2013年08月01日

大韓民国歴史博物館 7

つづき

部屋の移動を済ませ、小雨降る中、活動開始。まず南営駅から地下鉄1号線に乗り、鐘路3街駅で5号線に乗り換えて光化門(クァンファムン)駅で下車。1つ目のお目当ては昨年末に開館した 「大韓民国歴史博物館」。アメリカ大使館のすぐ隣の建物だ。

博物館の前は非常に広い通り。一部が 「光化門広場」 になっており、ハングルを創りだした世宗大王(セジョンデワン)の像がどーんと。テレビでは見たことがあったが、実物は想像より大きかった。

大韓民国歴史博物館 7

世宗大王の向こうに見えている建物は、世宗文化会館(▼)。

大韓民国歴史博物館 7

こちらが大韓民国歴史博物館(▼)。大きな建物だ。常設展示は3~5階。1階には企画展示室やロッカーがある。荷物をロッカーに預けて身軽になったところで3階へ。館内には他にも、医務室や授乳室、カフェ、ミュージアムショップなどもある。

博物館の建物は、経済企画院や文化体育観光部など政府庁舎として使われていたものを、リモデリングしたものだそうだ。

大韓民国歴史博物館 7

「大韓民国の胎動(1876~1945年)」、「大韓民国の基礎確立(1945~1960年)」、「大韓民国の成長と発展(1961~1987年)」、「大韓民国の先進化、世界への飛躍(1988年~)」 と、テーマ別に数多くの資料が展示されている。市民から寄贈されたものもたくさんあるそうだ。先生に引率された小中学生くらいの生徒や、親子連れなども大勢訪れていた。まさに教育の場だ。

大韓民国歴史博物館 7

これは面白かった。1917年の朝鮮語講習所の卒業証書(手前▼)。

大韓民国歴史博物館 7

パッチムを下に持ってこず、すべての文字を横一列に並べて表記している。しかもㅇ(イウン)の表記がないので、現在の表記に慣れている私には読むのに非常に時間がかかる。

大韓民国歴史博物館 7

ちなみに、現在の表記で書くと、

마친 보람(졸업증서)
해(년) 달(월) 날(일)
위 사람이 우리 배곧(강습원) 고등과의 배감(과정)을 다
마치었기에 이 보람(증서)을 줌
(1917)달 (3)달 날
서울 한글배곧(조선어강습원) 어른(원장) 솔벗메 

となる。

1963年以降、当時の西ドイツは労働力不足を補うため、炭鉱労働者や看護師を募集、数多くの韓国人が西ドイツに渡った。それに関する展示も(▼)。1963年の第1次派遣には、募集500人に対し4万6000人の応募が殺到するなど、1963年から1978年まで炭鉱労働者7983人を含む7万9000人の鉱夫をドイツに派遣、看護婦は1966年から1976年の間に1万人余りがドイツに渡ったそうだ。

大韓民国歴史博物館 7

大韓民国歴史博物館 7

ドイツ派遣看護師といえば、リュ・ヒョンオクさん(ベルリン在住)が1970年に看護師としてドイツに渡って以来、約40年間の出来事を綴ったエッセイ集 『ベルリンの空』 を発行し、話題になっていた。

大衆文化コーナーでは、1970~80年代のスターのレコードなども展示されていた。今年4月に出した19枚目のアルバム 『Hello』 が大ヒット中のチョ・ヨンピル(写真上▼)や、“爆発的な歌唱力” と言われるイ・ソニ(右下)など。実際の歌声も流れていた。

大韓民国歴史博物館 7

つづく


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