2011年11月23日

初めての討論会

先日、ある討論会にパネリストとして参加した。社団法人 「釜山発展市民財団」 主催の討論会で、タイトルは 「외국인이 본 부산, 외국인을 보는 부산시민(外国人が見た釜山、外国人を見る釜山市民)」。11月15日14時から、釜山市役所12階の国際会議室で開かれた。後援は釜山市と釜山国際交流財団。

「釜山国際交流財団のスタッフから、討論会のパネリスト候補として紹介していただきご連絡したのですが・・・」 と、釜山発展市民財団の方から最初に連絡が入ったのは9月ごろだっただろうか。

韓国語で討論するなど私には荷が重過ぎるように思えたが、夫に相談したところやってみたらどうだと後押しされ、またちょうどその日は仕事も休みの日。これも、いろいろなことにチャレンジしてみなさいと、韓国語の神様(?)が用意してくれたご縁かと思い、引受けることにした。

パネリストはそれぞれ7分の持ち時間で発表するよう、準備してきてくださいとのこと。何とか準備を終えて当日を迎えた。市役所の国際会議室に入るのは初めて。どんなところだろう、何人ぐらい参加するのだろうとやや緊張しながら会場に入った。少し早めに到着したが、すでに多くの人が座っていた。

討論会の参加者は来賓、釜山発展市民財団の関係者、基調講演の発表者、討論会の座長、パネリスト4人のほかに、招待された釜山市民約100人。以前、ある勉強会でご一緒していた日本語が堪能な韓国人女性もこの討論会の招待状を受け取っていたそうで、共通の日本人友人も誘って見に来てくださっていた。「頑張ってね」 と応援してくださり心強かった。

ところでこの日は11月15日、そして討論会開始時刻は14時。ちょうど毎月15日の14時から15分間行われる민방위(民防衛)の訓練とばっちり重なってしまう。民防衛の訓練は、敵の軍事的侵略や天災などによる人命被害を最小限にするため、民間人が参加する非軍事的防衛訓練だ。

毎月15日(15日が日曜日なら16日)の14時になると、街じゅうに大きなサイレンが鳴り響く。すると、患者を病院へ搬送する救急車や、やむを得ない緊急事態にある人などを除いて、全ての市民は訓練に参加せねばならない。

昔は待避所に避難する訓練なども行っていたそうだが、最近では訓練時間の15分間、歩いている人は立ち止まり、車やバスはその場で停車するということになっている。

討論会の司会者も 「討論会の開始時間は14時からですが、民防衛訓練のため少し遅らせます。本来なら私たちも地下に避難しなければなりませんが便宜上、開始時間を遅らせるということで、避難は免除していただくということにしましょう」 と。

パネリストの1人も会場に向かっている途中、乗っていたバスが民防衛訓練のため停車したため、会場到着が少し遅れたというハプニングもあった。

さて訓練の時間も終わり、いよいよ開始。まず、韓国の国歌が流れる中、正面壇上両脇に掲揚された国旗に向かって敬意を表す。続いて来賓、参加者の紹介の後、基調講演が行われる。発表者は김수일(金守一=キム・スイル)釜山外国語大学教授。在東チモール大使館の前大使でもあり、現在は駐韓インドネシア大使館の顧問もされている方だそうだ。



続いて、今年10月に釜山市民、および釜山居住の外国人に対して行ったアンケートの結果について、釜山発展市民財団の변상준(ビョン・サンジュン)氏が発表。アンケートで得られた有効回答(釜山市民522部、釜山居住外国人283部)を分析した結果を発表された。

そして、基調講演やアンケート結果を基に、4人のパネリストがそれぞれ準備してきた内容を発表。中国人の大学教授、バングラデシュ人の団体代表、ベトナム人の留学生、そして私というメンバーだ。

順に約7分間ずつ発表していき、最後にフロアーからの質疑応答という形。その場で意見を話し合ういわゆる討論会というよりは、準備してきた内容の発表会という感じではあったが、それぞれ立場が違うといろいろな視点があるのだなととても勉強になった。とても貴重な良い体験をさせてもらった。



(写真はいずれも釜山発展市民財団HPより)  

Posted by dilbelau at 08:59Comments(0)新聞寄稿・討論会

2010年10月28日

チェ・ジウ氏と同じ紙面に

韓国のある新聞に、釜山在住の外国人8人が交代で記事を書くコラムがある。そのコラムは1週間に1回の掲載なので、筆者1人あたりだいたい2ヶ月に1度の割合で書く担当が回ってくる。前回は、ちょうど夏期休暇中だった夫に書いてもらい、今回は私が。そのコラムが先日掲載された。

インターネットでも記事を見られるが、掲載された新聞紙も記念に手元にとっておきたくて、毎回1部購入する。早速私の書いたコラムを見てみると、そのコラムの上の欄にチェ・ジウ氏の記事が写真入りで掲載されている。10月21~28日の新世界百貨店での写真展に関する記事だ。

ちょうど、チェ・ジウ氏の美しい顔写真の下に私の写真入りのコラム記事がある、という具合で、その顔写真を2つ並べて載せるのは避けてほしかったと・・・ (^^;



それはともかく・・・。

自分が提出した原稿を、どのように修正してくれているかを見ると、単語の選び方や微妙なニュアンスの違いなど、非常にいい勉強になる。次回は12月。次は何を書こうかな。  

Posted by dilbelau at 18:32Comments(0)新聞寄稿・討論会

2010年06月24日

パラオのオレンジ色の月

先月、ある新聞に私の書いた原稿が掲載された。週に1回、8人の外国人が持ち回りで原稿を書く 「多文化時代を語る」 というコラムだ。週に1回のコラムを8人で持ち回るのだから、1人当たり8週間に一度、つまり2ヶ月に一度の割合で執筆担当が回ってくるというわけだ。

私は5月の中ごろに書いたので次は7月の予定だったのだが、編集の都合で予定が早まり6月半ばに2回目の原稿が掲載された。



今回は、10年ほど前に2年間住んでいたパラオで見た ”月” について。水平線から上がってくる、オレンジ色の大きな大きな、そしてまん丸な月を初めて見たとき、最初は日本で見慣れた月とはあまりにも違っているので、それが月であるということに気が付かなかった。

そばにいたパラオ人にあれは何かと尋ねると、笑いながら 「月よ。日本じゃ月を見たこともないの?」 と言われたのだが、その言葉が私には違う意味を持って心に響いてきた。

物質的には豊かで不自由なく暮らすことができる日本という国だが、考えてみると私は今まで日本で一度も水平線や地平線から上がってくる月を見たことがなかったのだ。高い建物に囲まれて生活していたため、私にとっての月とは、見上げれば空高くで輝いている白い月だった。

「日本じゃ月を見たこともないの?」

そのパラオ人はもちろん冗談でそう言っただけなのだが、私には 「美しい月が水平線から昇ってくるところを愛でる心の余裕や、精神的な豊かさが、日本にはないの?」 と言われたように感じてはっとしたのだ。

そういうことを書いた今回のコラム。自分の書いた韓国語が編集者によってどのように修正されるか、どのように書けばスッキリするのかなどを知ることもでき、勉強になる。

次回の担当は9月初旬。ちょうど夫が夏季休暇で時間に余裕があるため、次回分だけ夫が書いてみることになった。さて、どんな記事になるかとても楽しみである。^^  

Posted by dilbelau at 21:30Comments(2)新聞寄稿・討論会

2010年05月15日

'10.5.15(土)新聞初掲載

先日 知人を通して、韓国のある新聞に記事を書いてみないかという話が来た。釜山在住の外国人10人程度が持ち回りで記事を書くコーナー(週に1回)で、各人2ヶ月に1回程度、順番が回ってくるのだそうだ。テーマは自由。日々生活する中で感じたことや、体験したことなど、自由に書いてくれればいいとのこと。

また外国人が書く韓国語なので、より自然な表現になるよう、もともとの内容を損なわない程度に適宜修正もしてくれるという。それならばやってみようかと記事を書いて送っておいたものが、先日紙面に掲載された。

記事と一緒に掲載する写真も送るようにとのことだったので、先日Sオンニが貸してくれた韓服(チマチョゴリ)を着て、夫と2人で写真館で撮ったときの写真を送っておいたものが、カラーで掲載されている。



自分の書いた文章が、こうやって活字になって新聞紙面にのるというのはやはり嬉しいもので(人生で初めての体験)、どこをどのように修正してくれたのかを見ると韓国語のいい勉強にもなる。

次に書く順番が私に回ってくるのは2ヶ月ぐらい先になる予定だが、実はもう次に書きたいことも思い浮かんでいたりする・・・(^^)  

Posted by dilbelau at 09:08Comments(4)新聞寄稿・討論会