2009年05月29日

'09.5.29(金)キムチの恩人

今朝、Sオンニが大きなスイカを持ってきてくれたので、早速切って一緒に食べていたときの話。

「スイカの種もねー、出さずに食べたらいいって聞いたわよ。そのまま飲み込むじゃなくて噛んでからね。」 とオンニ。

早速試してみる。噛み砕くことはできるのだが、やはり飲み込んだあと種の硬い部分が口の中に残り、あまりおいしいというものではない。まあ、ひまわりの種のように、”種子” には栄養分があるようなので、スイカの種もしかりなのかもしれないが…。

「このスイカ、種少ないわねー。そういえば、우장춘博士のこと知ってる?種なしスイカを発明した人。日本で研究してたって聞いてるけど。知らない?우장춘博士。日本でも有名だと思ったんだけど…」

私が知らなかっただけで、その後帰宅した夫に聞いてみると 「知ってる、知ってる。」

09.5.29(金)キムチの恩人

Wikipediaで調べてみると、

禹長春(우장춘=ウ・ジャンチュン、日本名:須永 長春)さんは、韓国人の父と日本人の母の間に日本で生まれ、日本で育ったそうだ。
1936年には、論文「種の合成」で東京帝国大学より農学博士号を取得、その後も農学の研究を生涯続けられたのだそうだ。

日本で日本人と結婚し子供も6人生まれたが、1948年大韓民国樹立後の混乱の中、食糧不足で国民が苦しんでいた時期に 「今の韓国に来て種子の問題を解決してくれる人は禹長春しかいない」 という韓国政府の要請を受け、1950年52歳のとき、妻子を日本に残して単身渡韓したのだそうだ。

翌1951年朝鮮戦争が勃発。1953年には日本にいる最愛の母が亡くなったとの知らせを受け、日本への帰国を大統領にまで嘆願したが許されず、韓国へ渡って9年後の1959年、二度とは日本の土を踏むことなく病のために韓国で亡くなったのだそうだ。

さて、「種なしスイカ」 についてだが、実は彼が発明者ではないそうだ。

種無しスイカは日本の遺伝学者・木原均博士が発明したもので、禹長春氏が育種学とは何かを分かってもらおうと種無しスイカを作り、人々の前でスイカを切ったところ、種の無いスイカに人々は仰天し "禹先生が種無しスイカを作った" → "発明した" と一人歩きして今日に至るという逸話が残っているそうだ。

だが、彼は韓国人にとってなくてはならないキムチの材料、白菜と大根の種子を韓国で作って大量生産したことから、「キムチの恩人」 あるいは 「韓国近代農業の父」として有名で、韓国では道徳の教科書にものっていることから、韓国人で彼のことを知らない人はいないといわれるほどなのだそうだ。

また亡くなる直前に韓国政府は禹長春氏に、韓国国民にとって最高の名誉である大韓民国文化褒章を贈り、葬儀は国葬に準じる社会葬として行われたそうだ。

彼が韓国で試験農場を置いた、釜山市内の東莱に禹長春博士記念館があるそうだ。
食べる量は韓国人の足元にも及ばないが、私もこちらでキムチをたくさん食べているので、これを機に一度記念館を訪れてみたいと思う。


同じカテゴリー(文化・芸術・エンタメ)の記事
35年間、歌一筋に 5
35年間、歌一筋に 5(2013-11-29 08:44)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
'09.5.29(金)キムチの恩人
    コメント(0)