2012年09月05日

6トンの味噌を仕込む桶 2

つづき

こちらは味噌を仕込んでいた木桶。1度に6tもの味噌を仕込むそうで、新しいもので昭和初期から、古いものは天保年間(1830~1844)から使い続けられているそうだ。この木桶は天保10年(1839年)に作られた6尺桶(▼)。

6トンの味噌を仕込む桶 2

桶の底面には作られた年が刻まれている(▼)。

6トンの味噌を仕込む桶 2

明治末期の仕込み風景の写真(▼)。場所は現在の史料館前。

6トンの味噌を仕込む桶 2

味噌と放射能についての話も紹介されていた。

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昭和61年(1986)4月、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は 「カクキュー」 にも大きな影響を及ぼした。西ヨーロッパ諸国では 「味噌は放射能障害に効果がある」 という説が広まって注文が殺到、それまで月間2 ~3トンだった輸出量が、6~8月の3ヶ月には平均14トンにもなったそう。このことは、ヨーロッパで放射能に対する味噌の効能が知れ渡っていたことの証明のひとつ。

事実、事故後ヨーロッパでは、英国で出版された長崎原爆レポート 「ナガサキ・1945」 という本が売り切れになったと言われている。この本は、秋月辰一郎氏の著作が現地語に翻訳されたもので、それを読んだ人たちが、味噌を買いに走ったといわれています。

秋月氏自身は長崎原爆の被爆者で、聖フランシスコ病院長を務め、原発事故当時は同病院顧問、長崎平和推進協会理事長でした。「玄米飯に塩を付けて握り、濃い味の味噌汁を作り毎日食べる」 という栄養論を述べた。
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史料館の見学が終わると、次は 「甲子蔵(きのえねくら)」 へ移動。敷地内で目にする建物などはどれも歴史を感じさせ、昔にタイムスリップしたような気分になる。

6トンの味噌を仕込む桶 2

6トンの味噌を仕込む桶 2

「甲子蔵」 はこの蔵が出来た年が甲子(きのえね)だったことから、その名がついたそうだ。ちなみに甲子園も大正13年の甲子(きのえね)にできたことからその名がついたそう。

6トンの味噌を仕込む桶 2

「甲子蔵」 の中に足を踏み入れると、身体中が香ばしい味噌の香りで包まれる。巨大な木桶がずらりと並ぶ様子は圧巻だ。

6トンの味噌を仕込む桶 2

6トンの味噌を仕込む桶 2

6トンの味噌を仕込む桶 2

つづく


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