2010年05月31日
ヘリ場と司令部
つづき
日本時代の競馬トラックであり、その後の米軍基地時代の野営場であったまっすぐな舗装道路をさらに進んでいくと、左手に開けた空間が見えてくる(▼)。

ボールを持った子供たちが遊び、母親たちが木陰で休憩しているその空間は、昔のヘリコプター発着場だったそうだ。そういえば、今はもう消されているがアスファルトにヘリコプター用の文字や記号が書かれていた跡が見える。

さらに奥へと進むと、今度は小さなゴルフ練習場(▼)。

ゴルフ練習場というより、パターの練習場といった小さな小さなものだが、一応旗も立っている。

こちら(▼)は消防隊。米軍が駐屯していたときは4台の消防車があり、釜山鎮消防署と協約して火災などの救助活動に参与していたそうだ。

さらに道なりに進んでいくと、やがて司令部の建物に(▼)。内部が見学できるようになっている。

今ではもう机や家具が何もないので部屋はガランとした感じだが、1950年に朝鮮戦争が勃発した後は、ここが駐韓米軍釜山基地司令部として使用されていた。
当時は、司令官室・副司令官室・行政室・会議室として使われ、最初は大領が勤務していたが部隊閉鎖時には中領が勤務していたとのこと。
司令官室という表示のある扉をくぐると(▼)、中はさらにいくつもの小部屋に分かれている。外から見るよりも、内部はいくつもの部屋が複雑に入り組んでいた。

敷地内の道路はどこも幅が広く、また道路脇に植えられている並木の緑が美しくとても気持ちがいい。
また敷地内は自動車はもちろん、自転車も通行禁止となっているので歩行者は安心して散歩することができる。ところどころ、木陰に休憩用の椅子が設置されており、また簡易トイレも何ヶ所か設置されている。

つづく
日本時代の競馬トラックであり、その後の米軍基地時代の野営場であったまっすぐな舗装道路をさらに進んでいくと、左手に開けた空間が見えてくる(▼)。
ボールを持った子供たちが遊び、母親たちが木陰で休憩しているその空間は、昔のヘリコプター発着場だったそうだ。そういえば、今はもう消されているがアスファルトにヘリコプター用の文字や記号が書かれていた跡が見える。
さらに奥へと進むと、今度は小さなゴルフ練習場(▼)。
ゴルフ練習場というより、パターの練習場といった小さな小さなものだが、一応旗も立っている。
こちら(▼)は消防隊。米軍が駐屯していたときは4台の消防車があり、釜山鎮消防署と協約して火災などの救助活動に参与していたそうだ。
さらに道なりに進んでいくと、やがて司令部の建物に(▼)。内部が見学できるようになっている。
今ではもう机や家具が何もないので部屋はガランとした感じだが、1950年に朝鮮戦争が勃発した後は、ここが駐韓米軍釜山基地司令部として使用されていた。
当時は、司令官室・副司令官室・行政室・会議室として使われ、最初は大領が勤務していたが部隊閉鎖時には中領が勤務していたとのこと。
司令官室という表示のある扉をくぐると(▼)、中はさらにいくつもの小部屋に分かれている。外から見るよりも、内部はいくつもの部屋が複雑に入り組んでいた。
敷地内の道路はどこも幅が広く、また道路脇に植えられている並木の緑が美しくとても気持ちがいい。
また敷地内は自動車はもちろん、自転車も通行禁止となっているので歩行者は安心して散歩することができる。ところどころ、木陰に休憩用の椅子が設置されており、また簡易トイレも何ヶ所か設置されている。
つづく
Posted by dilbelau at 12:09│Comments(0)
│その他釜山