2013年05月29日

歴史の痕跡 2

つづき

日本人の墓石が階段や住宅の礎に使われたという歴史の痕跡を見てみたくて訪れたのだが、具体的な場所までは分からない。山上(サンサン)教会を中心に半径100~150mのエリアにあるとのことなので、とりあえず山上教会を目指してゆっくり坂を上っていく。

眼下には住宅が密集する街の風景が広がる。

歴史の痕跡 2

歴史の痕跡 2

写真中央やや左(▼)のPNUHという文字が見える建物は、釜山大学病院。中央奥には龍頭山(ヨンドゥサン)公園の釜山タワーと、その向こうに建設中の北港大橋が見えている。橋は来年4月竣工予定。

歴史の痕跡 2

やがて、道路沿いや少し階段を上がったところなど、ところどころに日本語が確認できる墓石をいくつか見かけた(▼)。

歴史の痕跡 2

歴史の痕跡 2

石段左手の石垣の一部にも(▼)。

歴史の痕跡 2

歴史の痕跡 2

戦火を逃れ、着の身着のまま、命からがら避難してきた人々。建材など満足に手に入らない状況で、とりあえず雨風をしのぐ家を作らなければならない。墓石だというのは知っていただろうが、なにも日本人が憎くてわざと墓石を使ったわけではあるまい。背に腹はかえられぬ、まさにそういうせっぱ詰まった状況だったのだろう。

墓石を礎として使った家に暮らす韓国人の中には、何十年経った今でも正月やお盆には、自分の先祖に対してだけでなく、墓の主の日本人に対しても供え物をして手を合わせる人もいるそうだ。また位牌はまとめて金井(クムジョン)区の市立公園墓地に安置されているそうだ。(関連記事

住み慣れた故郷を離れ釜山に定着した数多くの避難民。いつ故郷に帰れるのか、あるいはいつか帰れるかどうかさえ分からない状況で、生きていくことで精一杯だった当時の様子が少し感じとれた気がした。

付近に残る墓石はまだいくつもあるようだが、これくらい見られれば充分。歴史の痕跡を見てみたいという願いはかなえられたし、人々が静かに暮らすまちを、墓石をきょろきょろ探しながら歩くことははばかられた。

つづく


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