2010年04月14日
'10.4.14(水)お酒飲むのと一緒だよ!
毎週月曜日、鄭戊錬先生が指導される 「中級日本語」 の勉強会に通い始めて、もうどれぐらいになるだろうか。ブログをさかのぼってみると、2008年の9月から通い始めているので1年7ヶ月になる。
日本語で書かれた小説を読みながら、日本語の勉強をされている韓国人参加者の皆さんにまじって、私は逆に韓国語の勉強にさせてもらっている。

毎回、とても80歳代半ばとは思えないほどの迫力と熱い情熱をもって、休憩をはさんでの2時間、完全燃焼で教えてくださる。朗々としたそのお声を聞いているだけで、こちらの気分もスカッとするようにさえ感じる。
今週の月曜日、大学での午前中の授業を終え、次の夜間の授業に備えて一旦帰宅した夫が、アパートの近くで偶然鄭先生をお見かけしたという。鄭先生と奥さまが、勉強会の会場前に停めた車から出てこられたところだったとのこと。この日は勉強会のある日だが、その時まだ勉強会の開始時間の1時間ほども前だった。
以前 「私はね、どんなところに行くのでも、遅刻はぜったいにしないの!」 とおっしゃっていた通り、毎週の勉強会に遅刻して来られたことは1度もないし、この日も雨が降って道路が混んでいるだろうからと、きっといつもより早めにご自宅を出られたのだろう。
ご自宅から勉強会の会場までは、片道約1時間ほどかかる道のりを、いつも自ら車を運転して来られる。傍らには長年連れ添ってこられた愛する奥さまを乗せて。
早めに会場について心を落ち着け、最善の状態で勉強会に臨むことが習慣になっているのだろう。夫もそんな先生の姿勢に ”プロ意識を感じる” と感服していた。
鄭先生は戦争で厳しい体験もされた。また日本で生まれ育ち、高校卒業後初めて母国・韓国に渡ってき、その後勤めていた韓国の小学校で間もなく校長先生になろうかという60歳代のときに、小学校を退職して日本の大学院へ留学した、という経歴からも、実にさまざまな人生体験をされている。
毎回、いろいろなエピソードを紹介してくださり、そのたびにその話の深さにうなるばかり。何でもないことのようにさらっと話されるのだが、逆に説得力が増すのだ。
またかなりの努力家でもあり、「一生死ぬまで勉強だよ」 とよくおっしゃるように、今でもへたな学生よりよっぽど勉強されているだろうと思うほど、探究心が相当お強い。日本人の私でも知らない、日本語や日本の歴史などに関することを毎回たくさん教えてくださり、大変勉強になる。
さてそんな鄭先生、先日これまたさらっとおっしゃったのだが、私をうならせた名言があった。
先生 「こうやってね、毎日一つでも新しいことを学ぶってことは、本当に楽しいこと。今まで知らなかったこと、分からなかったことを学ぶ、この楽しさこそが勉強の醍醐味なんだよ。」
生徒の1人 「でももう年だから、一つ覚えても次の日になったらもう忘れちゃう。」
先生 「忘れちゃってもいいんだよ。次の日にもう忘れてたとしても、学んだその瞬間のその喜びは感じられるんだから。お酒飲むのと一緒だよ。お酒飲むのだって、そのときは飲んで楽しいかもしれないけど、次の日になったらもう何も残ってない。それでも飲んでる時は楽しいから、みんなお酒飲むんでしょ?」
ほほぉー。
なるほど、言われてみればその通り。
言い得て妙だ。
また、年をとるといえば、これは鄭先生の言葉ではないが韓国には、「나이는 숫자에 불과하다.」 という言い回しがあるそうで、直訳すると 「年齢はただの数字に過ぎない」。
つまり、実際の年齢は高くなっても、心の持ちようでいつまでも若くいられる。もう年だからと言い訳せず、いつまでも悔いのない人生を、というところだろうか。
まさに鄭先生のことをあらわしているようだと思った。私もそうあらねば。
日本語で書かれた小説を読みながら、日本語の勉強をされている韓国人参加者の皆さんにまじって、私は逆に韓国語の勉強にさせてもらっている。
毎回、とても80歳代半ばとは思えないほどの迫力と熱い情熱をもって、休憩をはさんでの2時間、完全燃焼で教えてくださる。朗々としたそのお声を聞いているだけで、こちらの気分もスカッとするようにさえ感じる。
今週の月曜日、大学での午前中の授業を終え、次の夜間の授業に備えて一旦帰宅した夫が、アパートの近くで偶然鄭先生をお見かけしたという。鄭先生と奥さまが、勉強会の会場前に停めた車から出てこられたところだったとのこと。この日は勉強会のある日だが、その時まだ勉強会の開始時間の1時間ほども前だった。
以前 「私はね、どんなところに行くのでも、遅刻はぜったいにしないの!」 とおっしゃっていた通り、毎週の勉強会に遅刻して来られたことは1度もないし、この日も雨が降って道路が混んでいるだろうからと、きっといつもより早めにご自宅を出られたのだろう。
ご自宅から勉強会の会場までは、片道約1時間ほどかかる道のりを、いつも自ら車を運転して来られる。傍らには長年連れ添ってこられた愛する奥さまを乗せて。
早めに会場について心を落ち着け、最善の状態で勉強会に臨むことが習慣になっているのだろう。夫もそんな先生の姿勢に ”プロ意識を感じる” と感服していた。
鄭先生は戦争で厳しい体験もされた。また日本で生まれ育ち、高校卒業後初めて母国・韓国に渡ってき、その後勤めていた韓国の小学校で間もなく校長先生になろうかという60歳代のときに、小学校を退職して日本の大学院へ留学した、という経歴からも、実にさまざまな人生体験をされている。
毎回、いろいろなエピソードを紹介してくださり、そのたびにその話の深さにうなるばかり。何でもないことのようにさらっと話されるのだが、逆に説得力が増すのだ。
またかなりの努力家でもあり、「一生死ぬまで勉強だよ」 とよくおっしゃるように、今でもへたな学生よりよっぽど勉強されているだろうと思うほど、探究心が相当お強い。日本人の私でも知らない、日本語や日本の歴史などに関することを毎回たくさん教えてくださり、大変勉強になる。
さてそんな鄭先生、先日これまたさらっとおっしゃったのだが、私をうならせた名言があった。
先生 「こうやってね、毎日一つでも新しいことを学ぶってことは、本当に楽しいこと。今まで知らなかったこと、分からなかったことを学ぶ、この楽しさこそが勉強の醍醐味なんだよ。」
生徒の1人 「でももう年だから、一つ覚えても次の日になったらもう忘れちゃう。」
先生 「忘れちゃってもいいんだよ。次の日にもう忘れてたとしても、学んだその瞬間のその喜びは感じられるんだから。お酒飲むのと一緒だよ。お酒飲むのだって、そのときは飲んで楽しいかもしれないけど、次の日になったらもう何も残ってない。それでも飲んでる時は楽しいから、みんなお酒飲むんでしょ?」
ほほぉー。
なるほど、言われてみればその通り。
言い得て妙だ。
また、年をとるといえば、これは鄭先生の言葉ではないが韓国には、「나이는 숫자에 불과하다.」 という言い回しがあるそうで、直訳すると 「年齢はただの数字に過ぎない」。
つまり、実際の年齢は高くなっても、心の持ちようでいつまでも若くいられる。もう年だからと言い訳せず、いつまでも悔いのない人生を、というところだろうか。
まさに鄭先生のことをあらわしているようだと思った。私もそうあらねば。
Posted by dilbelau at 15:07│Comments(0)
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