つづき
このあたりになると付近を歩く人も少なくなり、カムチョン(甘川)文化マウルのエリアからもほぼ外れたようだ。
高いところから見下ろす風景もいいが、こうして下から見上げる景色も独特だ。
急斜面に家々が階段状に建つ景色も印象的だが、道路脇の棚畑も素朴な感じで気に入った。
山の斜面に、石垣を見事に積み上げて畑をつくってある。
こちらは沙下(サハ)区総合社会福祉館の壁(▼)。福祉館に通うお年寄り約70人による手作りの魚だそうだ。そう言われてみるとどの魚もそれぞれに味わいがあり、作った人の個性が表れているようだ。
さらに下りていくと、「
부산밥상공동체・연탄은행」(釜山食膳共同体・練炭銀行)という看板の建物を見かけた(▼)。毎年冬が近づくと、必要とする家庭に練炭を配っているあの団体だ。ここは練炭の仮置き場など倉庫として使われているようだ。
練炭を無料で配る以外にも、お米やおかずを無料配給したり、無料給食提供や家の無料修繕などの事業も行っている。
釜山では、冬の暖房として練炭を使っている家庭はけっこうある。ガスや電気の暖房に比べると取り扱いが面倒だし、換気が不充分で命を落とすという痛ましい事故も毎年起こっている。
それでも練炭を使わざるを得ないのは、ここカムチョン洞などのように高所にある地域には都市ガスがあまり普及していないことが大きな要因だ。都市ガス普及率は釜山市全体では72.6%だが、カムチョン洞のある西区(41.4%)や、東区(50.1%)・影島区(57.8%)・中区(58%)などは低い。
単独住宅が多いこれらの地域では、ガス配管を供給しても採算がとれないことや、高地のため工事が難しいこと、個人負担金を払えない家庭が多いことなどが、普及率の低さの原因となっている。(
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冬場、練炭で暖をとる家庭の中でも、独居老人や低所得層などの世帯には毎年冬期6カ月間、ボランティアが練炭を1軒1軒届けている。家へと続く坂道に人々が連なって立ち、バケツリレーならぬ “練炭リレー” 方式で各家庭に届ける様子は、毎年ニュースでも紹介されている。HPではこうした事業を支えるボランティアや後援も随時、受け付けている。
さらに先に進むと、「財団法人太極道」・「太極道本部」 と漢字で書かれた看板のある門を見かけた。
「태극도(テグット=太極道)」 は、1918年に조철제(チョ・チョルジェ=趙哲済)という人が開いた甑山教系の宗教。昔、その信徒たちも集団でこのあたりに住んでいたことから、カムチョンマウルは태극도마을(太極道マウル)とも呼ばれる。
太極道は、1958年に創始者のチョ・チョルジェの死後、박한경(パク・ハンギョン=朴漢慶)率いるソウルの大巡真理会と、조영래(チョ・ヨンネ=趙永来)率いる釜山の教団に分かれた。
ソウルの大巡真理会は1996年のパク・ハンギョンの死後、はっきりした後継者がいない状態だそう。釜山の教団は太極道という名称を今も使用し、ここカムチョンドン(テグットマウル)に本部を置いている。現在、김영복(キム・ヨンボク・86歳)が第12代目도전(都典)(宗団の責任者)を務めているそうだ。
この門の内側には立派な建物が建っている。最初、坂を下りながらその建物を見たときはお寺かと思ったが、お寺にしては、この日釈迦生誕日であるにも関わらず燃灯が吊り下げられていないのでおかしいなと思っていた。門のところまで来て、これがお寺ではなく太極道という宗教の本部であることが分かった。
つづく