2012年12月24日
釜山の夕日 4
つづき
復路は往路よりは乗客数は少し少なかったようだ。しかし、例の ランニングウェア(?)のあとのおばさんを含む 「宮崎マラソン選手団」 や 「大韓ライオンズ」 など、往路でも一緒だった団体も乗船していた。


自分の部屋に荷物を置き、また例の展望ラウンジへ行こうとしていると、部屋の前で韓国人のおばさんが 「アンニョンハセヨ」 とにこやかに声をかけてくれた。私は誰だか気が付かず、ただ挨拶を返して行こうとしたら、「行きも同じでしたね」 と。そう言われてようやく気がついた。日本へは通訳案内士の面接試験を受けに行っていたとのこと。流暢に日本語を話される。
その方もおひとりのようだったが、私は船内で作業したいことがあったので 「ではまた後ほど」 と挨拶して、展望ラウンジへ向かった。

ニューかめりあ号が出港する前に、高速船が出港したり入港したり。フェリーの中から見ると、より小さく見える。
定刻の12:30よりやや早めに船は動き出した。波は2mほどだそうで、往路よりは揺れもマシだった。ただ風が強く危険とのことで、デッキへ出ることは禁止されていた。

しかし、最初はマシだと思っていた揺れも、途中からけっこう強くなってきた。船が通過する場所にもよるのだろう。
やがて日が傾いてきた。17時頃の夕日(▼)。






つづく
復路は往路よりは乗客数は少し少なかったようだ。しかし、例の ランニングウェア(?)のあとのおばさんを含む 「宮崎マラソン選手団」 や 「大韓ライオンズ」 など、往路でも一緒だった団体も乗船していた。
自分の部屋に荷物を置き、また例の展望ラウンジへ行こうとしていると、部屋の前で韓国人のおばさんが 「アンニョンハセヨ」 とにこやかに声をかけてくれた。私は誰だか気が付かず、ただ挨拶を返して行こうとしたら、「行きも同じでしたね」 と。そう言われてようやく気がついた。日本へは通訳案内士の面接試験を受けに行っていたとのこと。流暢に日本語を話される。
その方もおひとりのようだったが、私は船内で作業したいことがあったので 「ではまた後ほど」 と挨拶して、展望ラウンジへ向かった。
ニューかめりあ号が出港する前に、高速船が出港したり入港したり。フェリーの中から見ると、より小さく見える。
定刻の12:30よりやや早めに船は動き出した。波は2mほどだそうで、往路よりは揺れもマシだった。ただ風が強く危険とのことで、デッキへ出ることは禁止されていた。
しかし、最初はマシだと思っていた揺れも、途中からけっこう強くなってきた。船が通過する場所にもよるのだろう。
やがて日が傾いてきた。17時頃の夕日(▼)。
つづく
Posted by dilbelau at 08:51│Comments(0)
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