2009年10月31日

'09.10.31(土)「キムチの恩人」 に会いに

あれはいつ頃だっただろうかと、「キムチの恩人」 というキーワードで自分の過去記事を検索してみる。
なんと、5月28日。もう5ヶ月も前のことだった。

Sオンニが持ってきてくださった大きなスイカに種がほとんどなかったことから、オンニに教えてもらった 「우장춘(禹長春)」 というある人の名前。オンニは、種なしスイカを発明した有名な人だと教えてくれた。

その後調べてみると、韓国人の父と日本人の母の間に日本で生まれた우장춘さん。日本名は須永長春さん。
農学博士であり、生涯を農学の研究・発展のために捧げた人だそうだ。

実は種なしスイカは、研究の過程で人々に育種学とは何かを知ってもらうために作ったもので、もともと発明したのは別の人だったそうだ。

さて、彼が何故韓国で有名な農学者だったかというと、朝鮮戦争後の混乱期、韓国人にはなくてはならないキムチを作るための白菜や大根などの種子を韓国で大量生産したことから、「キムチの恩人」 あるいは 「韓国近代農業の父」 と称えられているのだそうだ。

そんな彼の記念館が東莱にあると知り、いつか行ってみたいと思いつつ、なかなか行くタイミングがなかったのだがやっと先日訪ねてみることができた。

09.10.31(土)「キムチの恩人」 に会いに

建物の正面には、彼の胸像。↓↓
胸像の横の案内板には、韓国語・英語・日本語の説明が。

「この記念館は、韓国の園芸発展に大きく貢献した禹長春博士の業績を記念するため、博士が研究活動したゆかりの地に建てられた。
 禹長春博士は種(しゅ)の合成を実証した論文 「白菜属作物のゲノム(Genom)分析」 を発表した世界的な学者として日本で活動した。日本の終戦後帰国し、国立園芸特作科学院の前身である韓国農業科学研究所の初代所長に就任、卓越した育種知識と技術を生かして韓国での園芸発展の礎を築いた。
 この記念館を通じ、禹長春博士のたゆまぬ研究精神と育種学に対する世界的な業績を永遠にたたえる。」

09.10.31(土)「キムチの恩人」 に会いに

入り口を入ると、韓国語の他に英語や日本語・中国語で書かれたリーフレットが置いてあり、彼の年譜や当時の写真などが目に入る。

それほど大きくはない建物だが、1階・2階に彼にゆかりのある品々や写真パネルがたくさん展示してある。

つづく


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