2013年01月23日

虎に間違われた岩

おなかいっぱいで 「안동손칼국시」 を出て、この日は寒さも少し緩んでいいお天気だったので、付近を散策してみることにした。店からさらに山側に少し上がったところには、こんな岩が(▼)。

虎に間違われた岩

案内文によるとこの岩は、「범 바위(ポム パウィ)」(虎岩)だそうだ。言われてみると、座って頭をこちらに向けているライオンのように見える。岩の由来も書いてあった。

その昔、現在の地下鉄 「金蓮山駅」 前あたりに虎の形に似た大きな岩があり、ある日の夕方、そこを通りかかった旅人が岩を見て本物の虎が現れたと思って仰天し、村中が大騒ぎになったと言う。それ以来、この岩のことを虎岩と呼ぶようになり、虎岩近くの村を 「호암마을(ホアムマウル=虎岩村)」 とか 「범바위골(ポムパウィゴル=虎岩の谷)」 と呼んだ。

昔から村の住民はこの虎岩を村の守護神として大事にしてきたが、朝鮮戦争当時、軍部隊が駐屯したことでその痕跡はなくなってしまった。その後、村の平和と安全と祈願する住民らが、ここ쌈지(サムジ)公園に虎岩を復元した。(2005年9月 釜山広域市水営区庁長)

本物の虎かとびっくりするほどだったという当時の岩を見てみたくなった。

復元された 「虎岩」 の近くには、수영성(水営城)の 「장대 터」(将台址)もあった(▼)。

虎に間違われた岩

案内文によると、ここは朝鮮時代、慶尚左道の水軍節度使営城の城台があった場所だそう。将台とは、将師が軍事を指揮できるよう高い場所に築かれた施設。この将台は、海から侵入してくる敵の動きを監視する척후처(斥候処)である첨이대(覘夷台)と、望鏡台からの合図(連絡)を受け指示を下す軍事指揮所だった。将台には、水軍が武術を磨いた練武亭もあり、毎年10月、左水使が直接兵士の武芸を試験していた。

ここはまた、1868年8月、朝鮮政府の天主教迫害により、天主教徒の이정식(イ・ジョンシク/李廷植)ら信徒8人が斬首刑にされた場所でもあるそうだ。

現在、将台は残っていないが、장대꼴(将台谷)と呼ばれる谷が付近にありその名残をとどめている。

1872年当時の慶尚左水営営址図形(▼)。

虎に間違われた岩

さらに、水営城の将台址のそばには、「虎岩〇」 という扁額がかかったお堂があった(3文字中1文字は判読できず)。案内文によると、広安里(クァンアルリ)の先祖の志を称える祭堂だそうだ。もとは広安洞山55番地にあったものを、現在の場所に移し、先祖が残した美風良俗を継承し増進させ、大切に守っていこうという意味を込めているそうだ。

虎に間違われた岩

祭堂の建立記念碑に書かれている案内文によると、

広安里の동제(村の守り神)の歴史は、西暦1600年頃から広安里で暮らしていたキム氏・パク氏・アン氏・オ氏の先祖4人が、私邸を寄付して村共有の田をつくり、これに地方の有志が加わって今日に至っている。毎年、旧暦1月15日には、祭官に選ばれた洞神祭委員は、数ヶ月前から心身を清め金蓮山(クムニョンサン)の山神を訪ね祭祀を執り行い、村の平和と住民の無事を祈る。

虎に間違われた岩



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