2012年01月24日
学生さん! 譲ってあげてください!
先日バスに乗っていたときのこと。車内はけっこう混み合い、立っている人も多かった。私も吊革につかまり揺られていた。
ある停留所で停車したとき、運転手が 「高齢者や身体の不自由な人に席を譲る美徳を備えましょう」 という放送を流した。
バス車内では次の停留所の案内放送の他に、「安全のため必ず手すりにおつかまりください」、「お降りになるときは、バスが完全に停車してから安全に降車してください」 などのような放送があり、運転手がスイッチを押すと車内に流れるようになっている。
このときの運転手が 「高齢者や身体の・・・」 という放送を流したのは、どうやら年輩の人が乗ってきたからのようだった。乗客が多く、私の立っていた場所からは前方ドアの方は見えなかったが、この放送を流した直後、運転手が 「学生さん!席を譲ってあげてください!」 と、特定の人に向かって大きな声で叫んだ。
年輩の人が乗ってきて、運転手からすれば「当然あの学生が席を立って譲るだろう」 と思っていた学生が、席を譲る気配を見せなかったので、「そこの学生さん!」 と人物を指定して席を譲るよう促したようだ。
ほどなくしてバスの後方に移動してきた若い男性が、席を譲るように 「指名」 された 「学生さん」 のようだった。少々バツが悪そうに見えたのは気のせいだろうか。
韓国では地下鉄でもバスでも、年輩の人が乗ってきたら席を譲るという習慣が、日本以上に発達しているように感じる。一目見て、当然席を譲るべきと感じるご年配の方から、見た感じでは(席を譲るべきかどうか)微妙な感じの中高年の方までさまざまだが、えてして微妙な年代のおばさんからは、無言の圧力を感じるケースが多い。「当然譲ってくれるわよね」 という無言のプレッシャーを放ちながら目の前に立たれると、並みの神経ではそのまま座り続けることはできない。
そういうプレッシャーの有無に関わらず、年輩の人には席を譲る(年輩の人を尊重する)という習慣は、韓国では昔から強いようだ。
しかし、韓国でも最近そういう習慣が失われつつあるという声も時々耳にする。年輩の人が乗ってきても席を譲らず、平気で狸寝入りする若者も増えてきていると。「学生さん!席を譲ってあげて下さい!」 と叫んだバスの運転手さんも、常日頃からバス車内の様子を見て、いろいろ感じるところがあったのかもしれない。
若い人には若い人で 「私だって疲れて乗っているのに、たまには座りたいときもある」 という言い分もあるだろう。いずれにしても、日本ではもちろん韓国でも、運転手が特定のある人物に向かって、席を譲るよう強い口調で言う場面に出くわしたのは初めてだったので、印象に残った。

ある停留所で停車したとき、運転手が 「高齢者や身体の不自由な人に席を譲る美徳を備えましょう」 という放送を流した。
バス車内では次の停留所の案内放送の他に、「安全のため必ず手すりにおつかまりください」、「お降りになるときは、バスが完全に停車してから安全に降車してください」 などのような放送があり、運転手がスイッチを押すと車内に流れるようになっている。
このときの運転手が 「高齢者や身体の・・・」 という放送を流したのは、どうやら年輩の人が乗ってきたからのようだった。乗客が多く、私の立っていた場所からは前方ドアの方は見えなかったが、この放送を流した直後、運転手が 「学生さん!席を譲ってあげてください!」 と、特定の人に向かって大きな声で叫んだ。
年輩の人が乗ってきて、運転手からすれば「当然あの学生が席を立って譲るだろう」 と思っていた学生が、席を譲る気配を見せなかったので、「そこの学生さん!」 と人物を指定して席を譲るよう促したようだ。
ほどなくしてバスの後方に移動してきた若い男性が、席を譲るように 「指名」 された 「学生さん」 のようだった。少々バツが悪そうに見えたのは気のせいだろうか。
韓国では地下鉄でもバスでも、年輩の人が乗ってきたら席を譲るという習慣が、日本以上に発達しているように感じる。一目見て、当然席を譲るべきと感じるご年配の方から、見た感じでは(席を譲るべきかどうか)微妙な感じの中高年の方までさまざまだが、えてして微妙な年代のおばさんからは、無言の圧力を感じるケースが多い。「当然譲ってくれるわよね」 という無言のプレッシャーを放ちながら目の前に立たれると、並みの神経ではそのまま座り続けることはできない。
そういうプレッシャーの有無に関わらず、年輩の人には席を譲る(年輩の人を尊重する)という習慣は、韓国では昔から強いようだ。
しかし、韓国でも最近そういう習慣が失われつつあるという声も時々耳にする。年輩の人が乗ってきても席を譲らず、平気で狸寝入りする若者も増えてきていると。「学生さん!席を譲ってあげて下さい!」 と叫んだバスの運転手さんも、常日頃からバス車内の様子を見て、いろいろ感じるところがあったのかもしれない。
若い人には若い人で 「私だって疲れて乗っているのに、たまには座りたいときもある」 という言い分もあるだろう。いずれにしても、日本ではもちろん韓国でも、運転手が特定のある人物に向かって、席を譲るよう強い口調で言う場面に出くわしたのは初めてだったので、印象に残った。

Posted by dilbelau at 21:34│Comments(2)
│その他いろいろ
この記事へのコメント
本当ですね。
最近はスマートフォンで音楽聴いて知らんふり
みたいな若者が増えました。
儒教精神もなくなってきてるのかなあ?
ちょっと寂しい気もします。
最近はスマートフォンで音楽聴いて知らんふり
みたいな若者が増えました。
儒教精神もなくなってきてるのかなあ?
ちょっと寂しい気もします。
Posted by アジョシ at 2012年01月25日 18:30
アジョシ さま
そうみたいですよ。
あと、ご近所づきあいも以前とは随分変わってきていると聞きます。
アパートの隣の住人と話したこともない、というケースも少なくないとか。
時代の変化でしょうかね。
そうみたいですよ。
あと、ご近所づきあいも以前とは随分変わってきていると聞きます。
アパートの隣の住人と話したこともない、というケースも少なくないとか。
時代の変化でしょうかね。
Posted by dilbelau
at 2012年01月25日 21:19
