つづく
上映終了後、お待ちかねのゲストビジットの時間。ステージに机と椅子がセットされ、観客はかたずをのんで出入口を見つめ、若尾文子さんたちの登場を今か今かと待ち構える。
いよいよ若尾文子さんの登場。黒地のシックな和服姿。一目見ただけでその存在感、気品あふれる美しさに鳥肌が立った。
向かって左から釜山国際映画祭プログラマーのホ・ムニョンさん、キム・テヨン監督、若尾文子さん、通訳の方。若尾さんとキム・テヨン監督は以前、ソウルでこうした上映会・ゲストビジットを行ったときにも同席したことがあるそうで、今回は2回目の対面だそう。
最初は司会のホ・ムニョンさんとキム・テヨン監督が若尾文子さんに質問。釜山の印象を聞かれた若尾さんは、「以前、ソウルにも来たことがあるが、飛行機から見ると海が間近に見えてやはりソウルとは違うなと思った。(韓国訪問は)ソウルで終わりかなと思っていたのに、釜山にも来られて得した気分」 と答えていた。
Q. この映画で 「増村監督に勝った」 と言ったそうだが。
A. それはラストのシーンのこと。ラストのシーンは実は撮影初日に撮った。クライマックスのシーンを初日に撮るということもあり、前日は眠らずにどう演じればいいかを考え、当日の撮影に臨んだ。当日、自分の演技に対し増村監督から 「もう少しテンポを速くして」 という指示が出された。その指示には納得できなかったが、その時は指示通りに撮り直した。しかし撮影が進み、数週間後、監督が 「僕の意見は間違っていた。やはり君の演技が正しかった」 と、自分の当初の演技を採用した。そのとき 「バンザイ、勝った!」 と思った、というエピソードだ。
Q. 増村監督の作品に出演されている若尾さんは、他の監督の作品より魅力的に見えるが。
A. 増村監督は自分にない部分(強さや粘り強さ)を引き出してくれる監督なので、監督の作品ではそういう部分が強く出ているかもしれない。またとても厳しく、要求も多い監督だったので大変ではあったが、大変だからこそやりがいもあり楽しくもあった。何でもたやすく出来てしまうと面白くないでしょう。
Q. 実にすばらしい作品だったが、どういうことを考えて撮影に臨んだのか。
A. ちょうど、娘役から大人の女性役に生まれ変わらないといけない、そういう時期に撮影した作品だったので、心構えも違ったと思う。当時私はどちらかというと個性のない可愛らしいだけの女優と言われていたので、そうでないということを少しでも見せるチャンスだと思って、かなり一所懸命やった。
また、観客からの質問を受け付けたところ、一斉に多くの手が上がった。
Q. 作品ごとにいろんな役を演じるが、撮影が終わった後、なりきって演じていた役から抜けるのは大変ではなかったか。
A. 毎回、映画の撮影が終わって、家に帰る車の中で熱が出てそのまま病院へ行っていた。知恵熱のような感じで。毎回そうだった。
Q. クライマックスのシーンは映画史上に残る名シーンだと言えると思うが。
A. あれは演技というより生理的なものだった。役になりきってその立場に立つと、自然と呼吸も乱れ、壁によりかからないと歩くこともままならない、そういう状態に自然となる。
Q. 映画の主人公の女性は、本当にあそこまでする必要があったのかと思うほどだが。
A. 愛は与えることもあれば奪うこともある。この映画は奪ってばかりの映画。あなた(質問者)はまだ若いからよく分からないかもしれないが。
Q. 1960年代当時、日本で女優として生きていくのは大変ではなかったか。
A. 女優といっても1つの職業なので、特にどうということはなかった。ただロケーションに行くとたくさんの見物人が来て、中には侮辱的な言葉を投げる人もいた。今はそういうことはないと思うが。
Q. 今この映画を見てもかなり衝撃的だが、60年代当時、この映画に対する評価はどうだったか。
A. 評判はかなりよかった。
観客からの質問は次から次へと途切れることなく、結局1時間を過ぎてようやく打ち切った。通訳を介するので時間がかかるということもあるが、それを差し引いても、この映画や若尾文子さんへの関心の高さは驚くほどだった。『妻は告白する』 以外の増村監督の作品を見たことがあるという観客も少なくないようだった。
最後に、サインの時間。「ではこれからサインを・・・」 と司会者が言いかけるや否や、人々がどっと群がった。キム・テヨン監督にサインを求める人も何人かはいたが、大多数の観客が若尾さんにサインをもらうため行列を作っていた。
増村監督の作品を見るのも、若尾文子さんのお姿を間近で見るのも、いずれも日本でもなかなかない機会だと思う。いい体験ができた。