2012年06月17日
創作ミュージカル 『イ・スンシン』 1
先日、釜山日報に、6月5日から 「文禄・慶長の役特別展」 が開かれるという記事がのっていた(6月4日21面▼)。今年が、文禄・慶長の役420周年であることを記念したイベントだそう。
文禄・慶長の役は1592年(宣祖25年)4月に日本軍が朝鮮に侵入し、1598年11月まで7年にわたり朝鮮半島で起こった戦争である。戦争の間、釜山は日本軍の侵入地や残留地として利用され、大きな被害を受けた。中でも東莱(トンネ)城での戦いの激しさは、城堀から見つかった遺骨が物語っている。400年後の今も鮮明に傷跡が残る頭蓋骨、あちこちに散らばる刀や矢じりなど・・・。それらの遺物は文禄・慶長の役を記憶している。
釜山博物館は文禄・慶長の役420周年を迎え、6月5日から 「文禄・慶長の役特別展」 を開く。釜山関連の遺物を中心に 「文禄・慶長の役と釜山」、「戦争を伝える」、「戦争を記憶する」 のテーマで構成される。今回展示する約200点の遺物は国立中央博物館、国立故宮博物院など全国17の機関や個人の所蔵品で、国宝1点、宝物7点も含まれる。
東莱府には他のどの場所より戦争の傷跡が残っている。東莱城が日本軍を相手に最後まで戦ったいきさつは 「殉節図(戦いを記録した絵)」 に残され、その意味を後世につたえている。だが、その殉節図も植民地時代やその後の時代を経て、現在釜山には1点も残っていない。今回の特別展では全国に散在する殉節図をすべて集めた。「東莱府殉節図(宝物392号)」と「釜山鎮(プサンジン)殉節図(宝物391号)」 などの計5点だ。
地下鉄4号線・寿安(スアン)駅の建設中、東莱城南門付近の堀から出土した資料も展示される。殺害された人の骨6点や鎧、武器など、当時の戦闘様子を実証するデータを体系的に整理した。人骨の展示は、見物客に配慮するため別途スペースがとられた。
さらに注目すべき展示は顕忠祠(ヒョンチュンサ)の所蔵遺物である。「壬辰壮草(国宝第76号)」 は 「乱中日記」 に付随するもので、李舜臣(イ・スンシン)の主な戦闘の経過、日本軍の状況、軍事上の提案事項、戦場の経費や準備状況などが正確に書かれ、朝廷に差し出されたものである。ここには、当時の戦況や軍事支援体制に関する事項が詳しく記録されている。
イ・スンシンに宣武一等功臣德豊府院君の地位を与え1604年に下された 「宣武功臣教書(宝物第1564号)」、1596年イ・スンシン以下各軍の軍師たちに賞を与え、祝宴を開き、ねぎらいのことばが書かれた 「宣諭犒賞敎書(宝物第1564号)」 も展示される。宣武功臣教書は顕忠祠に所蔵されてから、外部へ持ち出されるのはこれが初めてだ。釜山博物館のペク・ソンヨン学芸員は 「近々補修されるため、釜山博物館の展示後はしばらく見られなくなる」 と話した。
今回の展示で初めて公開される物もある。文禄・慶長の役で、明の提督として参戦し、朝鮮に帰化して上谷麻氏一族となった麻貴提督の遺影(慶尚南道文化財資料第419号)と鉄剣(慶尚南道文化財資料第446号)だ。今回の特別展は戦争後に朝鮮に残った帰化人だけでなく、朝鮮人捕虜の記録も見られる。
開幕式は4日午後5時、プサン博物館企画展示室入口のロビーで開かれる。開幕式に先立ち、同日午後3時、釜山博物館大講堂にて、「文禄・慶長の役の前後、プサン地域社会の変化」 というテーマでキム・ガンシク東西大学教授の特別招請講演会がある。午後7時からは演戯団 「거리패(コリペ)」 のミュージカル 「이순신(イ・スンシン)」 が博物館の中庭で行われる。 ▶文禄・慶長の役特別展= 5日から7月29日まで釜山市南区大淵洞・釜山博物館企画展示室。 051-610-7145。
夫と私は、4日19時からの創作ミュージカル 「イ・スンシン」 を見に行った。釜山博物館の正門の向こうに、ステージや客席が設置されているのが見える。


この時点で開演40分前だが、すでに前列の方には観客が座って待っていた。この後、続々と観客が訪れて満席になり、立ち見の人もたくさんいたほど盛況だった。


つづく
*****
文禄・慶長の役は1592年(宣祖25年)4月に日本軍が朝鮮に侵入し、1598年11月まで7年にわたり朝鮮半島で起こった戦争である。戦争の間、釜山は日本軍の侵入地や残留地として利用され、大きな被害を受けた。中でも東莱(トンネ)城での戦いの激しさは、城堀から見つかった遺骨が物語っている。400年後の今も鮮明に傷跡が残る頭蓋骨、あちこちに散らばる刀や矢じりなど・・・。それらの遺物は文禄・慶長の役を記憶している。
釜山博物館は文禄・慶長の役420周年を迎え、6月5日から 「文禄・慶長の役特別展」 を開く。釜山関連の遺物を中心に 「文禄・慶長の役と釜山」、「戦争を伝える」、「戦争を記憶する」 のテーマで構成される。今回展示する約200点の遺物は国立中央博物館、国立故宮博物院など全国17の機関や個人の所蔵品で、国宝1点、宝物7点も含まれる。
東莱府には他のどの場所より戦争の傷跡が残っている。東莱城が日本軍を相手に最後まで戦ったいきさつは 「殉節図(戦いを記録した絵)」 に残され、その意味を後世につたえている。だが、その殉節図も植民地時代やその後の時代を経て、現在釜山には1点も残っていない。今回の特別展では全国に散在する殉節図をすべて集めた。「東莱府殉節図(宝物392号)」と「釜山鎮(プサンジン)殉節図(宝物391号)」 などの計5点だ。
地下鉄4号線・寿安(スアン)駅の建設中、東莱城南門付近の堀から出土した資料も展示される。殺害された人の骨6点や鎧、武器など、当時の戦闘様子を実証するデータを体系的に整理した。人骨の展示は、見物客に配慮するため別途スペースがとられた。
さらに注目すべき展示は顕忠祠(ヒョンチュンサ)の所蔵遺物である。「壬辰壮草(国宝第76号)」 は 「乱中日記」 に付随するもので、李舜臣(イ・スンシン)の主な戦闘の経過、日本軍の状況、軍事上の提案事項、戦場の経費や準備状況などが正確に書かれ、朝廷に差し出されたものである。ここには、当時の戦況や軍事支援体制に関する事項が詳しく記録されている。
イ・スンシンに宣武一等功臣德豊府院君の地位を与え1604年に下された 「宣武功臣教書(宝物第1564号)」、1596年イ・スンシン以下各軍の軍師たちに賞を与え、祝宴を開き、ねぎらいのことばが書かれた 「宣諭犒賞敎書(宝物第1564号)」 も展示される。宣武功臣教書は顕忠祠に所蔵されてから、外部へ持ち出されるのはこれが初めてだ。釜山博物館のペク・ソンヨン学芸員は 「近々補修されるため、釜山博物館の展示後はしばらく見られなくなる」 と話した。
今回の展示で初めて公開される物もある。文禄・慶長の役で、明の提督として参戦し、朝鮮に帰化して上谷麻氏一族となった麻貴提督の遺影(慶尚南道文化財資料第419号)と鉄剣(慶尚南道文化財資料第446号)だ。今回の特別展は戦争後に朝鮮に残った帰化人だけでなく、朝鮮人捕虜の記録も見られる。
開幕式は4日午後5時、プサン博物館企画展示室入口のロビーで開かれる。開幕式に先立ち、同日午後3時、釜山博物館大講堂にて、「文禄・慶長の役の前後、プサン地域社会の変化」 というテーマでキム・ガンシク東西大学教授の特別招請講演会がある。午後7時からは演戯団 「거리패(コリペ)」 のミュージカル 「이순신(イ・スンシン)」 が博物館の中庭で行われる。 ▶文禄・慶長の役特別展= 5日から7月29日まで釜山市南区大淵洞・釜山博物館企画展示室。 051-610-7145。
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夫と私は、4日19時からの創作ミュージカル 「イ・スンシン」 を見に行った。釜山博物館の正門の向こうに、ステージや客席が設置されているのが見える。
この時点で開演40分前だが、すでに前列の方には観客が座って待っていた。この後、続々と観客が訪れて満席になり、立ち見の人もたくさんいたほど盛況だった。
つづく
Posted by dilbelau at 08:43│Comments(0)
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