2011年04月30日
漁坊祭りパレード
毎年4月に広安里で開かれる 「광안리어방축제(広安里漁坊祭り)」 が、今年も4月22~24日の3日間行われた。今年で11回目を迎えたこの祭りは、昨年は天安号撃沈事件の影響を受け6月に延期されて行われた。
さて、「漁坊(オバン)祭り」 という名前の由来はというと・・・、
水営(スヨン)地方(現在の水営区)は昔から魚が豊富で、釜山地域で最も古くから漁業が発達していた場所として知られている。慶尚左水営に漁坊(今で言う漁業組合)を置き、漁業の振興のため指導的役割を果たしていたのが 「左水営漁坊」 だった。
このような水営地方の伝統を伝えていくために 「漁坊(オバン)」 という名前をつけた 「広安里漁坊祭り」 は、2001年から行われている。釜山の代表的な春の祭りとして知られ、祭りを通して漁村の民俗を紹介しているのは全国でも唯一だろう。
残念ながら初日の22日(金)は一日中強い雨で、(実際に海辺に行って確認したわけではないが) 恐らくあの雨では用意されていたイベントは全て中止になったのではないかと思う。
23日(土)は朝から各種イベントがビーチで行われており、16時からはパレードが通り賑やかに祭りの雰囲気を盛り上げた。水営区役所を出発したパレードは、ちょうどうちのアパートの前の道路を通ってビーチ方面へ。
パレードと言えば2008年の4月、釜山で暮らし始めてまだ2ヶ月だったときのことを思い出す。当時はまだこんな祭りがあることも知らず、家でアイロンをかけていたら外から何やら賑やかな音楽が聞こえてきた。ベランダからのぞくとパレードが。慌てて下りて行きパレードを見物していたとき、初めて韓国人の友人Hさんに出会ったのだった。あれから 「まだ3年」 のようでもあり、「もう3年」 のようでもある。
さて、今回のパレードも陸軍の軍楽団の演奏を先頭にやってきた。


水色のかぶりものは水営区のキャラクター(▼)。胸に 「S」 の文字が見えているこのキャラクターの名前は 「수아(スア)」。もう1人(?) 同じようなデザインで緑色のキャラクターがいて、そちらは 「영이(ヨンイ)」 という名前。2人の名前の頭文字をとると水営区の 「수영(スヨン)」 になるというわけだ。

続いて海洋少年少女団(▼)などが続く。


つづく
さて、「漁坊(オバン)祭り」 という名前の由来はというと・・・、
水営(スヨン)地方(現在の水営区)は昔から魚が豊富で、釜山地域で最も古くから漁業が発達していた場所として知られている。慶尚左水営に漁坊(今で言う漁業組合)を置き、漁業の振興のため指導的役割を果たしていたのが 「左水営漁坊」 だった。
このような水営地方の伝統を伝えていくために 「漁坊(オバン)」 という名前をつけた 「広安里漁坊祭り」 は、2001年から行われている。釜山の代表的な春の祭りとして知られ、祭りを通して漁村の民俗を紹介しているのは全国でも唯一だろう。
残念ながら初日の22日(金)は一日中強い雨で、(実際に海辺に行って確認したわけではないが) 恐らくあの雨では用意されていたイベントは全て中止になったのではないかと思う。
23日(土)は朝から各種イベントがビーチで行われており、16時からはパレードが通り賑やかに祭りの雰囲気を盛り上げた。水営区役所を出発したパレードは、ちょうどうちのアパートの前の道路を通ってビーチ方面へ。
パレードと言えば2008年の4月、釜山で暮らし始めてまだ2ヶ月だったときのことを思い出す。当時はまだこんな祭りがあることも知らず、家でアイロンをかけていたら外から何やら賑やかな音楽が聞こえてきた。ベランダからのぞくとパレードが。慌てて下りて行きパレードを見物していたとき、初めて韓国人の友人Hさんに出会ったのだった。あれから 「まだ3年」 のようでもあり、「もう3年」 のようでもある。
さて、今回のパレードも陸軍の軍楽団の演奏を先頭にやってきた。
水色のかぶりものは水営区のキャラクター(▼)。胸に 「S」 の文字が見えているこのキャラクターの名前は 「수아(スア)」。もう1人(?) 同じようなデザインで緑色のキャラクターがいて、そちらは 「영이(ヨンイ)」 という名前。2人の名前の頭文字をとると水営区の 「수영(スヨン)」 になるというわけだ。
続いて海洋少年少女団(▼)などが続く。
つづく
Posted by dilbelau at 09:14│Comments(0)
│広安里漁坊祭り