2010年06月30日

映画 『砲火の中へ』

先日、夫と 6月16日に封切られた映画 『포화속으로(砲火の中へ)』 を観に行った。朝鮮戦争のときの実話を基にした映画だとのことで、夫が是非観てみたいと言っていた作品だ。私はどんなストーリーなのか全く知らず、映画館に向かう道すがら、朝鮮戦争時に学校に立てこもって戦った学徒兵の話だ、と簡単に夫に教えてもらった。

なぜ学徒兵が学校に立てこもって戦わねばならなかったのだろうか、まるで昔の日本の大学闘争のようだなと、漠然とした疑問を感じつつ映画館に到着。

韓国ではインターネットでも映画が見られるためか、映画館に足を運ぶ人は少なく、日本同様映画離れが進んでいるのだなと、これまで映画を観に行くたびに感じていたのだが、この映画だけは違った。

雨の休日ということもあったのだろうが、それにしてもこれほど客席が埋まっている映画館は、私は釜山で初めて見た。意外と若い世代が多い。また朝鮮戦争がテーマということもあってか、白い水兵服姿の若者もたくさん見かけた。軍隊でもこの映画を推奨しているのかもしれない。

さて、映画が始まる。

戦争映画ということである程度の覚悟はしていたが、これほどまでに重く救いのないストーリーだとは・・・。

映画 『砲火の中へ』

(写真は産経ニュース 『週刊韓(カラ)から』 より)

以下、『포화속으로(砲火の中へ)』 のHPより

1950年6月25日、38度線全域にわたり奇襲南侵を始めた北朝鮮軍は、3日間でソウルを手中におさめ、釜山陥落を目標に洛東江一帯まで南侵を続けた。

8月11日。71名の学徒兵が浦項を奇襲した北朝鮮軍と対決し、11時間半もの間奇跡的な決戦を繰り広げた。北朝鮮軍60余名が死亡し、48名の学徒兵が尊い命を失った11時間半の間に、20万名を超える避難民が兄山江以南へ避難することができた。

『포화속으로(砲火の中へ)』 は、8月11日浦項戦闘で亡くなった 故・이우근(イ・ウグン)学徒兵のポケットから発見された手紙から始まった。当時、이우근学徒兵は中学3年生、16歳だった。

以下、CGV の”あらすじ” より

1950年6月25日深夜4時。誰も予想しなかった朝鮮戦争が始まった。圧倒的な火力で武装した北朝鮮軍は、破竹の勢いで南に進撃を繰り返し、韓国軍の敗色は色濃くなるばかり。全世界が第3次世界大戦の恐怖に包まれるや、国連は膨大な数の連合軍を大韓民国に派兵することを決定した。すでに、これ以上退くところがない大韓民国は、連合軍の到着を待ちつつ洛東江死守に全てをかけ、残った戦力をそこに総集結させた。

 浦項を守っていた강석대(김승우=キム・スンウ)の部隊も、洛東江を死守するために集結せよとの命令を受けた。しかし、いまや戦線の最前方となってしまった浦項を放っておいて行くわけにはいかない状況。강석대は仕方なく、銃を一回もまともに持ったことのない71名の学徒兵をそこに残して、洛東江へと発った。唯一、戦闘についていったことがあるという理由で、오장범(T.O.P=최승현=チェ・スンヒョン)が中隊長に任命されたが、少年院に連れて行かれる代わりに戦場へ行くことを志願した구갑조(권상우=クォン・サンウ)とその仲間たちは、公然と오장범を無視する。銃弾を1発ずつ撃ってみるだけで、射撃訓練を終えた71名の少年たちは、避難民も軍人もみな去ってがらんとした浦項で、これからどんなことが起こるのか分からないまま、大きな部隊が再び戻ってくることだけを待つ。

盈德を焦土にした、北朝鮮軍の進撃隊長박무랑(차승원=チャ・スンウォン)が率いる人民軍766遊撃隊は、洛東江へ向かえという党の指示を無視し、秘密裏に浦項へと進路を変えた。盈德から浦項を経由し、最短の時間で最後の目的地である釜山を陥落させるという戦略。박무랑の部隊はあっという間に浦項に入り、国軍司令部があった浦項女子中学校に残っていた71名の少年たちは、真夜中、暗闇の中から聞こえてくる音に目を覚ました。静けさが漂っていた浦項には、すでに巨大な戦雲が覆いかかって来ている。洛東江戦線に投入された강석대大尉は、学徒兵たちを心配する余裕もないほど、時々刻々と集まってくる人民軍の部隊と対決せねばならないのだが・・・。

*****

容赦なく描き出される戦争の現実。救いのない結末。観終わった後、ただただ、”戦争はしてはならない” という言葉しか出てこない。重い。非常に重い。

しかし、あえてその重さを軽くしたり、妙な演出で希望を持たせたエンディングにしたりせず、戦争の現実をありのまま観客にぶつけていることで、圧倒的な説得力を持ってこちらに迫ってくるものがある。

いわゆる ”戦争映画” と言えばそうなのだが、完成度の高い、内容的に素晴らしい映画だと思う。クォン・サンウやBIG BANGのT.O.Pなど人気スターたちが出ているが、俳優の名前だけで観客を動員しようとするような映画ではない。一人ひとりの俳優たちの存在など、実話に基づいたこの話の前には影が薄れてしまうほどのストーリーだ。もちろん、どの俳優も迫真の演技で、まるで映画ではなく現実であるかのような錯覚さえ起こすほどだ。

映画だと分かっていてもあまりに恐ろしくて、観ている間じゅう心拍数が上がり、胸の中に何ともいえないざわつきを感じ、身体中がこわばってしまう。

観終わって映画館を後にし見慣れた街を歩き出すと、今まで観ていた映画の光景と、今目の前にある現実の世界の光景のギャップがあまりにも大き過ぎて、一種の違和感を感じる。

何百年も昔の話ではない。ほんの60年前のこの国で、あの映画の中にあったような光景が現実に起こっていたのだ。たった60年前だ。今のこの現実が、あの時代からまだ60年しか経っていないというのが信じがたいほどの差だ。

去る6月25日は、60年前に朝鮮戦争が勃発した日だ。今年は戦争勃発後60年という節目の年で、特別番組も連日放送されている。当時の避難民や学徒兵だった方たちが、”血で血を洗う状況だった” ”敵がいたら先に撃たないと自分が撃たれる” などと生々しい証言を語っている。

3月26日に起こった 『天安』 沈没事件についても、その後ややトーンダウンしているように感じられる、一見平和そうな韓国の日常。しかし実はまだ戦争は終わっていず、今も休戦状態なのだということを、60年目の 「6・25」 を機にあらためて国民に知らしめることにもなろう。

この作品の基になったという、16歳中学3年生だったある学徒兵の手紙が、産経新聞の 『週刊韓(カラ)から』 (2010年6月20日)で紹介されている(▼)。

「お母さん、ぼくは人を殺しました。10人余りになるでしょうか。手榴(しゅりゅう)弾という恐ろしい武器を投げて一瞬に殺しました。今この文章を書いている瞬間も、耳に恐ろしい轟音(ごうおん)が響いています。

 お母さん、敵の足や手が引きちぎられ離れていきました。あまりにもむごい死です。いくら敵でも、彼らも人間だと考えると、ましてや同じ言葉を話し、同じ血を分けた同族だと思うと、胸が苦しくて重いです。

 お母さん、戦争はなぜしなければいけませんか? ぼくは恐ろしいです。敵兵はあまりにも多いです。ぼくたちはやっと71人です。これから、どうなるのかを考えると恐ろしいです」

どんな理由であれ、戦争を起こしてしまう人間という生き物は、実に愚かだ。人間同士が、同じ民族同士が殺し合うとは、本当に愚かなことだ。しかし同時にその愚かな生き物である人間も、戦争のない世界に向けて努力をすることができる、利口な生き物なのだと思いたい。


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