あれは忘れもしない、映画 『妻は告白する』 の鑑賞後、若尾文子さんのお姿を実際に見られて、やや興奮気味の状態で帰宅した日。9月14日の夜だった。映画の余韻と若尾さんの美しさ・演技の素晴らしさを思い返しつつ、いい気分で眠りについた。
夜中にふと、物音で目が覚めた。最初は、私が普段使っている椅子のコロが動く音のように聞こえ、家の中に誰かが侵入したのかとかなりビビりながらそっと様子をうかがったが、誰もいない。
じゃあ何の音かと耳を澄ませると、なんと玄関のカギを誰かが外から開けようとしている音だった。
これまたかなりビビり、どうしようかと寝ぼけた頭で考えた。空き巣狙いの泥棒なら、家の中に住人がいることを示せば逃げて行くだろうと、玄関のドアを思いきり叩いて音を出した。
しかし予想に反し、逃げて行くどころかまだガチャガチャやり続けている。「誰だ!」 と大声で叫んでみたら、その声で夫が目を覚まして起きてきた。
むやみにドアを開けるのは危険なので、アパートの警備員直通のインターフォンを鳴らしたがあいにく応答なし。警備室はアパート1階にあり、警備員は交替で24時間常駐しているのだが、その時はたまたま警備室にいなかったようだ。
夫が玄関のそばにある小窓から廊下の様子をうかがうと、30代くらいの長身の男が突っ立って廊下の窓から外をぼーっと見ているとのこと。夫が小窓越しに 「おい」 と声をかけると、男は動揺する様子もなく夫の方を振り返り、そして悠然と廊下を歩いて行ったそうだ。酒に酔っているふうでもなく、普通の足取りでゆっくり歩いて行ったとのこと。
男は階段を降りて行ったので、夫が廊下に出て下の様子を見ていると、その男がアパート1階の出入口付近に現れたそうだ。大きなカバンを肩から斜め掛けにした男。一見してあやしいという雰囲気でもなく、どこにでもいそうな大学生ふうの若い男。夫が廊下から下に向かって声をかけると、男はゆっくり見上げ、しばらく夫の方をじーっと見てから踵を返した。またアパートの内部に入ったかのように見えたが、実際にはそのままどこかに立ち去ったようだった。
そのとき、警備員は警備室から少し離れたゴミ置場で分別ゴミの整理をしていて、私たちが廊下から呼んでもなかなか気付いてくれなかったが、ようやく気付いてくれたので、部屋の前まで上がってきてもらった。事情を話すと、自分も付近を見回るが、あなたたちも警察に通報するようにとのこと。
早速112に電話。生まれて初めての警察への通報を、釜山ですることになるとは思ってもみなかった。112の担当者にこういうことがあったと説明し、「それは何時頃のことですか」 と聞かれて初めて時計を見ると、1時30分くらいだった。
すぐ警官を向かわせますとのこと。少ししてパトカーが来て夫が警官に事情を話したが、とりあえず被害はないし様子をみましょうと、すぐに引き上げていった。
警官の言う通り、特に被害があったわけではないが、あまりにも驚いたせいでその後も神経が高ぶってしまい、なかなか寝付かれなかった。
例えば私がドアを叩いて音を出したとき、その男がすぐに逃げていったとしたら、室内に侵入しようとしていたのかとそれはそれで納得できたのだが、逃げようともせず平然としているところが不気味で。酒に酔っていたふうでもなく、部屋を間違えたにしても様子がおかしい。
一体、何が目的だったのかが分からないところが気味悪く、その後、韓国人の友人や上司らに話してみたところ、「酔っているふうには見えなかったかもしれないが、実は酔っていて自分の部屋と間違えて入ろうとしていたのではないか」、「精神に異常のある人だったのではないか」 などという意見が返ってきた。
「ただの空き巣泥棒ではなかった」 ということは間違いないが、「自分の部屋と勘違いした、棟・階を間違えた」 というにしても少々違和感を感じる。部屋間違いだったなら、夫が声をかけたとき 「間違えました。すみません」 の一言くらいあってもいいと思うのだが、終始、無言だった。
その時間帯、廊下の照明は消されて真っ暗なので、部屋を間違えることもなくはないだろう。しかし、最近は電子キーを使っている家が多く、私たちのようにキーを差し込んで開けるタイプの鍵を使っている家は少数派だ。特にアパートでは。それなのに、その男の家もたまたまキータイプの鍵を使っていて、自分の家と間違えた私の家もたまたまキータイプの鍵を使っていた、というのは偶然にしては出来すぎのような気がする。
まあそういう偶然もあり得るとは思うが、そう考えるよりは、キータイプの家を探していて、見つけたのがたまたま私たちの家だったと考える方が自然な気がする。
いずれにせよ、それ以降は何事も起きていないが、なんとも気色の悪い出来事だった。