2013年08月12日

やっぱり釜山が一番 28

つづき

釜山駅からバスに乗って我が家に戻る。一休みして、夕食を食べにいつものミルミョン屋さんに向かった。ソウルで釜飯屋さんに連れて行ってくれた友人が 「ソウルにはミルミョン屋さんがないから寂しい」 と言っていたが、そうだろうと思う。

食欲があまりないときでもツルツルと食べれてしまうミルミョンは、暑い夏の味方だ。私たちがこの日の夕食に何となくミルミョンを選んだのも、ソウルから釜山に帰ったことを胃袋が確認したがっていた(?)からかもしれない。

相変わらず店先には行列ができていた。もっとも、ミルミョン専門店は客の回転が速いため、さほど長く待たなくても店内に入れる。


ムルミルミョン(3,500w)1つずつと、マンドゥ(3,000w)も1皿注文。しめて2人で10,000wという手頃な値段も嬉しい。まず、熱々のユクス(肉の茹で汁)が入ったやかんが運ばれてくるので、これを少しずつ飲みながら注文の品を待つ。


まずマンドゥが登場。薄めの皮の中にはジューシーな具がぎっしり。


釜山の名物料理の1つ、ミルミョン(▼)。好みで酢とカラシを加えていただく。


麺の上には茹でた豚肉のスライスと、酢漬けの大根、キュウリの千切り、半分に切ったゆで卵、そして真っ赤なヤンニョムがトッピングされている。ヤンニョムをスープでとくように混ぜるとスープの色が赤っぽくなるが、あまり辛くない。


大変おいしくいただいた。これを食べるとますます、釜山に戻ってきたんだなという実感がわく。

본가밀면전문점 南川店
釜山市水営区南川2洞7-7
(051) 628-7577


食後、広安里(クァンアルリ)ビーチを散歩。日が暮れてもビーチで涼む人は多い(日が暮れてからの方が人が多くなるほど)。けっこう遅い時間帯でも、ベビーカーを押した小さな子ども連れの姿もけっこう見かける。



花火を楽しむ子どもたち(▼)。


2007年7月以来6年ぶりに訪れたソウルは、懐かしい風景もあり初めて見る景色もあり、楽しい2泊3日だった。やはり一国の首都らしく何もかも規模が大きく、いろいろなものが集中していると実感した。若者が大学も就職もソウルで、と望むのも分からなくもない。

でも個人的には、たまに遊びに行くには面白いが、やはり釜山の方が生活するにはいいなと思った。都会過ぎず田舎すぎず、便利に暮らせて自然もそこそこ残っている。夏の暑さも冬の寒さも他の地域に比べるとマイルドで、人々も気さく。食べ物もおいしい。5年半暮らした土地への愛着がそう思わせるのかもしれないが、それを差し引いてもやはり釜山は暮らしやすいいいところだと思う。

  

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2013年08月12日

友人との再会~釜山へ 27

つづき

新聞博物館を出るとちょうど雨も上がっていたので、ソウル駅まで散歩がてら歩いて行くことにした。前日、鉄道KTX民営化反対の集会が開かれていたソウル広場も、この日はがらんとしていた。ソウル広場の向こう側に、新旧のソウル市庁が見えていた(▼)。手前の旧市庁は現在ソウル図書館として使われている。



ソウル広場の道路をはさんで向かい側には、徳寿宮(トクスグン)の正門 「大漢門」(テハンムン)がある(▼)。2007年夏、夫とソウルに来たとき、この門の前で護衛の交代式を見学し、徳寿宮の内部も見学した。あの時は、その約半年後に韓国で暮らし始めることになろうとは思ってもみなかった。人生、何がどうなるか分からないものだ。

当時、徳寿宮を見学した後、夫の友人(韓国人)宅に招待されて奥さまのお手製サムゲタンをいただいた。私にとって生まれて初めてのサムゲタンだった。おいしかった。今思えば、7月だったので、伏日(ポンナル)も近いということでサムゲタンを作ってくださったのだろう。


そんな思い出の大漢門の横を通り過ぎしばらく歩くと、続いて国宝1号の 「崇礼門(スンネムン)」(南大門/ナンデムン)が見える(▼)。2008年に放火で全焼し、今年5月に再建された。


扁額は縦書き(▼)。崇礼門から見える冠岳山(クァナッサン)の姿が炎の形に似ていることから、門から火の気が入ってこないように、文字を縦に長く書いて城門の下をふさぐという風水学に基づいているそうだ。復元に際して、書体は建立当初のものに戻されたそう。


ソウル駅に到着(▼)。釜山に戻るKTXは14:30発を予約していたが、その前に駅で友人と待ち合わせ、一緒に昼食を食べる約束をしていた。


友人ご夫妻は私たちと同じく2008年から釜山で生活されていて、現在はソウル在住。江南(カンナム)にお住まいだが、この日はわざわざソウル駅まで出てきてくださった。時間があまりなかったので、駅ビル4階にあるレストラン街の中から適当な店に入り돌솥비빔밥(石焼きピビムパッ)を注文。なんと9,000w。さすがソウル。


コチュジャンは後入れタイプなので好みの量を入れられる。



久しぶりの再会に話が弾む。ソウルでの暮らしや、釜山での共通の友人のことなど、話は尽きない。あれこれおしゃべりしているうちにあっという間に時間が過ぎて、そろそろKTX乗り場へ向かわねばならない時間になった。短かったが楽しいひと時を過ごすことができた。ホームまで見送りに来てくれた友人と別れ、KTX車内へ。またの再会を楽しみにして。


私たちが乗車したKTX149号は定刻の14:30に出発。途中、天安牙山(15:05)、大田(15:30)、東大邱(16:18)、新慶州(16:37)に停車して、釜山には定刻の17:07に到着した。発車したときから降っていた雨は釜山に近づくにつれやみ、釜山に到着したときは晴天だった。料金は往路のノンストップ車(57,700w)より400w安い57,300w。


見慣れた釜山の風景。たった2泊3日の間離れていただけだが、懐かしさがこみ上げる。あー、帰ってきたんだなと。

정우연(チョンウヨン)
ソウル市龍山区東子洞43-205号 4階
(02) 393-3493


つづく  

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2013年08月11日

新聞トップ記事に 26

つづき

新聞に掲載された写真や漫画や挿入画、広告などもずらりと展示してある。


紙面のデザインやフォントなどの変遷(▼)。


小学生くらいの子たちが先生に引率されて見学に来ていた。熱心に説明を聞いていた。


歴史の一場面を切り取った写真の数々(▼)。よくこんな瞬間が撮れたなと思うような写真もたくさんあった。


5階には他にも 「記者の一日」 などの映像を見られる映像室や、この新聞博物館をつくった東亜(トンア)日報社の歴史を紹介するコーナーもあった。5階を一通り見学した後、6階に上がってみた。

6階には 「メディアラウンジ」 と 「新聞制作体験コーナー」 がある。メディアラウンジには、新聞に関するクイズや新聞に掲載された漫画をタッチパネル画面で楽しめる机が設置されていた(▼)。


新聞制作体験コーナー(▼)。先ほどの小学生たちが楽しそうに作業していた。


係員の人が私たちにもやってみますかと声をかけてくれたので、チャレンジ。まず、ここで写真を撮る(▼)。いくつかの背景の中から好みのものを選び、指定された場所に立って写真を撮るとその背景との合成写真ができる。


その写真を、タッチパネル式の作業台に取り込んで、写真の下に添える文章(写真記事の説明)を入力する(▼)。


それをプリントアウトすれば、自分たちの写真が1面トップに掲載された東亜日報のできあがり(▼)。折らずに持ち帰れるよう、丸めてビニールの筒に入れてくれた。


5・6階の 「新聞博物館」 は、興味深い資料がたくさん展示されていてとても面白かった。また、新聞博物館の入場券で、1~3階の일민미술관(一民(イルミン)美術館)も見学できるとのことだったので展示場(▼)をのぞいてみたが、私には難解な作品が多くてあまり楽しめなかった。


新聞博物館のあるビルのすぐ隣には、東亜日報社の社屋がそびえたっていた(▼)。


신문박물관(新聞博物館)
ソウル市鐘路区世宗路139番地  一民美術館ビル5・6階
(02) 2020-1880
観覧時間:10~18時(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日、1月1日、旧暦の正月・盆の連休、3・9月の第1火曜~日曜日
観覧料:大人3,000w、小中高校生2,000w
http://www.presseum.or.kr


つづく  

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2013年08月11日

活版印刷の仕組み 25

つづき

新聞制作に必要な機械類の展示もあり、新聞制作の過程がよく分かって興味深かった。

鉛の活字は1度使うとすり減るため、使用後は毎回溶かしてあらたに活字を鋳造し直していた。写真右奥は 「自動活字鋳造機」(▼)。1960年代中盤、1日8面の紙面で発行されていた新聞を印刷するには、約15万字の鉛の活字が必要で、それを毎日鋳造していた。手前の木箱は、「本母型函」。自動活字鋳造機は、溶かした鉛を母型に流し込んで活字を作る。

左奥は 「文選台」。鋳造された鉛の活字は、大きさや順序別に木箱に入れ、文選台に並べる。活字の使用頻度によって、よく使う活字は届きやすいところに、あまり使わない活字は遠いところに並べた。熟練した文選工は1分に約40字を選び出すことができたが、字を崩して書いた原稿を判読するのに時間がかかるため、平均するとだいたい1分に20字ほど選び出していた。


木製カメラ(▼)。写真の製版は銅板の上に大小の点を化学薬品で扶植させてイメージを再生する技術。漫画や気象図、地図などの絵や写真などはこの方法で、別に銅版を作った。


組版にインクをつける台(右)と自動校正紙印刷機(奥)(▼)。組版したものをこの印刷機で印刷し、校閲する。


校閲後、記事ごとの版を組む小組台(▼)。台の上にのっているのは小組完了版。


小組完了版を組み合わせて大組版(▼)をつくる。


紙型加湿器(右)と紙型圧縮機(左▼)。紙型とは表面に樹脂を塗った特殊な紙が何重にも重なっている厚い紙のこと。湿り気を加えた紙型に、組版された新聞の内容を凹型に刻んで乾燥させる。

紙型(左)と亜鉛やすずを溶かす釜(右)、紙型乾燥機(奥▼)。


次に300℃の亜鉛、すず、アンチモンを合金したものを紙型に流しかけて鋳造し、新聞を印刷する鉛版(▼)を作る。鉛版は輪転機に掛けられるよう、円筒を半分にした形をしている。鉛版をいくつか作って印刷機に同時に掛ければ、短時間で多くの部数を印刷することができ、活字の摩耗も少なく印刷状態もよい。


ロールスタンドと紙(右)と、輪転機(左▼)。1863年にロールスタンドの技術が開発されるまでは、いちいち紙を裁断して輪転機に挿入していた。


鉛版を輪転機に掛けて印刷することを輪転印刷と呼ぶ。印刷過程は給紙・輪転・切紙、そして紙を折るという作業に分かれる。印刷機の中には反対方向に回転する2つのシリンダーの間を紙が通過し、印刷されていく。

新聞が印刷されるまでの流れがよく分かって、とても面白かった。

つづく  

Posted by dilbelau at 08:34Comments(0)ソウル

2013年08月10日

新聞博物館 24

つづき

翌朝、「ツアーイン春海」 での2回目の朝食をいただく。この日もお嬢さんが調理を手伝っていた。前日同様、おいしいおかずが並ぶ。エホバッのジョンと一緒に盛りつけられているのは、アオサのジョン。初めて食べたが非常においしかった。干しスケトウダラのスープも、釜山で食べるものより味がしっかりしていておいしかった。写真中央手前は、どんぐりで作ったトットリムッ。連泊してもおかずやスープが変わるので飽きない。日替わり定食のような感じ。大変おいしくいただいた。


身支度をしてチェックアウト。春海さんとお嬢さん、ペットのルミちゃんが玄関まで出て見送ってくれた。ソウル駅から1駅と便利で、部屋は清潔でアメニティも充実していて、値段も手ごろ、そして何より春海さん手作りの朝食がおいしくて、非常に居心地のいいゲストハウスだった。またソウルに来るときは是非利用したいと思う。おすすめだ。

ツアーイン春海
ソウル市龍山区青坡洞3街43番地
(070) 8253-0287, (010) 8260-6266
http://cafe.daum.net/TOURINN


ソウル3日目の朝はまず、光化門(クァンファムン)駅の近くにある新聞博物館へ向かった。曇り空だが雨はやんでくれていて助かる。「鐘路(チョンノ)タワー」(▼)が見えていた。独特のデザインの建物には国税庁や金融関係の会社が入っているそうだ。


新聞博物館は、「一民(イルミン)美術館ビル」(▼)の5・6階部分にある。観覧料は大人3,000w。ロッカーに荷物を預けて身軽になったところで館内を見学。ちょうどこの頃、外は土砂降りになっていた。一足違いで雨に遭わずにすんだ。


博物館が入っている一民美術館ビルは1926年に建てられ、1992年までの66年間、東亜日報を発行していた建物だそう。2000年、この建物の5・6階に東亜(トンア)日報社が新聞博物館をリニューアルオープンした。最初の軍隊新聞 「漢城(ハンソン)旬報」 の創刊(1883年)以降の韓国における新聞の歴史を一目で見られる博物館だ。1~3階が一民美術館になっている。

入口近くに展示されているのは世界の新聞(▼)。66カ国で発行されている66種類の新聞の、2000年1月1日発行の紙面を展示してある。日本の朝日新聞も。


右上は韓国最初の近代新聞 「漢城(ハンソン)旬報」(1883.10.31創刊)と「漢城周報」(1886.1.25~1888)(▼)。「漢城旬報」 は開化派が主軸となって、政府機構である 「博文局」 で主に知識人と官僚を対象に発行された。純漢文20面の冊子で、紙面は国内の官報や各国軍事、論説など。10日ごとに発行されていたが、1884年の甲申政変によって中断し、1886年1月25日から1週間に1度発行される漢城周報へと受け継がれた。


左上は 「漢城旬報」 創刊号に掲載された地球全土(▲)、その下、左は最初の民間紙 「独立新聞」(1896.4.7~1899.12.4)、右は最初の日刊紙 「毎日新聞」(1898.1.1~1899.4.4)。

数多くの資料が展示され、韓国の新聞の歴史が一目瞭然だ。


各紙の号外(▼)。手前の色褪せた号外紙の中には、釜山日報のものも見える(右中央、1951.5.10付、李始栄副大統領辞任を伝える内容)。


金日成や金大中の死亡を伝える号外も(▼)。


つづく  

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2013年08月10日

鶏の水炊きにカルグクス 23

つづき

淑大入口駅で下車し、淑明(スンミョン)女子大学付近で夕食をとることにした。大学までは緩やかな上り坂で左右に飲食店などが並ぶ。おしゃれなカフェも多い。この日はちょうど初伏(チョボク)だったので(7月13日)、サムゲタンでも食べようと店を物色。

サムゲタンの店もあったのだが、その隣にあった食堂の 「백숙칼국수」(ペクスクカルグクス・2人分19,000w)というのがおいそうだったので、そこに入ることにした。

大きな鍋に鶏が一羽丸ごと入って運ばれてきた。닭한마리(タッカンマリ)にも似ている。ほぼ食べごろで出てくるので、テーブルのコンロで温めてまた一煮立ちすれば食べられる。鶏肉は好みで塩をつけていただく。あっさりしていておいしい。


鶏肉を食べ終えたら、カルグクスを投入。緑色がかっているのは、ヨモギ入り麺?? 特別な味はしなかったが。



この頃には、スープは鶏から出たダシでさらにおいしくなっていた。付け合わせ(▼)。


スープには小さな赤唐辛子も入っていて、最初は感じなかったが残り少なくなってくると若干、ひりりとした味も感じられた。おなかいっぱい、おいしくいただいた。


어바웃샤브 & 철판구이 淑大店
ソウル市龍山区青坡洞3街27-1番地
(02) 711-5792
www.shabu.co.kr


食後、淑明女子大の正門まで散歩がてら歩いてみた。個性的なカフェが多くいかにも大学街といった雰囲気だ。



正門付近(▼)。


その後、「ツアーイン春海」 に戻り、ぐっすり眠った。

つづく  

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2013年08月09日

ソウル広場でのデモ 22

つづき

清渓広場のオブジェ(▼)。スウェーデン出身の芸術家夫婦による共同作品 「スプリング−Spring」 だそう。2007年にこの辺りを通りかかったときには、ちょうどオブジェの前で伝統舞踊の公演が開かれていた。


光化門(クァンファムン)広場には李舜臣(イ・スンシン)の銅像が勇ましく立っていた(▼)。


清渓広場からソウル市庁・ソウル広場方面へ向かう途中には、朝鮮戦争関連の展示が開かれていた。この展示は釜山でも何度か見たことがある。


ユニークなデザインのソウル市庁(▼)。元の庁舎が建物が手狭になったことや老朽化したことから、新庁舎を建設。昨年10年にこの新庁舎が完成したそうだ。全面ガラス張り。


横から見たソウル市庁(▼)。


1920年代に建てられた旧・ソウル市庁(▼)の建物は現在、ソウル図書館として使われている。


この日、ソウル広場では 「鉄道KTX民営化反対汎国民大会」 が開かれていて、たくさんの人が参加していた。特設ステージでは女性歌手が歌を歌い、一帯は参加者の熱気に包まれていた。


ソウル広場でのデモはテレビではよく見たが、実際に見るのは初めて。米国産牛肉輸入再開反対に端を発した2008年の 「ロウソクデモ」 のときなどは、もっと大勢の人が参加していたのだろう。


デモに対応するため、かなりの数の警察官が投入されていた。ソウル広場から遠く離れたところにまで、警察の車両がたくさん停まっていた。


ソウル広場から、2008年に放火で全焼し2012年に復元が完了した南大門(ナンデムン)(崇礼門)脇を通ってソウル駅まで歩き、地下鉄4号線で淑大入口駅まで移動。それにしても見れば見るほど、大阪の地下鉄の雰囲気にそっくりだと思った。


つづく  

Posted by dilbelau at 17:33Comments(0)ソウル

2013年08月09日

1億ウォンの幸運のコイン 21

つづき

清渓川には全部で17の橋が架かっている。ちょうどこの頃、ソウルでは雨が降り続いていたため清渓川も増水し、この三一橋から東側の遊歩道は一時通行止めになっていた。


三一橋の次の橋 「長通橋」(チャントンギョ▼)。


川沿いの草も水の勢いで倒れてしまっている。


川の両側に遊歩道が整備され、川には滝や飛び石が設置されていてのんびり散歩するにはぴったりだ。釜山でいうと温泉川(オンチョンチョン)。オレンジの橋は広橋(クァンギョ▼)。


広橋の下の部分には広いスペースがあり、この日は朝鮮戦争停戦60周年(7月27日)の記念展示が行われていた。


川沿いにも立派な建物が並ぶ。



光通橋(クァントンギョ▼)。変則的なデザインだ。



光通橋の脚も、昌徳宮後宮内で見られたように、水の流れになるべく逆らわないよう斜めに設置されていた(▼)。


遠くに清渓広場のオブジェが見えてきた。


広場に一番近いところに架かっている毛廛橋(モジョンギョ▼)。


毛廛橋をくぐったところの水中には、コインを投げ入れて見事入れば願いが叶うというくぼみが設置されていた(▼)。


「八石潭(パルソッタム)幸運のコイン」 と呼ばれているそうで、投げ込まれたコインは、2005年の清渓川開場から2012年までの7年間で累積1億1720万ウォンに上り、これらは社会福祉共同募金会やユニセフ韓国委員会に寄付されたそうだ。外国の硬貨も多数投げ込まれているそう。


つづく  

Posted by dilbelau at 08:34Comments(0)ソウル

2013年08月08日

懐かしの清渓川へ 20

つづき

昌徳宮(チャンドックン)を後にした私たちは、清渓川(チョンゲチョン)に行ってみることにした。昌徳宮前の横断歩道を渡ってまっすぐ進む。


途中、「餅博物館」 の前を通った。韓国の餅に関するさまざまなものが展示されているそうで、餅カフェも併設されていた。


こちらは韓服の店。ショーウィンドーに飾られた韓服の華やかさも目を引くが、店の建物もかなり目立っていた。


通りから少し中に入った路地も、レトロな感じでなかなか味わいがあった。


もう少し進むと、伝統的な国楽器を扱う店がいくつも並んでいた。



近くにはほかにも楽器専門店がたくさんあった。韓国では同業種の店が集まっていることが多いが、このあたりは楽器を扱う店が集まっているエリアのようだ。

もう少し歩くと 「タプコル公園」(▼)の横を通りかかった。1919年の3・1独立運動の際、独立宣言書が読み上げられた公園だ。ここは2007年に夫とソウルに来たときにも通ったことがある。緑豊かな公園だ。


清渓川(チョンゲチョン)に向かって歩いていると前方にNソウルタワーと、その右手前に明洞(ミョンドン)聖堂が見えた(▼)。2007年に来た時、明洞聖堂の外観は工事のため幕が張られて見られなかったが、内部は見学した。


やがて、清渓川の三一橋(サミルギョ)にやってきた。このあたりも見覚えがある。当時は初めて見る景色に、高い建物がにょきにょき建つ大きな都市だなと感心した覚えがある。



三一橋の脇から川沿いに下りて、清渓広場まで西に向かって歩いてみることにした。


つづく  

Posted by dilbelau at 16:30Comments(0)ソウル

2013年08月07日

見たこと聞いたことは川に流して 19

つづき

一番奥にある玉流川一帯も見学し、後苑の特別観覧コースの主な見どころはすべて訪ねたことになる。一行は、行きとは別の道を通って昌徳宮入口方面に向かって歩く。


この道は、先ほど見学したサランチェ・アンチェのある 「演慶堂」 の裏手にあたり、この建物はアンチェ(母屋)の裏にある台所(▼)。


台所の建物の下には水路があり、水路には建物を支える石柱が立っている。


解説士さんに 「この石柱をよく見てみてください。斜めになっていますね。水の流れをとめないようにという工夫です」 と言われてよく見ると、なるほど。


台所の横を通ってぐるりと回ると、先ほど見学した 「演慶堂」 の 「辰楽門」 の前に出てきた。


昌徳宮後苑の中は上ったり下りたりと坂道が多い。世界の多くの宮廷庭園は見て楽しむための観覧用なので、壮大な景観を一目で見ることができる。それに対し後苑は、池や東屋を訪ねながら山道を上り下りすることで、その美しさを全身で感じることができるようになっているそうだ。


緑の中を歩くだけでも気持ちがいい。


やがて塀の向こうに街の様子が見えた。伝統韓屋やおしゃれなカフェが並ぶ 「北村(プッチョン)」 エリアだ(▼)。漢陽(ソウルの昔の地名)の中心であった鍾路(チョンノ)や清渓川(チョンゲチョン)の北側に位置することから、そう名付けられたのだそう。


この橋の下を流れるのは、昌徳宮に入るときに渡った 「錦川橋」 の下を流れる 「禁川」。この川を渡るのは、「王宮の中で見たこと、聞いたことはすべてこの川に流して帰る(外部に漏らさない)」 という意味合いもあるのだそう。



前方、ビルの向こうに 「Nソウルタワー」(旧・南山タワー)が見えた。


天然記念物に指定されているイブキの木(▼)。樹齢約750年とのこと。「先日、あるお客さんから 『20年前にここに来たときも750年と言っていた。おかしいじゃないか』 と言われたんですけどね。まぁ、記録があるわけではないので正確には分かりません」 と解説士さん。


ユニークな姿をしている。味方によっては、幹の一部が猿に見えるとも龍に見えるとも言われているそうだ。


昔はここで祭礼を執り行ったのだそうだ。


やがて、敦化門の近くまで戻ってきた。敦化門から敷地内に入ってきた突き当たりには、ここ昌徳宮がユネスコ世界文化遺産に登録(1997年)されたことを示す石碑が立っていた。


約1時間30分の解説つき特別見学は以上で終了。非常に勉強になった。解説士さんがユーモアを交えながら分かりやすく説明してくれたおかげだ。しかし、たくさん説明してくれたことを、その時はなるほどと思って聞いていたのに、ほんの2~3週間経っただけでもう記憶が薄れているのはショックだった。教えてもらったことをいざ書こうとしても思い出せない部分がいくつもあった。

解説士さんが説明の途中、「どんどん写真撮ってくださいね。結局、残るのは写真だけですから」 とおっしゃっていたのを思い出した。こういうことだったのか。まさにその通り。妙に実感できたのが残念でもあった・・・。

つづく  

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2013年08月06日

酒杯が流れつくまでに詩を 18

つづき

舗装されていない道を、さらに奥の方へと進む。緑がうっそうと生い茂っている。



しばらく坂を上りつめたところには一休みするのにちょうどいい東屋があった。そこから今度は坂を下ったところには 「玉流川(オンニュチョン)」 という清流が流れており、その周辺に5つの東屋が建っていた。こちらは 「翠寒亭(チュハンジョン)」(▼)。あまりにも翠(緑)が美しく寒いほどだという意味だそう。


写真左手の大きな岩は 「逍遥巌(ソヨアム)」(▼)。苔むした岩は風情がある。


逍遥巌に掘られたU字型の溝から落ちる水が、小さな滝となっている(▼)。ここでは昔、流れ落ちる水の上にさかずきを浮かべて詩をつくる 「流觴曲水宴」 が開かれた。自分の前にさかずきが流れてきたら、詩を作って発表する。その後、次のさかずきが流れて来るまでに詩を作れなければ、罰として酒三杯を飲まねばならないというもの。


岩には、この一帯の景色を詠んだ第19代王・粛宗の五言絶句が刻まれている。

飛流三百尺(滝は三百尺)
遥落九天来(はるか天から流れ落ちる)
看是白虹起(見ていると白い虹がかかり)
飜成萬壑雷(谷間に雷鳴がとどろく)

詩の下に刻まれた 「玉流川」 という文字は、第16代王・仁祖によるもの(▼)。


逍遥巌のさらに奥の方にはわらぶき屋根の 「清漪亭(チョンウィジョン)」(▼)がある。宮廷の姿を事実通りに描いた 「東闕図」(国宝249号)にはわらぶきの建物が16軒見られたが、現在は清漪亭の1軒しか残っていない。

そばの田んぼでは王も田植えをしたとか。また、6月には、後苑特別観覧の参加者は田植え体験もできるそう。さらに10月には稲刈り体験もでき、その頃には収穫したお米を1kgずつプレゼントしてくれるのだそうだ。




つづく  

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2013年08月06日

リタイアするならここで・・・ 17

つづき

さらに進むと、池の周りに4つの東屋が建てられているエリアにさしかかった。このあたりは秋には見事な紅葉が楽しめるそうだ。「砭愚謝(ピョムサ)」(▼)。


砭愚謝のそばには飛び石がある。(写真手前から) 「足を “逆八の字” にして右、左、右・・・と、飛び石の上を最後まで歩くと王になるというわけですね」 と解説士さん。


「尊徳亭(チョントッチョン)」(▼)は1644年に建てられ、4つの東屋の中で一番古い。屋根と柱が2重になっているのが特徴。建てられた当初は 「六面亭」 と呼ばれていたそう。


加工した石によって水の流れをつくり、小さな滝や涼感を演出している(▼)。



扇型の 「観覧亭(カンナンジョン)」(▼)。19世紀後半~20世紀初期にかけて建てられたと推定される。


ここに日時計があった(と説明されていたと思う)(▼)。


幻想的な雰囲気の東屋エリア。解説士さん曰く 「このあともう少し歩きますが、もしリタイアしたいという方はここから宙合楼(図書館)のところまで続く道がありますので、その道を通って引き返してください」 とのことだったが、リタイアする人なく、全員が先に進んだ。


つづく  

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2013年08月05日

男女別の居住空間 16

つづき

続いて、「演慶堂(ヨンギョンダン)」 を見学。演慶堂は1828年に孝明世子が、父・純祖の尊号を捧げる儀式を行うために創建した。当時の上流階級の家をまねて造った民家形式の建物。入口の門は2つあり、男性用の門は 「辰楽門」(▼)。門の屋根の部分が一段高くなっている。


女性用の 「脩仁門」(▼)はフラットで男性用の門より低くしてある。


門の近くにはさまざまな形の岩が配してあり、岩の土台の部分には水が張られている。岩と水をそれぞれ何かに見立てていると説明を聞いたのに、何だったか思い出せない。残念。



辰楽門を入ってすぐ左手には、客人がのってきた籠などを置いておくスペース(手前▼)と、下男などが居住する 「行廊(ヘンナン)チェ」 がある。


門を入って右手は、馬をつないでおくところ(▼)。


その奥にはトイレがある(▼)。トイレと言っても板に穴をあけただけのもの。


演慶堂は男性の生活の空間 「舎廊(サラン)チェ」(▼)と、女性用の母屋 「アンチェ」に分かれている。サランチェとアンチェは建物の内部ではつながっているが、建物の外側は塀で仕切られており門もそれぞれにつけられていた。


サランチェのそばには 「善香斎(ソンヒャンジェ)」 という書庫・書斎がある(▼)。建物手前のひさしは西日を遮るためのもの。


サランチェとアンチェを分ける塀には小さな門があり、ここを通って互いに行き来できる(▼)。


アンチェ(▼)。



つづく  

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2013年08月05日

アンチエイジングの門 15

つづき

芙蓉池や宙合楼の近くには、小さな売店とトイレがある。ここから先、後苑内にはもうトイレはないとのことで少しトイレ休憩を取ってから、緑の中をさらに先へと進む。


次に止まったのは 「金馬門(クムマムン)」 の前。金の馬とはすなわち王の跡継ぎ(世子)のこと。


金馬門の中にあるのは 「倚斗閤(ウィドゥハッ)」 という小さな建物(左▼)。ここも王が勉強するための場所だったそう。倚斗閤の背後には石で組んだ階段があり、その先は王の書物を収めた図書館 「宙合楼」 へと通じているそうだ。


金馬門の塀の並びには 「不老門(プルロムン)」 がある(▼)。王の長寿を願って、大きな岩をくりぬいて造った門。解説士さん曰く 「アンチエイジングの門です。皆さんもどうぞ気のすむまで何度でもくぐってください」。


不老門をくぐると右手に 「愛蓮池(エリョンジ)」(▼)。池の北側には、蓮の花を好んだという第19代王・粛宗が建てさせた東屋 「愛蓮亭(エリョンジョン)」 がある。



解説士さんによると 「王が使っていた東屋にしては小さいですね。でもそれでいいんです。王が好きな人と蓮の花を愛でながら時間を過ごすには充分な大きさです。欄干の内側は腰掛けられるようになっています。好きな人と並んで座って、お茶を飲みながら語らう、ロマンティックな場所ですね」。

愛蓮池の隅には、山水が流れ込んでいた(▼)。数日来の雨のため水はけっこう太く、流れる音も聞こえていた。「皆さんは、暑い夏には海に飛び込んだりして涼むことができますが、昔の王はそういうわけにはいきませんでした。せめて、こういう水の流れる音で涼を感じていたわけです」 と解説士さん。


池の反対側には小さな門があり、その向こうには 「倚斗閤」 が見えていた(▼)。


愛蓮池の西側にもう1つ小さな池があり、蓮の葉が青々と茂っていた。


つづく  

Posted by dilbelau at 08:17Comments(0)ソウル

2013年08月04日

王の書物を集めた図書館 14

つづき

そしていよいよ日本語解説つきの 「後苑(フウォン)」 見学ツアーの時間(14:30)が近づいてきた。ツアー参加者は後苑前で待ち合わせることになっていた。ここにもチケット売り場があり、各ツアーの定員(50人)に空きがあれば、予約していなくてもツアー(5,000w)に参加することができる。私たちが参加した回には48人もの参加があった。後苑前には門(含陽門)があって(▼)そこが後苑の入口かと思っていたが、門の向かって左側が入口だった。


入口で、挨拶される解説士さん(▼)。韓国の方だが、実に見事な日本語に舌を巻く。みんな揃ったところでいざ出発。所要時間は約1時間30分。直前まで雨が降ったりやんだりしていたが、ツアー中はやんでくれていて助かった。


後苑は、王宮の裏手に造られた庭園。解説士さんによると、昌徳宮全体の敷地の実に3分の2が後苑なのだそう。「緑の中、坂を上ったり下りたりしてたくさん歩きます。だいたい歩き終わると体重が1kgくらい減っていますね。その分おいしい焼肉が食べられるわけです」。


後苑の敷地は広大で、とても1時間30分で全部を回ることはできないので、主な見どころを順に回る。最初に立ち寄ったのは 「宙合楼(チュハムヌ)」 と 「芙蓉池(プヨンジ)」(▼)。ドラマなどの撮影にもよく使われるそうだ。毎日のようにここを訪れている解説士さんによると、数日来の雨で、この日は池の水も普段より増え濁っているとのこと。


「宙合楼」 は王が勉強するためのいわば図書館。「天地宇宙と通じる家」 という意味で、歴代の王が書いた書物ばかりを集めてあったそう。


「宙合楼」 は朝鮮王朝第22代王・正祖が即位した1776年に建てられ、扁額の文字も正祖によるものだそう。


「宙合楼」 の前には大きな 「魚水門」 と、左右に小さな門がある。魚水門は王のためのもので、王以外の人は小さな門を使う。左右の門は小さいので、門をくぐるためには自然と頭を下げることになる。


「魚水門」 は、芙蓉池の中の魚(王)がこの門を通って龍になり宙合楼に登っていくという意味がある。また王を魚に、民を水に例え、魚(王)は水(民)なしでは生きることができないことから、王はいつも民のことを考えるべきという教訓を表している。かつ、王(魚)と民(水)の上下関係を示すため、扁額の文字は縦書きになっている。


また、芙蓉池をはさんで宙合楼と面するように建っているのが 「芙蓉亭(プヨンジョン)」(▼)。上から見ると蓮の花のようなデザイン。


池の上に張り出した部分だけ、他より一段高くなっている。王がここで釣りをしたりしたそうだ。


宙合楼の右手前にあるのは 「暎花堂(ヨンファダン)」(▼)。


暎花堂は王の休息空間で、臣下と一緒に花見をしたり詩を詠んだりしたそうだ。扁額の文字は正祖の祖父、21代目王・英祖によるものだそう。達筆。


暎花堂前の広場では王が見守る中、科挙の試験が行われたりしたそうだ。


暎花堂から広場を見下ろしたところ(▼)。


暎花堂は両側に縁側があり、広場と反対側からは芙蓉池や芙蓉亭が見える。いい景色だ。


つづく  

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2013年08月04日

火魔も逃げる 13

つづき

宣政門(▼)の奥には、王が高位職の臣下たちとともに日常業務を行った公式執務室 「宣政殿」 がある。


宣政殿の内部(▼)。ここで朝の朝廷会議や業務報告、国政セミナーなど各種会議が毎日開かれた。


宣政殿の傍らにある石鉢は드므(トゥム)と呼ばれ、防火水を入れていた容器(▼)。「火魔」 が水に映った自分の姿を見て驚いて逃げるように仕向けるもので、火災予防のための象徴的な意味が大きい。


熙政堂(▼)。もとは寝殿だったが、本来の執務室がたびたび国葬のために使われたため、代わりに執務室として使われるようになった。


現在の熙政堂は、1917年に火災で焼失したものを景福宮にあった康寧殿を移して再建したもので、もともとの姿とはまったく異なる。現在はカーペットが敷かれガラス窓やシャンデリアを配した西洋式になっている。


王妃の生活空間 「大造殿」(▼)。


熙政堂と同じく、内部は西洋式に改造されている。


敷地内には緑も多く、目を楽しませてくれる。


つづく  

Posted by dilbelau at 15:27Comments(0)ソウル

2013年08月04日

第2の王宮 「昌徳宮」 12

つづき

さて私たちは、仁寺洞を後にして창덕궁(昌徳宮=チャンドックン)へ向かった。日本語の解説つきの 「後苑」 特別観覧コースに参加するためだ。昌徳宮正門の 「둔화문(敦化門=トゥンファムン)」のそばにチケット売り場があり、そこで入場券を購入。昌徳宮の一般観覧コースは3,000wで、後苑の特別観覧は5,000w(後苑の特別観覧だけでも、一般観覧のチケットも購入)。

事前に調べていた情報では、後苑観覧のチケットはここではなく後苑近くにある別のチケットブースで買うとのことだったが、実際にはここで両方一度に買えた。

後苑観覧コースは韓国語・日本語・英語・中国での解説つきで、日本語は1日2回(10:30と14:30)。予約なしでも定員(50人)に余裕があれば現地で直接チケットを買うこともできるが、私たちは念のためネット予約しておいた。14:30に後苑入口で集合とのことなので、それまでは昌徳宮の一般観覧エリアを自由に見学。

昌徳宮は1405年に朝鮮王朝第3代王・太宗(テジョン)が建てた王朝第2の王宮。もとは法宮(王が居住する宮廷)である 「景福宮」 に対し、離宮として建てられたが、その後の王たちは昌徳宮で居住することもあり、離宮としても法宮としても使われた。

敦化門(▼)は1412年に建てられた。当時の門は文禄・慶長の役のときに全焼。現在の門は1609年に再建されたもの。当時、敦化門は王の行列など儀礼を執り行うときの出入口として使われ、臣下たちは敦化門の西側にある小さな門 「金虎門」 から出入りした。


敦化門の屋根の端にも、魔よけの置物が取り付けられている。


敦化門をくぐってまっすぐ進むとやがて右手に錦川橋(▼)がある。現在、ソウルに残っている最も古い石橋。昔から宮廷は、敷地内に入る際、明堂水(ミョンダンス=吉とする場所を流れる水)を渡るような造りになっており、明堂水は宮廷の内と外を分ける役割をすることから 「禁川」 と呼ばれた。1411年、禁川に架けられたのがこの橋で、錦のようにきれいな小川に架けた橋ということから錦川橋と呼ばれるようになった。


錦川橋を渡ったところにあるのが 「進善門」(▲)。

進善門をくぐったところ(▼)。正面にあるのが 「粛章門」、左手に見えるのが 「仁政門」。



仁政門内部にあるのが昌徳宮の王殿 「仁政殿」(▼)。1405年の昌徳宮創建とともに建てられ、王の即位式や臣下たちの挨拶、外国使臣の接見など、重要な国家の儀式を行っていたところ。文禄・慶長の役で焼失したものを1610年に再建、さらに1803年に焼失し翌年修復して現在に至っている。建物の前の空間は、儀式を執り行う庭 「朝廷」。



仁政殿内部(▼)。外から見ると2階建だが、内部は吹き抜けになっている。もともと床には土を焼いて作った伝統磚(石床)が敷かれていたが、現在はただの床になっている。電灯やカーテン、ガラス窓などは1908年に西洋式に改造したもの。映画 『光海(クァンヘ)、王になった男』 のシーンを思い出す。




仁政殿前に立って、仁政門方面を見たところ(▼)。当時の王はこういう光景を見ていたのかと。


仁政殿の裏手にある階段式庭園(▼)。


つづく  

Posted by dilbelau at 08:22Comments(0)ソウル

2013年08月03日

都会のオアシスと猫 11

つづき

古本屋や骨董品屋さんも何軒か見かけた。夫によると、昔はこの通りには骨董品や書道に使う筆などを売る店がたくさん並んでいて、飲食店はほとんどなかったそうだ。



サムジギルをもう少し進んだところには 「耕仁(キョンイン)美術館」・「伝統茶院」 という看板のかかった空間があった(▼)。

キャップをかぶったおじさんが見ているのは猫。虫か小動物か、何か獲物がいるようで、土管の中に頭を突っ込んで必死に捕まえようとしていた。あまりの必死さに、私を含め人々が足を止めて様子を見ていた。結局、獲物には逃げられたようだった。


広い敷地内には独立した展示室がいくつも建っており、それぞれで展示会が開かれていた。耕仁美術館は1983年にオープンしたそうで、敷地面積は約500坪ほどあるとか。緑豊かで、都会のオアシスのような空間だ。





伝統家屋を活用した、雰囲気のいいお茶屋さんもあった(▼)。


先ほど獲物を狙っていた猫が今度は木の上に。遊び盛りのお年頃なのだろう。


つづく  

Posted by dilbelau at 09:21Comments(0)ソウル

2013年08月02日

アツアツ鉄板プルコギ 10

つづき

似たような店がたくさん並んでいて迷ってしまうが、その中から適当に選んで入った。日本人観光客も多いようで、隣の席からも日本語が聞こえてきた。

夫は鉄板コチュジャン豚肉プルコギ(8,000w)、私は鉄板鶏肉プルコギ(8,000w)を注文。ソウルは外食費も高いと聞いていたが、それも地域や店によるようで、この店は釜山の平均的な値段とあまり変わらなかった。

鉄板豚肉プルコギ(▼)。香ばしくローストした鶏肉や野菜に甘辛タレがからんでいて、おいしかった。全く辛くない。


鉄板コチュジャン豚肉プルコギ(▼)。その名の通りコチュジャンのピリ辛がきいた一品。ご飯が進む。


ご飯・汁ものとおかず(▼)。汁ものは私の大好きな냉국(ネンクッ)。酢のきいたさっぱりした味のスープは夏にぴったり。


おいしくいただいた。客は次々に入ってきていた。


店の外観は伝統的な韓屋ふう。


인사동그집(インサドンクチッ)
ソウル市鐘路区寛勲洞68 
(02) 737-0575


昼食の店を出るとまた少し雨がぱらついていたが、前夜のような土砂降りではないので助かる。この日はこの後も1日中、雨が降ったりやんだりだった。仁寺洞の通りをもう少し奥に進むと、巨大な建物が目に入った。「쌈지길」(サムジギル)というショッピングモールだそうだ。


たくさんの店が回廊のようにつながっていて、大勢の観光客でにぎわっていた。伝統工芸雑貨店、記念品店、ギャラリー、飲食店、カフェなど70店舗ほどが入っているそう。


カリカチュアコーナーも人気だった(▼)。釜山でも祭りやイベント会場などでは必ず見かける。



つづく  

Posted by dilbelau at 17:21Comments(0)ソウル

2013年08月02日

仁寺洞のグルメ通りへ 9

つづき

博物館を出た後、せっかくなので光化門(クァンファムン)前を通って行くことに。光化門は1394年に景福宮の正門として建てられ、その後何度か焼失し移転・復元された。現在の門は2010年8月に公開されたものだそう。


以前、門の扁額は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の揮毫で 「광화문(クァンファムン)」 とハングルで書かれていたが、市民から違和感があるとの声が上がったため、有識者の議論を経て、漢字の扁額を復元して付け替えることになったそうだ。ハングルの扁額は、19世紀、火災で焼失した光化門・景福宮の再建当時、造営責任者だった任泰瑛(イム・テヨン)の文字をデジタル処理で再現して制作されたとのこと。


屋根には魔除けの置き物(▼)。


たくさんの観光客が来ていて、日本語も聞こえてきた。門の護衛さん(?)と記念写真を撮る人も多数。


光化門の内部(▼)。正面に見えるのが興礼門。



今回は時間の関係上、景福宮(キョンボックン)には立ち寄らずに、そのまま徒歩で安国駅方面へ向かう。


光化門から見た光化門広場・世宗大路(▼)。


この日は14:30から、昌徳宮(チャンドックン)の後苑の見学ツアーに申し込んでいたので、それまでに仁寺洞付近で昼食を済ませることにした。


観光案内所で、どこかおいしいところはないかと聞いてみたら、仁寺洞の通りの 「인사동(仁寺洞)12길」 と 「인사동14길」 の2つの路地をすすめてくれた。食堂がたくさん集まっているのだそう。教えてもらった通り路地に入ってみると、かなりの数の飲食店が並んでいた。韓定食の店が多いようだ。


日本語で書いてある店も多い。



店先で一休み中のコックさんたち。


つづく  

Posted by dilbelau at 08:26Comments(0)ソウル