2010年10月06日
願いを込めて石を積む
つづき
大雄殿の向かって左側の渡り廊下のような部分(▼)を通って少し進むと、ちょうど大雄殿の後ろ側に 「無説殿」 という建物が見える。
ガイドさんによると昔ここは仏の道を学ぶところだったのだが、そこにある日、高僧が何も言わずに来て何も言わずにそのまま去っていったところから、「無説殿」 と名付けられたのだそうだ。悟りの境地に至るには、言葉は必要ないということらしい。
「無説殿」 の裏手には 「毘盧殿」(▼)。金銅毘盧遮那仏座像がまつられている。
「毘盧殿」 の脇には、高麗時代初期に建てられたものとされる舎利塔(▼)。1905年に日本に持ち出され、一時東京上野公園の料理屋に置かれていたが、1933年に返還されて再建され現在の位置に置かれたそうだ。
こちらは 「羅漢殿」(▼)。羅漢とは悟りを開いた仏様の弟子を指し示す言葉で、特に修行に秀でた16人の弟子をまつった場所だそうだ。
境内の一角で、こうして石をたくさん積み上げてあるのを見かけた(▼)。
まるで日本の 「一つ積んでは父のため・・・」 の賽の河原のような光景だが、ここではそういう意味合いはなく、訪れた人が願かけのために石を積んでいくのだと、同行していた韓国人が教えてくれた。その韓国人女性もちょうど娘さんが大学受験を控えているということで、無事合格を祈って石を積んでいた。
石は、木の根元あたりだけでなく、背後に見えている土壁(▲)の上の瓦部分にも無数に積まれていた。
つづく
大雄殿の向かって左側の渡り廊下のような部分(▼)を通って少し進むと、ちょうど大雄殿の後ろ側に 「無説殿」 という建物が見える。
ガイドさんによると昔ここは仏の道を学ぶところだったのだが、そこにある日、高僧が何も言わずに来て何も言わずにそのまま去っていったところから、「無説殿」 と名付けられたのだそうだ。悟りの境地に至るには、言葉は必要ないということらしい。
「無説殿」 の裏手には 「毘盧殿」(▼)。金銅毘盧遮那仏座像がまつられている。
「毘盧殿」 の脇には、高麗時代初期に建てられたものとされる舎利塔(▼)。1905年に日本に持ち出され、一時東京上野公園の料理屋に置かれていたが、1933年に返還されて再建され現在の位置に置かれたそうだ。
こちらは 「羅漢殿」(▼)。羅漢とは悟りを開いた仏様の弟子を指し示す言葉で、特に修行に秀でた16人の弟子をまつった場所だそうだ。
境内の一角で、こうして石をたくさん積み上げてあるのを見かけた(▼)。
まるで日本の 「一つ積んでは父のため・・・」 の賽の河原のような光景だが、ここではそういう意味合いはなく、訪れた人が願かけのために石を積んでいくのだと、同行していた韓国人が教えてくれた。その韓国人女性もちょうど娘さんが大学受験を控えているということで、無事合格を祈って石を積んでいた。
石は、木の根元あたりだけでなく、背後に見えている土壁(▲)の上の瓦部分にも無数に積まれていた。
つづく
Posted by dilbelau at 08:08│Comments(0)
│慶州