2010年05月30日

噂のハヤリア基地跡へ

先日、夫と 「ハヤリア」 へ行ってきた。初めて 「ハヤリア」 という言葉を聞いたときは、日本語のようでもありそうでもないようなその不思議な言葉から、それが米軍基地の名前だったとは想像もつかなかった。

西面に程近いところに位置する 「ハヤリア」 は、以前は米軍の基地として使用され、さらにもっと昔は日本軍の訓練所や日本が整備した競馬場であったという。

歴史をさかのぼること今から100年前。
1910年に日本が韓国を併合し植民地支配を始め、その後1920年にはこの土地を日本が競馬場として使用していた。その後、第2次世界大戦中は、日本軍隊(東南アジア徴用軍)の訓練および野営地として使用。

その後1945年、植民地からの解放後は駐韓米軍基地司令部が入ったが、1948年の政府樹立とともに解体、撤収。米軍の撤収後は、アメリカ領事館と国連傘下の関係者が使用していた。

1950年の朝鮮戦争勃発後は、駐韓米軍釜山基地司令部が設置され、以後米軍が駐屯していた。

「ハヤリア」 という名前は、アメリカ・フロリダ州にある都市の名前(Hialeah)で、この基地をハヤリアと名付けたのは、1950年9月に在韓米軍釜山基地司令部が駐屯し、当時の初代司令官の故郷である 「ベース・ハヤリア」 にちなんだもので、「ハヤリア」 はインディアン語で 「美しい草原」 という意味なのだそうだ。

そんなハヤリア部隊の役目はというと、部隊内の安全、生活環境・常駐部隊の支援、合同参謀本部関連の作戦参与、戦闘支援の役割遂行などだったそうだ。

その後、2006年8月10日に基地が閉鎖され、2010年1月13日に基地がアメリカ側から韓国国防部へと返還された。1910年に日本の支配下に入って以来、実に100年ぶりに韓国の土地として戻ってきたハヤリア基地跡。

そんなハヤリア基地跡を、今年4月24日から9月31日までという期間限定で、市民に無料で一般公開しているのだ。一般公開の期間後は、約16万坪というこの広大な土地を市民公園として生まれ変わらせるべく、大規模な工事に取り掛かるとのこと。つまりハヤリアの基地跡の姿は、公園造成工事に入る前の9月末までしかお目にかかれないというわけだ。

一般公開が始まった当初は、ニュースでも取り上げられており、公開初日の24日(土)には5,600余名、25日(日)には10,400余名と週末だけで16,000名余りの人々がここを訪れたそうだ。

さて、ハヤリア散策前に、その付近で腹ごしらえした私たちは正門へと向かう。2008年に開館した国立釜山国楽院の、通りをはさんでちょうど向かい側にある。

正門へと続く長い塀に沿って、バラの花が植えられておりちょうど見ごろになっていた。

噂のハヤリア基地跡へ

美しいバラが咲き誇る塀の向こう側が米軍基地跡だったとは、知らなければ想像できないほど、街のど真ん中に位置するといった感じだ。

バラの花の眺めを楽しみながら塀沿いに歩いていくと、やがて正門に到着。

噂のハヤリア基地跡へ

正門のそばには敷地内の案内板。ハヤリアの敷地内は一般開放されているとはいえ、どこでも通行してよいというわけではない。一般市民の散策用にはAコース(所要約90分)とBコース(同60分)が整備されてあり、それ以外の区域へは進入禁止となっている。

噂のハヤリア基地跡へ

つづく


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