2009年10月31日

'09.10.31(土)写真で見る禹長春さん

つづき

우장춘(禹長春)さん=日本名・須永長春さん。
記念館の中にあるたくさんの写真の説明書きや、8分ほどの彼の業績をたたえるビデオなどを見て回るうち、私が以前日本のWikipediaで読んだ彼の生涯と、この記念館で紹介されている彼の生涯とは、印象が随分違うことに驚いた。

↓↓ いろいろな年代の彼の顔写真。

09.10.31(土)写真で見る禹長春さん

↓↓ 1950年3月8日、韓国政府の要請を受けて、妻子を日本に残して韓国の地を踏んだ禹長春博士。
写真の説明書きには 「禹博士 帰国歓迎大会の様子」 と、「帰国」 という文字が使われているのが、私には非常に印象的だった。

大変な歓迎を受けているのが見て取れる。

09.10.31(土)写真で見る禹長春さん

Wikipediaで見た限りでは、

日本で日本人と結婚し子供も6人生まれたが、1948年大韓民国樹立後の混乱の中、食糧不足で国民が苦しんでいた時期に 「今の韓国に来て種子の問題を解決してくれる人は禹長春しかいない」 という韓国政府の要請を受け、1950年52歳のとき、妻子を日本に残して単身渡韓した。

翌1951年朝鮮戦争が勃発。1953年には日本にいる最愛の母が亡くなったとの知らせを受け、日本への帰国を大統領にまで嘆願したが許されず、韓国へ渡って9年後の1959年、二度とは日本の土を踏むことなく病のために韓国で亡くなった。

と、「帰国」 ではなく 「渡韓」 し、以後二度と日本にいる家族に会うことも、日本の土を踏むこともなく韓国で亡くなり、さぞ日本へ帰りたかっただろうと想像していた。

だが、記念館で紹介されている彼の様子を見ていると、また違った見方もあるのだということを感じた。

つづく


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