2013年07月12日
工事中の影島大橋 1
「茶文化祭り」 が開かれている光復路を後にして、私たちは工事中の影島(ヨンド)大橋を久しぶりに歩いて渡ってみた。影島大橋から見た釜山大橋(▼)。以前は赤い橋だったが、現在は白い。

影島大橋は1934年11月に完成した橋で、当時は釜山大橋と呼ばれていた。その後1980年2月に現在の釜山大橋が完成したのに伴い、影島大橋と名前が変更された。影島大橋は延長約214mと短い橋で、徒歩でもあっという間に渡りきることができる。
影島大橋は釜山初の連陸橋(陸地と島を結ぶ橋)で、韓国初の一葉式跳開橋(片側だけ持ち上がる)。開通当時は橋が持ち上がる様子が珍しく、釜山をはじめ金海(キメ)や密陽(ミリャン)などからも、約6万人の見物客が訪れたという。
開通当時は、陸地側(中区側)の橋31.3mが1日に2~7回持ち上がっていたが、開通後、車の交通量が急増したため橋の持ち上げ回数は徐々に減り、1966年には橋の跳開は中断された。また1935年2月に影島に路面電車が走るようになり、1967年までは影島大橋上も電車が通っていたそうだ。
その後、老朽化した影島大橋は、釜山ロッテタウンの建設とともに解体・復元工事に入っている。2009年8月から影島大橋は進入禁止となり、車両・人は臨時橋梁で迂回している(▼)。写真左手フェンスの向こう側が、復元工事中の影島大橋。

影島大橋は2010年6月から解体工事が始まり、今年、復元工事が完了する予定。復元が完了すれば橋の道路はこれまでの4車線から6車線に広がる。
影島大橋の上から見た、ロッテ百貨店光復店(右▼)と2014年完工予定のロッテタウン(左)。ロッテタウンは完成すると地上108階建てになる予定。

影島側の橋のふもとには漁船がたくさん停泊していた(▼)。


復元工事中の影島大橋を横から見たところ(▼)。

手前のコンクリートの橋脚は復元される影島大橋のもので、その向こう側の鉄骨(?)の橋脚は迂回用の臨時橋のもの。溶接作業の光が見えていた。

影島側から見た工事現場(▼)。

中区側から見た工事現場(▼)。

つづく
影島大橋は1934年11月に完成した橋で、当時は釜山大橋と呼ばれていた。その後1980年2月に現在の釜山大橋が完成したのに伴い、影島大橋と名前が変更された。影島大橋は延長約214mと短い橋で、徒歩でもあっという間に渡りきることができる。
影島大橋は釜山初の連陸橋(陸地と島を結ぶ橋)で、韓国初の一葉式跳開橋(片側だけ持ち上がる)。開通当時は橋が持ち上がる様子が珍しく、釜山をはじめ金海(キメ)や密陽(ミリャン)などからも、約6万人の見物客が訪れたという。
開通当時は、陸地側(中区側)の橋31.3mが1日に2~7回持ち上がっていたが、開通後、車の交通量が急増したため橋の持ち上げ回数は徐々に減り、1966年には橋の跳開は中断された。また1935年2月に影島に路面電車が走るようになり、1967年までは影島大橋上も電車が通っていたそうだ。
その後、老朽化した影島大橋は、釜山ロッテタウンの建設とともに解体・復元工事に入っている。2009年8月から影島大橋は進入禁止となり、車両・人は臨時橋梁で迂回している(▼)。写真左手フェンスの向こう側が、復元工事中の影島大橋。
影島大橋は2010年6月から解体工事が始まり、今年、復元工事が完了する予定。復元が完了すれば橋の道路はこれまでの4車線から6車線に広がる。
影島大橋の上から見た、ロッテ百貨店光復店(右▼)と2014年完工予定のロッテタウン(左)。ロッテタウンは完成すると地上108階建てになる予定。
影島側の橋のふもとには漁船がたくさん停泊していた(▼)。
復元工事中の影島大橋を横から見たところ(▼)。
手前のコンクリートの橋脚は復元される影島大橋のもので、その向こう側の鉄骨(?)の橋脚は迂回用の臨時橋のもの。溶接作業の光が見えていた。
影島側から見た工事現場(▼)。
中区側から見た工事現場(▼)。
つづく
Posted by dilbelau at 08:26│Comments(0)
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