'10.4.23(金) 『韓くにの風と人』

dilbelau

2010年04月23日 08:49

一昨日、夫と同じく釜山で日本語教師をされている方から紹介され、ある写真展のオープニングパーティーに夫と参加した。

10代の頃から実に40年間の永きにわたって、韓国の風景や人物を撮り続けていらっしゃる写真家の藤本巧さんの写真展だ。釜山では4月21~27日間開催される展示会だが、それに先立ちソウルでは、同19日まで同じく写真展が開催されていたそうだ。

夫は以前、藤本さんの著書を読んだことがあるそうだが、私にとっては初めてお聞きするお名前。昔の釜山の写真もたくさん展示されているだろうから面白いと思うよ、という夫の言葉に、小雨が降る中ワクワクしながら会場へ向かった。

藤本巧さんの韓国に対する熱い想いが伝わってくる記事があったので、引用させていただく。

以下、『中央日報』4月12日付記事より
*****

彼は日本人だが、生まれた時から韓国とは深い縁があった。 父が彼に「巧」という名前を付けたからだ。 建築を家業として引き継いだ父は朝鮮民芸研究家の浅川巧氏(1891-1931)を尊敬し、その心を息子に伝えたいという気持ちで名付けたという。 写真作家でデザイナーの藤本巧さん(61)は「私の血の中にすでに韓国の遺伝子が植え付けられているようだった」と語った。

「浅川巧は日本統治時代に朝鮮へ行って民芸運動を繰り広げた知韓派学者だった。 朝鮮美術を愛するあまり、死んでもこの地に残りたいという遺言を残し、ソウル忘憂洞(マンウドン)公園墓地に埋められたほどだ。 私が19歳で韓国に渡り、韓国の人たちと写真を撮り始めたのは、おそらく浅川氏の霊魂のおかげでないかと思う。 忘憂洞にある浅川氏の墓地を参拝してこうした気持ちを伝えた」。

19日までソウル仁寺洞(インサドン)ギャラリーブックス(VOOK’S)で開かれる「藤本巧写真展-韓びと」には、こうしたエピソードがあった。 美感と実用が調和した韓国工芸を本で勉強した藤本さんは「初めてカメラを持って訪れた釜山(プサン)で飼葉桶や石物などを見てより大きな感動を覚えた」と回想した。

「寺の入口に集まっている大小の草屋が肌を向け合って呼吸しているように見えた。 土とわらの香りが香ばしかった。 構図を考える前に被写体に向かって体当たりし、 無我の境地でシャッターを押す自分がいた。 自然と一体になった土壁、小石の山、そして人がよかった。 私は生きている美しさに圧倒された」。

それから40年、100回ほど韓国を出入りし、ひたすら韓国の風光と人ばかりを撮った。 今回の展示会に出品された白黒写真の中には、私たちがすでに失った韓国文化の精髄が生きている。 藤本さんが1974年に出した最初の写真集『韓びと』は、当時韓国写真作家の間で回覧されるほど刺激剤になった。

この写真集には、写真を撮る僧侶として有名なクァンジョ僧侶が汎魚寺で剃髪して出家する姿があり、話題になった。 06年に出版した『韓くに、風と人の記録』、09年作の『李朝工芸』までひたすら韓国をテーマに写真集8冊を出した藤本さんが「まだ現象していないフィルムや録音テ―プがかなりある」と語った。

「デザインが専攻なので写真は独学で習った。 韓国の自然と人が私の写真の先生だったようだ。 韓国は私の運命の地。 これからも目を閉じるまで韓国と韓国人を撮っていきたい」。

藤本巧さんの写真展は21-27日の釜山「ジャミウォンギャラリー」に続く。 42年前、藤本さんを指導した美術評論家の昔度輪(ソク・ドリュン)氏とも会う計画だ。 「チャガルチ市場の生命力あふれる‘アジメ(おばさん)’にもう一度会いたい」という藤本さんは、人も物も「こっちのほうが美しい」という言葉で韓国に対する愛情を表した。
*****

会場は釜山市中区富平洞にある、「갤러리 자미원(紫微垣画廊)」。



会場であるギャラリーは建物の2階にあるが、1階の入り口にも藤本氏の写真を使ったポスターが貼られてあり、期待はさらに膨らむ。





会場にはパーティー開始時間の10分ほど前に到着したが、会場がある2階へと上がる階段の途中から、もう人々のざわめきが聞こえてくる。すでに大勢の人々が来ていた。



パーティーが始まるまで、展示してある写真作品を見せていただく。



つづく

関連記事