篭城」



6位 「東南圏新空港 白紙化」
7位 「9・15大規模停電」
8位 「『三湖ジュエリー号』 ソマリア海賊から救出」
9位 「大学登録金半額」
10位 「平昌、2018年冬季オリンピック誘致」


釜山日報が選ぶ今年の10大ニュース<国際編>

1位 「東日本大震災と放射線災害」



2位 「スティーブ・ジョブス死亡」



3位 「米ウォール街占領デモ」
4位 「アラブの春」
5位 「オサマ・ビンラディン射殺」
6位 「カダフィー悲惨な最期」
7位 「ヨーロッパ財政危機」
8位 「タイ大洪水」



9位 「アメリカ国家信用等級降格」
10位 「中国 『大国掘起』 本格化」

*内容・写真はいずれも12月23日付釜山日報より

韓国内では何といっても、金正日死亡のニュースが今は一番大きな話題になっているが、このニュースが今回<国内編>扱いになっているのは、意外なようでもあり、ああそうなのかというようでもあり、不思議な感じだった。

こうして見ると1年の間に世界中で本当にいろいろなことがあったなと、あらためて感じる。  

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2011年12月19日

新聞も差し替え発行

いつもの通り11時ごろ発行された夕刊紙である釜山日報。北朝鮮の김정일(金正日)総書記死亡の発表を受け、1~3面の紙面を差し替えて、午後早くに再発行した。再発行後のトップ紙面には、大きな文字の 「김정일 사망(金正日 死亡)」 という見出しと、大きな写真(▼)。



もともとの新聞のトップ(▼)。



再発行された新聞は、2~3面の内容も全て金正日総書記関連に(▼)。



もともとの2~3面(▼)。



これからの朝鮮半島の動向が見逃せない。  

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2011年12月19日

金正日総書記 死亡

すでに周知の通り、北朝鮮の最高指導者・金正日総書記が12月17日午前8:30、現地指導に向かう列車の中で、急性心筋梗塞により死亡した。69歳だった。これにより37年間の独裁政治に幕が下りた(写真はYTNより)。



三男で後継者の金正恩を筆頭とする232人の葬儀委員は、28日平壌にて葬儀を執り行う予定。現在、遺体は父の故・金日成国家主席の遺体が安置されている錦繍山(금수산=クムスサン)記念宮殿に安置されている。12月17日から29日までを哀悼期間とし、弔問客を迎え入れるが、外国からの葬儀代表団は受け入れない方針だ。12月29日に中央追悼大会を行う予定。

しばらく姿を見せていないと取り沙汰されていた朝鮮中央テレビの女性アナウンサーは、弔意を表す黒い韓服姿で、声を震わせながらこの知らせを伝えた。また、金正日総書記の死を受け、コスピ(総合株価指数)急落などの影響が各方面で出始めている。

また17日の死亡当時、李明博大統領は日本訪問中で、韓国政府はこの事実を把握していなかった。韓国の情報当局の情報収集能力と危機管理態勢が問題視されるとの声も上がっている。李大統領は北朝鮮の発表後に行事予定をすべて中止し、国家安全保障会議を招集した。  

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2011年03月26日

天安号沈没事件から1年

韓国中に大きな衝撃を与えた 「天安号沈没事件」 から、今日で1年が経った。もう1年かともまだ1年かとも感じる。以下、「連合ニュース」(写真も)より。
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天安号の殉国勇士の一周忌追慕式が、本日午前10時から대전(大田)にある 「国立大田顕忠院」 の顕忠広場で執り行われた。

「国家報勲処」 主管で行われた追慕式は、이명박(李明博=イ・ミョンバク)大統領をはじめとする政府要人、戦死者遺族、天安号の乗組員、政党・各界代表、軍人、市民、学生など4,500人余りが列席した。国民儀礼、追慕映像上映、献花、お焼香、追慕公演などの順に行われた。

追慕映像上映時には、天安号46人勇士と故・한주호(ハン・ジュホ)准尉、47名の戦死者の遺影が大型スクリーンに2人ずつ映し出され、一人ひとり呼名(roll call)が行われた。(ハン・ジュホ准尉は、沈没事故で行方不明となった後輩兵士を捜索するための水中作業中に殉職した)

映像上映が終わると、軍楽隊の献花曲とラッパの鎮魂曲が演奏される中、李大統領と遺族代表47人、政府要人、政党代表、軍主要人士と天安号の乗組員などが、顕忠塔の前に用意された46勇士とハン・ジュホ准尉の遺影に献花・お焼香をした。



박승춘(パク・スンチュン)報勲処長は、「最後の瞬間まで祖国の領海を守った将兵たちこそ、大韓民国の真の英雄だ。我々国民は、勇士たちのことをいつまでも忘れず、その意志を受け継いでさらに立派な大韓民国をつくりあげていく」 と追慕の言葉を述べた。

李大統領は追慕式に先立ち、故・이용상(イ・ヨンサン)下士の父親・이인옥(イ・イノク)氏、故・민평기(ミン・ピョンギ)上士の母親・윤청자(ユン・チョンジャ)氏、ハン准尉の妻・김말순(キム・マルスン)氏ら遺族代表3人とともに、46勇士とハン准尉のお墓参りをし墓地内を回った。



追慕式が終わった午前11時からは、김성찬(キム・ソンチャン)海軍参謀総長、天安号46勇士とハン准尉の遺族、天安号将兵、特殊戦旅団(UDT/SEAL)の将兵たちが戦死者の墓参りをした。

報勲処の関係者は 「貴い命を祖国にささげた天安号46勇士とハン・ジュホ准尉の尊い犠牲と功勲をたたえるとともに、国民に確固たる安保観を確立させ国民統合の精神的原動力になるよう、政府レベルの行事として追慕式を行うことになった」 と話した。   

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2011年03月24日

紙おむつにまで影響が

日本製の紙おむつは品質がよいと韓国の母親たちにも人気がある。そんな日本製紙おむつも、放射線に汚染されているのではないかという心配から、買うのを控える母親が増えているという。以下、3月23日の国際新聞より(写真も)。
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22日国内流通業界などによると、日本の大地震発生直後は一部の韓国人主婦は日本製乳児用品を 「買占め」 までしていたのに、原発事故による放射線汚染のニュースが入るや、今度は一転して買うのを避けるという事態が起こっている。

日本製の輸入の割合が高い乳児用製品は、地震発生直後には供給量不足が予想されたため、幼い子供を持つ母親の一部では買占めに走る人まで出て、売り上げが急増していた。

オープンマーケットで直輸入販売されている 「GOO.N」 や 「メリーズ」 などの日本製紙オムツは、地震直後には需要過多となった。普段は7万ウォン台前半の価格が8万ウォン台中ほどまで上がり、一部の日本製乳児用品は品切れ・品薄状態になっていた。

日本製の乳児用品が品質や機能面で韓国製の製品より優れているために好まれ、一度日本製の紙おむつを使い始めるとずっと使い続ける母親が多いためだと見られている。



しかし、先週末から放射能汚染のニュースが伝わってき、赤ちゃんを育てる母親たちの間では日本製の乳児用品に対する不安から、韓国製に変えるという雰囲気が広がってきている。あるポータルサイト内には、「日本製の製品は大丈夫なのでしょうか?」、「日本製から韓国製に変えようと思いますが、どのメーカーのものがいいでしょうか?」 などといった書き込みが、一日に数十件も上がっている。

一部の母親は 「すでに買ってある製品は使っても大丈夫でしょうか?」 など、買いだめしていた製品の放射能汚染の可能性に対する不安を訴えたり、いつ以降生産された製品を使わないようにすればよいのかを尋ねる書き込みもある。

2歳の女児の母親は、「日本の乳児用品は子供の健康にもいいようなので、新生児のときから紙おむつや哺乳瓶などほとんど日本製のものを使ってきた。でも放射能問題が起こり、幼い子供が使う製品に少しでも安全性に問題があってはならないという思いから、製品を変えようかといろいろ調べている」 と話す。

これらの状況によって国内の輸入業者や流通業者は、今後の需要の鈍化に備え消費者の動向に注意している。日本製の乳児用品を輸入・販売する国内業者のある関係者は 「日本の現地工場は大きな被害を受けておらず特別に生産量の変化はないが、国内の消費者の反応がかなり敏感なので、今後の状況を見ながら輸入量を調節する計画」 だと話す。

国内のある専門家は 「福島原発爆発事故の影響圏外にある工場で生産されて韓国に輸入された製品は、心配しなくてもまず大丈夫だ」 という慎重な反応を示した。

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直接口に入る水道水や食品などならともかく、紙おむつまで放射能汚染を心配しているとは驚いた。大切な我が子の健康に万が一でも何か影響があっては困るという母親の心理は理解できなくもないが、日本製の紙おむつだというだけで買うのをやめるというのは過剰反応のような気がする。

放射能の影響が出ているのは今のところ日本でも一部地域に限られているのに、紙おむつの件に限らず 「日本=放射能漏れ=危険」 という発想になってしまっているとしたら悲しいことだ。

放射能は目に見えないこと、後々まで健康被害を及ぼす可能性があるということなどから、誰にとっても恐怖の対象だ。しかしその恐怖心を抑え、 「見えない敵」 と命をかけて闘ってくださっている関係者の皆さんのことを思うと、本当に頭が下がる。彼らに放射能の影響がありませんように。  

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2011年03月23日

原発事故、釜山にもこんな影響が

釜山で市中に出回っている水産物の大半は、実は日本からの輸入品だというのは大変意外な話だ。釜山は海に面した街であるというのに・・・。そのため、今回の原発事故による放射線漏れに関して、釜山の水産物業界も大きな影響を受けている。以下、3月23日付け国際新聞より。

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日本の原発事故に伴う放射能漏れが心配される中、釜山港から入る日本産水産物の量が急激に減少している。3月22日、釜山国際水産物卸売市場(釜山市沙下区)での日本産水産物の取引量は、前日の21日に比べわずか30%程度にとどまった。

22日に取引された日本産の鮮魚は33,348kgと前日21日の98,588kgより65,240kgも少なく、中でもスケトウダラの取引量は前日の84,149kgから54,689kgも少ない29,460kgしかなかった。太刀魚は逆に先日の2,973kgより増え3,888kgという取引量だったが、活ホヤや活ホタテは市場にその姿は見られなかった。

21日までに国際水産物卸売市場で取引された日本産水産物に関しては、地震発生の11日前後に船積みされたものだったため、取引量は普段と変わらなかったものとみられている。

国際水産物品質検査院の釜山支院が、釜山港を通って搬入される日本産水産物を集計した結果、14日133t、15日349t、16日301t、17日199t、18日189t、19日253t、21日154tなどとなった。日本から輸入される水産物の中の主力品目である冷凍スケトウダラは、16日から全く搬入されていないことが分かった。

国際水産物卸売市場は、福島原発付近の海で放射性物質が検出されたというニュースが伝えられた22日、(株)釜山甘川港水産物市場と(株)三星IFMなど水産物輸入業者に対し、日本からの水産物輸入の自制を求める緊急文書を送った。これとともに国立水産物品質検査院では、日本産水産物に対し放射能検査を強化するよう要請した。このため放射能の問題が沈静化されない限り、日本産水産物の釜山港への搬入量はさらに急減するとみられる。



国際水産物卸売市場の所長は 「今後、卸売市場で日本産のスケトウダラなどの鮮魚輸入量が減っていくものと思われ、日本産に依存している国内のスケトウダラの価格に影響があると見られる」 と話す。地理的要件のため、これまで国内に搬入される日本産水産物の約80%が釜山から入っていた。

釜山市は22日、韓国遠洋産業協会の関係者らとともに 「水産物の安全性確保及び価格安定の懇談会」 を開き、日本産鮮魚の需給動向の点検と遠洋漁獲物生産対策などを話し合った。遠洋産業協会は 「遠洋漁獲物を市中に流出し、水産物の価格安定を図る」 と話す。遠洋産業協会は、年内に冷凍倉庫に保管してあるスケトウダラ5万トンを出荷すると約束した。

国立水産物品質検査院の釜山支院は、放射性物質で汚染されている水産物の国内搬入を封鎖するため、日本からの輸入水産物に対しては詳しい検査をすると明らかにした。水産物品質検査院は、現在日本で生産・加工される水産物17品目に対し放射能検査を毎日行っており、特に日本の原発被害地域から輸入される水産物は全て放射能検査をしている。

放射能問題が長期化する可能性もあることから、釜山市は水産物の輸入業者などに当面はオランダ産やロシア産などの代替品で水産物の価格安定を図るよう依頼した。

日にち  鮮魚(全体取引量)  スケトウダラ   太刀魚
11日      79,420       67,074   5,391
12日      72,319       69,022    934
14日    1,565,744       17,388   6,749
15日      28,105       20,570    316
16日      38,537       28,066   7,018
17日      67,077       45,546   7,642
18日      52,049       48,329    815
19日      54,988       49,832      0
21日      98,588       84,149   1,973
22日      33,348       29,460   3,888

※単位はいずれもkg。活ホヤ・活ホタテは8日以降取引なし。13日・20日は休場。
資料:釜山国際水産物卸売市場
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原発事故が起こるもっと前から、韓国では口蹄疫が原因で牛肉や豚肉の値段が急騰、3月に入って食堂でも軒並み値上げに踏み切った。そんな折の日本からの水産物輸入量激減。水産物も値段が上がることが予想される。

韓国人の友人・知人の中には 「肉も魚も(値上がりして)ダメ・・・。何を食べればいいのか」 とぼやく人もいる。  

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2011年03月21日

Pray for Japan

3月11日の東北地方太平洋沖大地震発生から、新聞社内で私が所属している国際チームの記者たちは、連日特別態勢で地震・津波や原発関連のニュースを報道している。当然、テレビや新聞・ネットなど日本のメディアが流す情報にも、細やかに目を通して情報収集している。

そんな記者たちが、日本の被災者たちの姿を見て疑問に思うことがあると言う。

「悲しいのに何故泣かないのか」

「物資が充分に届かず不自由な避難所生活をしているにも関わらず、何故じっと我慢しているのか」

という2点が、中でも特に不思議に思うのだと言う。

一つ目の 「悲しいのに何故泣かないのか」 という疑問は、以前にも何度か韓国人の友人たちから全く同じ質問を受けたことがある。2009年11月14日に釜山で起きた射撃場事故のときだ。テレビに映し出される被害者の家族たちの様子。待機室でまんじりともせず不安な夜を明かすご家族は、大きく取り乱す様子もないように韓国人には見えたのだ。

もちろん、泣いていないわけではない。テレビには映らないところで、人目につかないところで、どうしようもない悲しみや怒りや不安の涙を流され、やりきれない思いでいっぱいだったはずだ。

今回の震災・津波でご家族を失われた(あるいは行方不明の)被災者が、マスコミのインタビューに対し呆然とした様子で気持ちをつぶやいている様子が映し出されていた。あまりに突然の出来事で、ご家族の死や行方不明であることをにわかには信じられない状態なのだろうと思う。しかしその 「泣かない」 様子が韓国人にはとても不思議なのだ。

韓国人は悲しい出来事に直面すると大声を上げて泣き叫び、こぶしで胸を叩き、失神するのではないかと思うほどその感情をストレートに表す。最近では2010年3月26日に発生した、「天安号沈没事件」 のご遺族の様子がまさにそうだった。

韓国人の友人によると、悲しいときには泣いて叫んで感情を表に出してこそ、悲しみを乗り越えていくことができるのだと。日本人は何故悲しいのに泣かずにじっと我慢するのか理解できないと、友人・知人に言われたのは一度や二度ではない。

人前で激しい感情をあらわにするのはあまり好ましいことではない、と幼い頃から言われて育ってきた日本人。特に 「人前で泣く」 のは避けようとする人が多いのではないだろうか。それに対し、感情は外に吐露してこそ前に進んでいくことができるという考えが当たり前の韓国。

韓国人が大の大人でも声を上げて泣きわめき身体全体で悲しみを表現する姿が、日本人には奇異に見えるように、悲しいのに泣くのをこらえてじっと耐えようとする日本人の姿は、韓国人には奇異に見えるのだ。

もう一つの 「物資が充分届かず不自由な避難所生活をしているにも関わらず、何故じっと我慢しているのか」 というのもとても不思議なことなのだと言う。

避難所で食料や毛布などが不足してもお互いに譲り合う。水やガソリンの配給時もきちんと整列して、何時間でも辛抱強く並ぶ。あげく水やガソリンが底をついて手に入らなかったとしても、文句を言わず次の配給を待つ。スーパーなどの店頭から品物が消え、欲しい品物が手に入らなくても次に入荷するまで待つ。店主がいない店でも略奪はみられない。他人の迷惑になるようなことはしない。

これら、劣悪な状況でも我慢してお互いに譲り合う姿、混乱の中にあっても秩序を守る姿は、韓国のみならず世界中のマスコミで驚きとともに報道されていた。世界一のマナー大国だとも。

しかし韓国人の目には、これも少々奇異に映るようだ。韓国なら、ただ我慢しているだけでなく何らかのアクションを起こすだろうと。水や食料や毛布がなくて困っていること、避難所の環境が劣悪であることなどを、もっと政府や世間に強くアピールして改善へと導くのだと。

ここでも泣くのを我慢するのと同じく、何故不自由な生活を黙って我慢するのか理解しづらいようだ。

日本人が何故泣かない(ように見える)のか、我慢ばかりしているように見えるのか、日本人として私なりの考えを説明してみても、記者たちは首をかしげて納得いかない様子。一国の根底に流れる精神論的なものは、そう簡単に語られるはずもないので当然といえば当然だろう。

しかし、そういう価値観や文化の違いとは全く違う次元で、韓国も日本もそして世界中が心を一つにしていることがある。被災者に救いの手を差し伸べたいという気持ちだ。韓国でも、日本人ファンの多い韓流スターや歌手が巨額の寄付をしたり、各種企業・団体が続々と寄付・募金活動を行ったり、また民間レベルでの募金もあちこちで行われている。

3月13日に始まった韓国の大手検索サイト 「Daum」 のネット上の募金活動(目標1億ウォン・4月8日締め切り)は、21日朝の時点で8,758万ウォン以上にまで達している。

もちろん、中には 「日本へ募金する前に飢えに苦しむ北朝鮮に食料を」 という声や、慰安婦問題・竹島問題などを引き合いに出して募金することに賛成しない人、「お金より物資を送った方がよい」 という声など、募金活動に対しては賛否両論あるのも事実。人によって価値観も違えば、置かれた立場によって感じ方が違うのは当然だろう。しかし、一人ひとりの温かい心が集まってこれだけ巨額の募金が集まったというのもまた事実だ。

日本や韓国を含め世界各国で 「Pray for Japan」 の気運が高まっている。世界中の人々の祈りが、絶望の中にある人々の心に一条の光を届けられますように。



  

Posted by dilbelau at 07:57Comments(6)時事話題

2011年03月15日

韓国からも 「元気出して、日本」

韓国の大手検索サイト 「Daum」 の画面右上に、日本列島と日の丸を持った人のイラストが。



「元気出して、日本」 と題し、被災者へのネットでの募金活動をしているのだ。



この募金は去る13日に目標額2,000万ウォン(約143万円)で開始して、わずか1日で目標額に達成。しかしその後も、被災者のために募金したいという声が相次ぎ、また大規模災害であったことから救護のための基金が必要と判断し、14日10時には目標額を5,000万ウォン(約358万円)に拡大。その後もネチズン(インターネットユーザー)の声に後押しされ、14日17時には目標額を1億ウォン(約717万円)に設定し直したのだそうだ。



昨夜の時点ですでに5,500万ウォンを超えていた。4月8日まで受け付けるのだそう。集められた募金は全額、日本共同募金会、社会福祉共同募金会を通して緊急救護のために使われる予定。またこの他にも、新聞社や有名人などが呼びかける募金・寄付などがあちこちで行われている。  

Posted by dilbelau at 09:08Comments(2)時事話題

2011年03月12日

東北地方太平洋沖大地震

昨日発生した 「東北地方太平洋沖大地震」 の一報を私が耳にしたのは職場でだった。机を並べて仕事をしている上司や同僚が 「日本で地震が起こったらしい」 と。そのニュースは韓国でもすぐに速報で流れた。フロアーに設置されている大型テレビの映像を見て凍りついた。

車も船も家も何もかも、まるでおもちゃのように流されていく。まるで映画の特殊撮影でもしているかのようで、とてもこれが現実の映像だとはにわかには信じがたいほどだった。津波とはこんなにも恐ろしいものだったのかと、思い知らされた。テレビに映し出される映像を、固唾を呑んで見守っている大勢の韓国人記者たちの表情も一様にこわばっている。

そんな中、私たちのデスクへある記者さんが来られた。日本語で書いた文章を、正しいかどうかチェックしてほしいと。見るとそれは今回の大地震の被災者へ向けたものだった。社の公式twitterに上げるのだと言う。「日本の地震と津波の被害について、残念に思っています。どうぞ被害が少なく、一日も早い回復を願っております。」 という内容。

昨夜の夜のテレビニュースでも勿論トップで報道され、その後番組の実に半分の時間(30分)をかけて被害の様子などを伝えていた。番組の半分もの時間を割くというのは、昨年の天安号沈没事件のとき以来ではなかろうか。(▼見出しは 「日本、観測史上最大の地震」)





ニュースを聞きつけて心配した韓国人の友人たちが続々と、日本にいる家族は大丈夫だったかと連絡をくれる。「中にはニュースを見ていると涙が出てくる」 や 「私に何かできることがあれば言ってください」 などと言ってくれる友人も。幸い私たちは2人とも実家がそれぞれ震源地から遠く離れているので、家族たちに被害はなかった。しかしあんなに遠く離れた大阪でも2分ぐらい揺れたと言う。驚いた。

こちらでも、テレビ報道やNHKを見られるインターネットサイトを通してもリアルタイムで様子を知ることができる。刻々と増える犠牲者の数、瓦礫と化した町の様子、原子力発電所での爆発事故・・・未曾有の大惨事だ。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、行方不明の方が一刻も早く救出されますことを、また被災地の一日も早い回復を心よりお祈り申し上げます。  

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2011年01月02日

新年の挨拶

イ・ミョンバク大統領による2011年の新年の挨拶

『ソウル新聞』・이규하(イ・ギュハ)記者・1月1日付け記事より



尊敬する国民の皆さん、2011年辛卯年、希望の年の朝を迎えました。
昨年1年間、耐え難いこともありましたが、嬉しいことがそれよりもっとたくさんありました。我々の国運も世界に向けて力強く伸びていっています。

我が国の若者はバンクーバーオリンピックで、また広州アジアンゲームや女子ワールドカップで、世界のトップへ向けて躍進しました。我々はOECD国家中、最高の経済成長を成し遂げました。厳しい状況の中でも、輸出世界7位の貿易大国になりました。ソウルG20首脳会合の開催に成功し、世界の中心国家の1つとしてしっかり確立されました。

EU、アメリカとのFTAにより、国土は小さくても経済領土は世界で最も広い、自由貿易の中心国家となりました。国民皆さんの流した汗が実を結んだ大切な成果です。

2011年の新しい年、我々は必ず朝鮮半島の平和を成し遂げ、経済もさらに成長させることができると確信しています。一気呵成と申します。国運隆盛の機会を逃すことなく、先進国の敷居を一気に越えていかなければなりません。

お互いに団結し、危機を機会に変える我々国民の力を、私は信じています。

愛する国民の皆さん、新年もご家族皆さんが幸せで、皆さんの願いが叶いますようにお祈りします。
あけましておめでとうございます。  

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2010年11月30日

2つの談話、何が違うか

『李大統領 ”天安号” 談話と ”延坪島” 談話、何が違うか』 という見出しの、11月29日付けの 「ヘラルド経済」 の記事。(양춘병記者)
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天安号の事態を受けて、その後の処置について盛り込んだ ”5.24 対国民談話” と、今回の延坪島砲撃挑発についての ”11.29 対国民談話” の間には、強硬な対応原則を明らかにしたという点では似通っているが、これ以上の忍耐と寛容はないというさらに断固たる行動を強調したという点で、違いがある。もはや言葉ではなく、もっと行動に比重を置くという意志だ。

2回の談話はどちらも北朝鮮の武力挑発について、断固たる対応意志を明らかにしたという点では似ているが、各論では微妙な違いが見えている。

まず5.24談話は、対北政策の ”パラダイムシフト(太陽政策⇒強対強政策)” がなされたと評価するほど、歴代政府の中で最も強硬な対北基調を盛り込んでいる。李大統領は当時談話を通じ、*南北経済協力および対北支援の中断、*北朝鮮が領海・領空・領土を侵犯すれば即刻自衛権発動など ”積極的抑制(proactive deterrence)” 原則を強調した。

李大統領は今回の談話でも、”これから北の挑発には相応な代価を支払ってもらう” と、この原則を再確認した。

ただ、李大統領が直接国民に謝罪の意を伝えたのは、5.24のときとは違っていた点だ。李大統領は5.24のとき明らかにした、断固たる対応意志を実践できなかったことに対し、”国民の生命と財産を守ることができなかった責任を痛感する。残念で申し訳ないという思いを禁じえない” と、 牛肉問題以降初めて国民に対し謝罪した。

李大統領は5.24談話で、金正日国防委員長を直接名指しする代わりに ”北朝鮮の将軍” という表現を用い、金委員長に天安号事態を自ら収拾し、今後南北関係を転換することができる余地を残した。南北関係の完全な破局をもたらす可能性を排除し、南北関係に最後の道筋を取っておくという意志の表れだった。

しかし、今回の談話では背水の陣を敷くかのように、退路なき強硬な語調をぶちまけた。

李大統領は、”これ以上の忍耐と寛容は、さらに大きな挑発を招くだけだということを我々国民は明確に知りました” と強調した。

李大統領は5.24談話の場として、南北関係の過去と未来が交差する戦争記念館を選び、対北強硬処置とともに未来に向けた関係を構築する意志を盛り込んだ。

今回の談話は、事態の時急性を反映して青瓦台(大統領官邸)内の春秋館で行われ、談話分量も当初の10分から7分に短縮した。



  

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2010年11月29日

大統領の国民への談話

本日11月29日午前10時、이명박(李明博=イ・ミョンバク)大統領が国民に向けての談話を発表した。もちろん、今月23日に起きた北朝鮮の砲撃事件についての内容。

以下、談話の全文。

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一つにまとまった国民が最強の安保です。
尊敬する国民の皆さん、私は本日大統領として、国民の生命と財産を守ることが出来なかった責任を痛感しつつ、この場に立っています。

このたびの北朝鮮の연평도(延坪島)挑発に対する対応に、国民の皆さんの失望が大きかったということはよく分かっています。

平穏に暮らしていた我々国民の命を失い、生活の基盤が壊されたことに対し、本当に残念で申し訳ないという思いを禁じえません。殉国した서정우下士と문광욱一等兵、民間人の犠牲者김치백氏、배복철氏のご冥福をお祈りし、ご遺族の皆さんにあらためて慰めの言葉を申し上げます。

負傷した方たちも一日も早くご回復されますようお祈りし、延坪島の住民の皆さんのために総合的な対策を打ち立てることを約束いたします。

国民の皆さん、北朝鮮の今回の武力挑発は、今までとは次元が違います。

北朝鮮は今まで数知れず多くの挑発を行ってきましたが、我々の領土を今回のように直接砲撃したのは初めてです。

しかも、1,400余名の住民が平和に暮らしていた島の村を無差別に砲撃したのです。
民間人に向けて軍事攻撃をするということは、戦時でも厳しく禁止されている反人倫的犯罪です。

砲弾が落ちたわずか10数メートル先は、学生たちが授業を受けているところでした。
幼い生命さえ眼中にない北朝鮮の将軍の残酷さに、憤怒を覚えずにはいられません。

世界も北朝鮮を糾弾しています。
今まで我々は北朝鮮の挑発に対し、耐えに耐えてきました。

1.21青瓦台(大統領官邸)襲撃事件、アウンサンテロなど、北朝鮮の将軍はすでに2度も大韓民国の国家元首の命を狙ってきました。

1987年には我々の民間航空機を爆破し、115名が命を失いました。

にもかかわらず忍耐を重ねてきたことは、いつの日か北朝鮮も変わるだろうというかすかな期待を抱いていたためであり、韓半島の平和に向けての意志によるものでした。

そのため、過去20余年間我々は対話と協力を通じて北朝鮮問題解決のために努力し、人道的支援も惜しまずにきました。

しかし我々に返ってきたのは、核開発と天安号爆沈に続く延坪島砲撃でした。
もはや、北朝鮮が自ら軍事的冒険主義と核を放棄することを期待するのは、難しいと分かりました。

これ以上の忍耐と寛容は、さらに大きな挑発を招くだけだということを、我々国民は明確に知りました。
今まで北朝鮮の将軍を擁護してきた人たちも、もはや北の真面目(しんめんもく)を悟っただろうと思います。

脅迫に耐えられなかった結果としての ”屈辱的平和” は、結局さらに大きな災いを招くということが歴史の教訓です。どのような威嚇や挑発にも引き下がらず、対決する勇気だけが ”真の平和” をもたらすのです。

これから北の挑発には必ずや相応の代価を支払わせます。
私は我々国民の勇気と底力を信じます。

我々は北朝鮮の絶え間ない威嚇と挑発の中でも、2010年世界7大輸出入国となった偉大な国民です。
今回の国家的な危機状況でも、我々国民は愛国心と毅然とした態度を見せてくれました。

殉国兵士たちの遺体安置所を訪れた新世代の少年たち、自発的に寄付金の募金活動をされた市民の方々、ゆるぎなく私の立場を守ってくれた国民の皆さん、皆さんがいるからこそ大韓民国は健在なのです。

天安号爆沈について国論が分裂していたこととは違い、今回のように国民の団結した姿の前には、北朝鮮のいかなる分裂画策も取り付くことができないでしょう。

私は我々国民と共に、断じて引き下がりはしません。
国際社会も我々を支持しています。

アメリカ、日本、ドイツ、イギリスの首脳たちだけではなく、ロシアを含む多くの国が北朝鮮の蛮行を糾弾し、我々の立場を積極支持してくれました。特にアメリカは同盟国として、強力な対応意志を行動で見せてくれました。

尊敬する国民の皆さん、我々将兵たちは勇敢に戦いました。

砲弾が激しく降り注ぐ中、鉄帽に火がついたこともしらずに任務を全うしました。
休暇中だった将兵たちは、即刻部隊に駆けつけました。

国民の皆さん、これから政府がなすべきことは確実にしていきます。
我々の軍を軍隊らしい軍隊にしていきます。

西海五島は、いかなる挑発にも固く団結して守ります。
我々軍をさらに強くするために、国防改革は計画通りさらに強力に推進していきます。

国民の皆さん、今は100の言葉よりも行動で見せるときです。
政府と軍を信じて力を合わせてください。

一つにまとまった国民が最強の安保です。
ありがとうございます。



  

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