2011年05月16日
朝鮮通信使祭り 1
毎年5月に開かれている 「조선통신사축제(朝鮮通信使祭り)」。昨年は、3月26日に発生した哨戒艦 「天安号」 の撃沈事件の影響で、4月30日~5月2日に開かれる予定だった 「第8回 朝鮮通信使祭り」 が中止された。そのため今年の朝鮮通信使祭りは2009年以来2年ぶりとなる。
朝鮮時代前期に報聘使、回礼使、通信使などさまざまな名称の使節が日本に派遣された。朝鮮通信使は朝鮮時代後期の通信使で、江戸幕府の要請で1607年から1811年まで12回にわたって、約200年間朝鮮から日本に派遣された公式の外交使節のことを指す。朝鮮通信使の 「通信」 とは 「信義を交換する」 という意味を持っている。
通信使は漢陽(現在のソウル)を出発し、釜山から大阪までは海路で、江戸までは陸路で移動した。通信使は日本の各藩のもてなしを受けて、6ヶ月から1年余りにかけて日本列島を縦断。
その規模は朝鮮国王の国書を携えた3人(正使、副使、従事官)を含めて300~500名にものぼり、江戸幕府も莫大な費用をかけて通信使を歓迎した。通信使は平和と親善友好のための国家使節として、日韓の文化交流に大きな役割を果たした。
朝鮮通信使ゆかりの地であり、釜山市と交流の深い対馬・下関・福岡などからの芸術団8チーム・約250名も参加。この日本チームも含めて、釜山地域の芸術団体や地域民が参加する総勢約2,000人のパレードが、3日間の祭りの目玉となった。
朝鮮通信使祭りの期間は日本のゴールデンウィークの期間とほぼ重なるため、毎年祭りには日本人観光客も大勢訪れる。
祭りの初日5月5日19時には 「韓日ミュージックフェスティバル」、6日13時からは 「2011朝鮮通信使国際学術シンポジウム」、同19時には 「海神祭」・「韓日舞踊の広場」、7日13時にはストリートパフォーマンス、同15時からのパレード、同18時には 「韓日歌謡大会」、8日14時には 「韓日芸術団公演」 などが行われた。
こちらは7日13時からのストリートパフォーマンス(韓国4チーム、日本5チーム)の様子。광복로(光復路)のABCマート前のスペースで行われた。北九州市の 「翔(かける)」(▼)。


韓国の 「メリット舞踊団」(▼)。


つづく
朝鮮時代前期に報聘使、回礼使、通信使などさまざまな名称の使節が日本に派遣された。朝鮮通信使は朝鮮時代後期の通信使で、江戸幕府の要請で1607年から1811年まで12回にわたって、約200年間朝鮮から日本に派遣された公式の外交使節のことを指す。朝鮮通信使の 「通信」 とは 「信義を交換する」 という意味を持っている。
通信使は漢陽(現在のソウル)を出発し、釜山から大阪までは海路で、江戸までは陸路で移動した。通信使は日本の各藩のもてなしを受けて、6ヶ月から1年余りにかけて日本列島を縦断。
その規模は朝鮮国王の国書を携えた3人(正使、副使、従事官)を含めて300~500名にものぼり、江戸幕府も莫大な費用をかけて通信使を歓迎した。通信使は平和と親善友好のための国家使節として、日韓の文化交流に大きな役割を果たした。
朝鮮通信使ゆかりの地であり、釜山市と交流の深い対馬・下関・福岡などからの芸術団8チーム・約250名も参加。この日本チームも含めて、釜山地域の芸術団体や地域民が参加する総勢約2,000人のパレードが、3日間の祭りの目玉となった。
朝鮮通信使祭りの期間は日本のゴールデンウィークの期間とほぼ重なるため、毎年祭りには日本人観光客も大勢訪れる。
祭りの初日5月5日19時には 「韓日ミュージックフェスティバル」、6日13時からは 「2011朝鮮通信使国際学術シンポジウム」、同19時には 「海神祭」・「韓日舞踊の広場」、7日13時にはストリートパフォーマンス、同15時からのパレード、同18時には 「韓日歌謡大会」、8日14時には 「韓日芸術団公演」 などが行われた。
こちらは7日13時からのストリートパフォーマンス(韓国4チーム、日本5チーム)の様子。광복로(光復路)のABCマート前のスペースで行われた。北九州市の 「翔(かける)」(▼)。
韓国の 「メリット舞踊団」(▼)。
つづく
Posted by dilbelau at 08:54│Comments(0)
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