2011年07月24日

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

つづき

おなかもいっぱいになったところで、いざ捕虜収容所遺跡公園へ。入場料は大人3,000w。

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

広い敷地内に点在する展示館を順に見て回るようになっている。以下、公園案内リーフレットより

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1950年6月25日午前4時、北朝鮮人民軍が38度線全域から一斉に奇襲南進を開始し、ソウルは3日で陥落。国軍は米軍とUN軍の支援により洛東江橋頭堡を確保する一方で、マッカーサー将軍の仁川(インチョン)上陸作戦により、戦況を逆転させるきっかけを作った。しかし100万人以上の中国共産軍の介入により、38度線を中心に再び熾烈な局地戦が展開された。

戦争中に増えた捕虜を収容するため、1951年から巨済島の古縣、水月地区を中心に捕虜収容所が設置された。人民軍の捕虜15万人、中国共産軍の捕虜2万人など、最大17万3,000人の捕虜を収容した。その中には300人余りの女性捕虜もいた。1951年7月10日に最初の休戦会談が行われたが、戦争捕虜問題については難航した。

特に、「反共捕虜」 と 「親共捕虜」 の間で殺傷事件が頻発し、1952年5月7日には収容所の司令官ドット准将が捕虜に拉致されるなど、冷戦時代の理念葛藤を縮小したような状況だった。

1953年韓国政府の一方的な反共捕虜釈放をきっかけに、1953年7月27日休戦協定が調印され、戦争は終わり収容所は閉鎖された。巨済島捕虜収容所は1983年12月20日に慶尚南道の文化財資料第99号に指定・保護された。

現在は一部の残存する建物や当時の捕虜の生活・幕舎・写真・衣服などの資料・記録物をもとに、巨済島捕虜収容所遺跡公園として生まれ変わり、戦争の歴史の生きた教育場・観光地として造成されている。

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入場してすぐのところにあるのは「噴水広場」(▼)。6・25(朝鮮戦争)に参戦した16カ国の国旗と国連旗が掲揚されている。

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

公園内の案内板も戦争関連の施設らしく、鉄帽がデザインされている。

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

「戦車展示館」(▼)。北朝鮮軍が南進の先鋒として使った旧ソ連製のT-34戦車を模した展示館。内部はエスカレーターになっており、左右に朝鮮戦争や捕虜収容所に関連する人物のパネルなどが展示してある。

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

戦車展示館の横には見張り塔があり、見張りをしている人の模型も(▼)。

巨済島-捕虜収容所遺跡公園-6

つづく


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