2010年12月16日

ダークツーリズム6 東亜大学博物館1

つづき

釜山鎮支城址を後にした私たちは、東亜大学博物館へと向かった。この博物館がダークツーリズムの訪問地に選ばれたのは、展示されている品々のためではなく、その建物のためだ。もともと日本占領期の1925年に慶尚南道の道庁として建てられ、朝鮮戦争(1950~1953年)のときには臨時首都政府庁舎として使われた建物だ。

ダークツーリズム6 東亜大学博物館1

1.釜山臨時首都政府庁舎略史

1950年6月25日朝鮮戦争勃発後、南下を重ねた政府は6月27日には大田に、7月16日には大田から大邱へ、8月18日には大邱から釜山へと移ってきた。作戦遂行のため一部の行政機関を釜山に移転することになった、という이승만(李承晩=イ・スンマン)大統領の発表により、釜山は臨時首都になった。イ・スンマン大統領は7月2日にまず釜山に到着した。

中央庁は慶尚南道の道庁(現在の東亜大学博物館)、社会部・教育部・監査院は釜山支庁、商工部は南電、国会は釜山劇場をそれぞれ庁舎として使用した。釜山が臨時首都になったことにより、各国の外交機関をはじめ金融・経済・文化など、各中央機関が釜山に集中。南星女子高等学校や南一・土城国民学校が陸軍病院として使われたことをはじめとし、いろいろな学校が軍に徴発された。

ソウルから避難してきた臨時国会は1950年7月27日大邱市内の文化劇場で、イ・スンマン大統領をはじめとする130人の国会議員と国務会議来賓が多数参席して開催された。釜山で臨時国会が続開されたのは1950年9月1日だった。

洛東江戦線で敵を食い止めた陸軍と連合軍は、1950年9月11日から本格的な反撃作戦を開始し、9月15日にはマッカーサー将軍のインチョン上陸作戦が成功した。わずか2週間後の9月28日にはソウルを完全に取り戻し、10月27日政府がソウルに戻ったことにより釜山は第1次臨時首都としての役割を終えた。

慶尚南道非常事態対策委員会も1950年10月15日に解散した。しかし、中国軍の介入により戦勢が逆転し1951年1月3日釜山が再び2回目の臨時首都に決定された。これによって政府が再び釜山に遷るや、各機関も追って釜山にうつって来た。第2次臨時首都のとき、国会は1951年1月3日から釜山劇場を議事堂として使用し、1951年6月26日道庁内の무덕전(武徳殿)に移転した。

第2次臨時首都は、1953年7月27日休戦協定が締結され、政府がソウルに完全に戻る1953年8月15日まで続いた。国会は9月16日にソウルに戻った。

つづく


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