2008年12月14日
2008年12月14日(日)二十五 義勇壇
水営史蹟公園の裏手に回ると、瓦と石で作られた長い塀が目に入った。

何だろうと塀に沿って正面に回ってみると、『二十五 義勇壇』 と書かれてある。

説明文によると、この 『二十五 義勇壇』 は、壬辰倭乱のとき水営城に日本軍が駐屯した7年間、抗戦を誓って遊撃線を展開して散華したのを讃えて建てられたものだそうだ。毎年陰暦3月と9月には祭享が行われていたそうだ。
(* 水営史蹟公園は、もと水営城があったところ)
今日は日曜日のため、あいにく正面の門は閉まっていて中に入ることはできなかったが、門の横からのぞいてみると、正面の門の内側にもさらに門があり、

さらにその内側の門の中は、


「義勇祠」と書かれた祠と、

名前が記された墓碑があった。中に入れなかったのでよく見えなかったが、『 二十五 義勇壇』 というぐらいなので、おそらく25つの墓碑があるのだろうと思う。
何だろうと塀に沿って正面に回ってみると、『二十五 義勇壇』 と書かれてある。
説明文によると、この 『二十五 義勇壇』 は、壬辰倭乱のとき水営城に日本軍が駐屯した7年間、抗戦を誓って遊撃線を展開して散華したのを讃えて建てられたものだそうだ。毎年陰暦3月と9月には祭享が行われていたそうだ。
(* 水営史蹟公園は、もと水営城があったところ)
今日は日曜日のため、あいにく正面の門は閉まっていて中に入ることはできなかったが、門の横からのぞいてみると、正面の門の内側にもさらに門があり、
さらにその内側の門の中は、
「義勇祠」と書かれた祠と、
名前が記された墓碑があった。中に入れなかったのでよく見えなかったが、『 二十五 義勇壇』 というぐらいなので、おそらく25つの墓碑があるのだろうと思う。
Posted by dilbelau at 20:40│Comments(0)
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