釜山のマチュピチュ?? 5
つづき
私たちは、あまりの人の多さと一帯の熱気に半ば圧倒されつつ、カムネカフェには入らずカフェ横の階段を上って展望台に上がってみた。展望台からは、山の斜面に張り付くように立ち並ぶ家々が一望できた(▼)。カムチョン(甘川)洞以外でも、釜山ではこういう風景はよく見られる。
ここカムチョン文化マウルの風景は 「釜山のマチュピチュ」 とも呼ばれているらしいが、ちょっと大げさな気が・・・。湾になっているのは岩南(アムナム)洞と舊平(クピョン)洞にはさまれた海(▼)。
2012年2月、現在のパク・クネ大統領がハンナラ党の非常対策委員長を務めていた当時、ここカムチョン文化マウルを訪れたときの写真が展望台に展示されていた。地元住民らと一帯を歩き、庶民のための政策を約束したそうだ。
展望台裏手では、手作り感あふれるトランポリンで子どもたちが楽しそうに遊んでいた。
案内センターには昔のカムチョン洞の写真パネルが展示されていた。1957年に、今は亡き写真作家최민식(チェ・ミンシク=崔敏植)先生が撮影したものだ(▼)。
조철제(チョ・チョルジェ=趙哲済)が1918年に開いた甑山教系の宗教 「태극도(テグット=太極道)」 の信徒たちと、1950年に勃発した朝鮮戦争の避難民によって形成された集団居住地、カムチョンマウル。태극도마을(太極道マウル)とも呼ばれる。
当時、太極道の教徒によって区切られた基盤割りの町が、路地もろとも原型を残し保存されているという点で、ここカムチョン2洞は文化的価値があるとされているそうだ。
つづく
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