2012年03月10日
40階段 1
先日、出入国管理事務所に行く用があったのだが、その前に中央洞付近で昼食を食べることにした。夫との待ち合わせ時間より少し早く着いたので、久しぶりに 「40階段」 あたりをぶらぶら。
大きな車道(중앙대로=中央大路)から 「40階段」 へと続く道には、観光用に線路などがデザインされている。この道以外にも、周辺は 「40階段テーマストリート」 として整備されている。中央大路から曲ってすぐのところにあるのが 「お母さんの心」 という銅像(▼)。

線路に沿って 「40階段」 の方へさらに進むと、記念写真用のパネル(▼)。

이명세(イ・ミョンセ)監督、안성기(アン・ソンギ)・박중훈(パク・ジュンフン)・ 최지우(チェ・ジウ)ら出演の映画 『인정사정 볼 것 없다(人情事情お構いなし)』(1999)のロケ地として、ここ 「40階段」 が使われたことにちなんでのパネルだ。

裏面には、『人情事情お構いなし』 のシーンや、釜山でロケが行われた映画のポスターなど(▼)。

この写真パネルと 「40階段」 の間には、ポン菓子職人と子供の銅像(▼)。今にも大きな音が聞こえてきそうだ。

「40階段」 は、このポン菓子の銅像の目の前(▼)。

朝鮮戦争(1950~53)当時、釜山へと押し寄せてきた避難民たちがこの階段周辺でも暮らしていた。言うまでもなく石段の数が40あるので 「40階段」。避難民たちは日々どんな思いでこの階段を上り下りしていたのだろう。

階段を上がってすぐのところには 「40階段文化会館」 がある。
つづく
大きな車道(중앙대로=中央大路)から 「40階段」 へと続く道には、観光用に線路などがデザインされている。この道以外にも、周辺は 「40階段テーマストリート」 として整備されている。中央大路から曲ってすぐのところにあるのが 「お母さんの心」 という銅像(▼)。
線路に沿って 「40階段」 の方へさらに進むと、記念写真用のパネル(▼)。
이명세(イ・ミョンセ)監督、안성기(アン・ソンギ)・박중훈(パク・ジュンフン)・ 최지우(チェ・ジウ)ら出演の映画 『인정사정 볼 것 없다(人情事情お構いなし)』(1999)のロケ地として、ここ 「40階段」 が使われたことにちなんでのパネルだ。
裏面には、『人情事情お構いなし』 のシーンや、釜山でロケが行われた映画のポスターなど(▼)。
この写真パネルと 「40階段」 の間には、ポン菓子職人と子供の銅像(▼)。今にも大きな音が聞こえてきそうだ。
「40階段」 は、このポン菓子の銅像の目の前(▼)。
朝鮮戦争(1950~53)当時、釜山へと押し寄せてきた避難民たちがこの階段周辺でも暮らしていた。言うまでもなく石段の数が40あるので 「40階段」。避難民たちは日々どんな思いでこの階段を上り下りしていたのだろう。
階段を上がってすぐのところには 「40階段文化会館」 がある。
つづく
Posted by dilbelau at 09:05│Comments(7)
│その他釜山
この記事へのコメント
おはようございます!
上から5枚目の「ポン菓子職人と子供の銅像」に目が留まりました。
それは、とても懐かしい風景に出会えたからです。
まさに、こんな光景は自分でも、また多くの日本人の思い出に残っている風景ではないでしょうか?多分ですがdilbelauさんもね。。。
確かに「ポンッ !」という炸裂音には驚かされたものです。
この「ポン菓子」のルーツはそちら韓国なのでしょうか?
私は日本の「名物的風景」だと、ずっと思い込んでいましたよ。
それと昔はこの通りには「路面電車」が走っていたのでしょうか?
線路アートからそう思いました。
この街の雰囲気もとても素敵ですね!
そんな一角に「銅像」だなんて、たまらない「感動的風景」の演出ですね!
写真を撮りに行きたいくらいですよ。
もっと沢山見せてくださいね!
上から5枚目の「ポン菓子職人と子供の銅像」に目が留まりました。
それは、とても懐かしい風景に出会えたからです。
まさに、こんな光景は自分でも、また多くの日本人の思い出に残っている風景ではないでしょうか?多分ですがdilbelauさんもね。。。
確かに「ポンッ !」という炸裂音には驚かされたものです。
この「ポン菓子」のルーツはそちら韓国なのでしょうか?
私は日本の「名物的風景」だと、ずっと思い込んでいましたよ。
それと昔はこの通りには「路面電車」が走っていたのでしょうか?
線路アートからそう思いました。
この街の雰囲気もとても素敵ですね!
そんな一角に「銅像」だなんて、たまらない「感動的風景」の演出ですね!
写真を撮りに行きたいくらいですよ。
もっと沢山見せてくださいね!
Posted by hagi1
at 2012年03月10日 10:45

hagi1 さま
こんにちは。
おっしゃる通り私も子供の頃、このポン菓子が好きでした。あの大きな音が聞こえると、確かお米と砂糖を母に持たせてもらい、作ってもらいに行った記憶があります。
ルーツはどちらでしょう・・・。分かりません。
路面電車はこのあたりだけでなく、けっこう広い範囲で走っていたそうですよ。
hagi1 さんなら、きっと素敵な写真を撮られると思います。機会があればぜひ撮影にいらしてください。
こんにちは。
おっしゃる通り私も子供の頃、このポン菓子が好きでした。あの大きな音が聞こえると、確かお米と砂糖を母に持たせてもらい、作ってもらいに行った記憶があります。
ルーツはどちらでしょう・・・。分かりません。
路面電車はこのあたりだけでなく、けっこう広い範囲で走っていたそうですよ。
hagi1 さんなら、きっと素敵な写真を撮られると思います。機会があればぜひ撮影にいらしてください。
Posted by dilbelau
at 2012年03月10日 16:34

ありがとうございます。
そうした街角、いつか行って撮ってみたいです。
そうですね「お米と砂糖」持参して行きましたよねぇ。ホント懐かしい。
確か取材の時に撮った写真があったような・・・。探してみますね!あればブログアップします。
★ポン菓子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E8%8F%93%E5%AD%90
1901年ミネソタ大学の研究者だったアレクサンダー・ピアース・アンダーソンが、穀物の研究中、米が膨化することを発見した。米を試験管に入れオーブンで熱する工程で、誤って試験管に蓋をしてしまい、試験管を破裂させてしまったことにより、ガラスの破片の中から発見された。アンダーソンは特許を取得し、クエイカーオーツ社と手を組み、同社の研究所でさまざまなものが膨らむかどうかの実験を行った。その後、米のポン菓子を「パフライス」として売り出した。1904年にセントルイス万国博覧会で真鍮製の大砲でパフライスを作る派手なデモンストレーションを行って注目を集め、大衆に広く認知され、たちまち大人気となり広まった。
・・・と、そのルーツは「アメリカ」にあったのですね!驚きました!
また、路面電車の写真とかも観てみたくなりました。
こればかりは無理ですね。
そうした街角、いつか行って撮ってみたいです。
そうですね「お米と砂糖」持参して行きましたよねぇ。ホント懐かしい。
確か取材の時に撮った写真があったような・・・。探してみますね!あればブログアップします。
★ポン菓子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E8%8F%93%E5%AD%90
1901年ミネソタ大学の研究者だったアレクサンダー・ピアース・アンダーソンが、穀物の研究中、米が膨化することを発見した。米を試験管に入れオーブンで熱する工程で、誤って試験管に蓋をしてしまい、試験管を破裂させてしまったことにより、ガラスの破片の中から発見された。アンダーソンは特許を取得し、クエイカーオーツ社と手を組み、同社の研究所でさまざまなものが膨らむかどうかの実験を行った。その後、米のポン菓子を「パフライス」として売り出した。1904年にセントルイス万国博覧会で真鍮製の大砲でパフライスを作る派手なデモンストレーションを行って注目を集め、大衆に広く認知され、たちまち大人気となり広まった。
・・・と、そのルーツは「アメリカ」にあったのですね!驚きました!
また、路面電車の写真とかも観てみたくなりました。
こればかりは無理ですね。
Posted by hagi1
at 2012年03月10日 18:37

hagi1 さま
すごい!! 調べてくださったんですね。
一つ勉強になりました。ありがとうございました!!
ところで、「釜山でお昼を」 というサイトに市電のことが載っていました。
その1.http://nekonote.jp/korea/old/rail/siden-p.html
その2.http://nekonote.jp/korea/old/rail/siden-p2.html
他にも釜山に関する歴史やいろいろなことが、実に詳しく掲載されています。
とても面白いサイトですよ。
すごい!! 調べてくださったんですね。
一つ勉強になりました。ありがとうございました!!
ところで、「釜山でお昼を」 というサイトに市電のことが載っていました。
その1.http://nekonote.jp/korea/old/rail/siden-p.html
その2.http://nekonote.jp/korea/old/rail/siden-p2.html
他にも釜山に関する歴史やいろいろなことが、実に詳しく掲載されています。
とても面白いサイトですよ。
Posted by dilbelau
at 2012年03月10日 21:01

いやいや、ありがとうございます!
『明治42年6月(1909)に 釜山軌道株式會社が東莱温泉を利用する湯治客を運ぶため、釜山鎮から東莱温泉までの6哩(マイル)を結ぶ軽便鐵道を始めました。』
軽便鐵道は、この遠州地方にもありました。『軽便鐵道 奥山線』と言いました。
私が小学校の5年生くらい?の頃に廃線となってしまいました。
「らっきょう軽便」と言われる起動車を何度か見たことがあります。遠州鉄道の今は無き「遠鉄浜松駅」でです。その跡地には、今日一日掲載してきました「クリエート浜松」が建てられました。
『奥山線』については、跡地の写真をかなり撮り溜めましたので、いつかブログ掲載したいと思っています。膨大な枚数なので事前整理しないといけないです。
それと出来れば、早い内に利用者の「生の声」も収音しておきたいと思っています。この作業は早くしないと証言者が亡くなっていってしまいます。それだけ、時間が経ってますので当然ですね。
<並んでも食べたい 2> も素敵ですね!
どれも銅像がリアルゆえに、街角の一角に「異空間のホットスポット」が存在しているようです。当時の暮らしぶりが、街を歩いて「直感」出来るのですねぇ、素晴らしい。
『明治42年6月(1909)に 釜山軌道株式會社が東莱温泉を利用する湯治客を運ぶため、釜山鎮から東莱温泉までの6哩(マイル)を結ぶ軽便鐵道を始めました。』
軽便鐵道は、この遠州地方にもありました。『軽便鐵道 奥山線』と言いました。
私が小学校の5年生くらい?の頃に廃線となってしまいました。
「らっきょう軽便」と言われる起動車を何度か見たことがあります。遠州鉄道の今は無き「遠鉄浜松駅」でです。その跡地には、今日一日掲載してきました「クリエート浜松」が建てられました。
『奥山線』については、跡地の写真をかなり撮り溜めましたので、いつかブログ掲載したいと思っています。膨大な枚数なので事前整理しないといけないです。
それと出来れば、早い内に利用者の「生の声」も収音しておきたいと思っています。この作業は早くしないと証言者が亡くなっていってしまいます。それだけ、時間が経ってますので当然ですね。
<並んでも食べたい 2> も素敵ですね!
どれも銅像がリアルゆえに、街角の一角に「異空間のホットスポット」が存在しているようです。当時の暮らしぶりが、街を歩いて「直感」出来るのですねぇ、素晴らしい。
Posted by hagi1
at 2012年03月10日 23:45

hagi1 さま
そうでしたか。それにしても「らっきょう軽便」とはユニークなネーミングですね。
「奥山線」は楽しみにしています。
利用者さんの「生の声」も合わせて掲載されれば、まさに「遠州の記録屋」の一大作品となることでしょうね。
そうでしたか。それにしても「らっきょう軽便」とはユニークなネーミングですね。
「奥山線」は楽しみにしています。
利用者さんの「生の声」も合わせて掲載されれば、まさに「遠州の記録屋」の一大作品となることでしょうね。
Posted by dilbelau
at 2012年03月11日 08:58

そうですね。掲載、頑張りたいと思います。
Posted by hagi1
at 2012年03月11日 16:55
