2010年04月23日

'10.4.23(金)藤本さん19歳の夏

つづく

しばらくして時間になると、司会の方の進行のもと各関係者の方が挨拶され、最後に藤本巧さんが挨拶をされた。

10.4.23(金)藤本さん19歳の夏

会場を訪れた人たちは壁を背にして立ち、藤本さん(写真左端の方)の言葉にじっと耳を傾ける。来場者のほとんどが韓国人で、日本人は私たちを含めても5~6人。藤本さんの話を、韓国人女性が日本語に通訳されていた。

10.4.23(金)藤本さん19歳の夏

控えめな語り口だが、韓国で写真を撮るようになった当時のことや、韓国への想いなどを語られる藤本さんは、何の気負いもなく実に自然体でいらっしゃるように見えた。

藤本さんと韓国の出会いは19歳のときだったそうだ。
以下、同じく 『STESSA vol.8 2010』 より
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「韓くにの旅」 の始まり

 藤本巧がはじめて韓国に渡ったのは、1969年、19歳の夏だった。そこには、彼が追い求めていた 「用」 の美と、地面から生えてきたような人びとが、存在していた。
 1949年、藤本は出雲大社の宮大工の家に生まれた。大学生のとき彼は、父の書棚に並んであった雑誌 『工藝』(柳宋悦創刊)を手にする。朝鮮朝時代の工芸の 「用」 の美に惹かれ、はじめて韓国の地を踏んだ。このとき見た石の飼葉桶と石切り職人の村の記憶が、藤本の仕事の原点となった。
 旅の最後の日、美術評論家の昔度輪(ソク・ドユン)と出会う。これまでの自己の美の認識を揺さぶられた藤本は、昔師とともに韓国の古寺を巡る。ときに古老たちとともに憩い、お葬式に出会わした。通度寺(トンドサ)で撮影された米蔵への梯子は、その時の写真である。

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今でこそ、日本からも大勢の観光客が訪れる韓国だが、40年前当時、19歳で単身韓国に渡るということが容易なことではなかったことは、私にも想像がつく。

そんな藤本さんと直接お話しする機会を持った。お生まれは島根県とのことだが、現在は大阪・心斎橋を拠点とされているという。同じ大阪人として、そう聞いた時点でぐぐっと親近感が増すのは、大阪人の特性だろうか。写真の素人である私が、展示されている作品を見ての感想を述べると、にっこりと笑って応えてくださった。

40年間100回以上も韓国に来て写真を撮り続けている、と聞くと、一種近寄りがたい雰囲気をお持ちかとも思ったがそうではなく、実に気さくに話してくださり嬉しかった。

招待作家・藤本巧写真展 『韓くにの風と人』
日時:2010年4月21(水)~27(火)
場所:갤러리 자미원(紫微垣画廊)
   釜山市中区富平洞2街66-18
   (051) 242-1828
入場無料


つづく


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