2013年12月21日

水晶洞のタルトンネ

先日、風もなく穏やかな天気だったので、昼食後、上司たちと付近を散歩した。会社の後方にある斜面をずんずん上がっていくと、見晴らしのよいところに出る。

写真右奥の方にニョキッと建っている建設中の高層ビルは、釜山国際金融団地内の 「釜山国際金融センター」(▼)。2014年6月に完工予定で、63階建てになるそうだ。


このあたりも、朝鮮戦争のとき避難してきた人たちが、住む場所を求めて山の斜面に家を建てたエリアで、今では暮らしにくいので引っ越していったり、住人が亡くなったりして空き家になっているところも多いのだと、上司が教えてくれた。


ここまで上がってくるのは大変だが、いい運動になるし、散策路も整備されているので歩きやすい。


途中、「水晶山 圓覚寺」 というお寺も見かけた。紅葉がきれいだった。



  

Posted by dilbelau at 08:27Comments(0)その他釜山

2013年12月20日

漢方の香りでいっぱい 5

つづき

橋の近くには漢方材料を売る店が連なっており、あたりには独特の匂いが漂っていた。



数多くの漢方材料が並んでいる。店内には薬を煎じる(?)大きな機械も(▼)。



たくさんの店が軒を連ねる。中には日本語での表示も。


中にはこんなものも(▼)。干したカエル???


  

2013年12月19日

世界で3番目に高いビル 4

つづき

橋の上の歩道も、向こうに行く人とこちらに来る人でごったがえしていた(▼)。




橋の上から見たチャガルチ方面(右奥)と、忠武(チュンム)洞・南富平(ナンブミン)洞(向こう岸▼)。



橋桁を持ち上げる歯車(▼)。


2015(2016?)年に完工予定のロッテタウン(▼)。工事は着々と進んでいるようだ。完成すれば、ロッテタウン内のロッテタワーは地上108階(高さ510m)と、アラブ首長国連邦の 「ブルジュ・ハリファ」 や、2014年完工予定のNYの 「One World Trade Center」 に続いて、世界で3番目に高いビルになる見込みだそう。


橋は短いので影島側まで歩いて渡ってみようかと思ったが、あまりに人が多くて断念。引き返した。

つづく  

2013年12月18日

橋のたもとの占い師 3

つづき

やがて人々は跳開の様子を見て満足そうに立ち去り始めた。私も先ほど下りてきた階段を上がろうとして、階段横の古い建物に 「점집」(占い店)という文字が書かれているのに気がついた。

以前から、影島大橋のたもとに古い占い店が並ぶ通りがあると聞いてはいたが、ここのことだったのかと。帰宅後調べてみると、2010年の朝鮮日報にこの占い店の通りのことが詳しく紹介されていた。以下、部分的に抜粋。

朝鮮戦争当時、生き別れた家族との再会の場として知られた影島大橋のたもとに、占いの店が集まり始めた。占い師たちは避難民の不安な気持ちや家族との再会を願う切実な思いなどを聞いてやり、慰め、そして希望を持たせる、そういう役割も果たしていたそうだ。

そして1953年に休戦となり、避難民たちもそれぞれの道を歩み始めたが、占い師たちはこの場所にとどまったそうだ。

一時は50店を超える占いの店がこの海沿いの路地に集まっていたそう。しかし、占い師が亡くなったり、収入が減ってここを去って行ったりし、現在残っているのは4軒のみとなった(2010年現在)。

4軒の中で最も古い店が 「소문난 대구점집」(評判のテグ占い店)なのだそう。ちょうど店先で高齢の女性が靴を洗っていたが、この女性こそがここではもっとも古株という大邱(テグ)出身の占い師ペ・ナムシクさんだった(▼)。3年前の新聞で79歳とのことなので、現在は82歳ということだろう。店の中には仏像のようなものもちらりと見えていた。


もとは1960年代、大邱で占い師をしていたところ、「釜山に行けばお金がたくさん稼げる」 と近所の人にすすめられ、4人の子を連れてあてもなく釜山にやってきた。

しかし、朝鮮戦争以降、非常に賑わっていたこの占いの通りには、よそ者の占い師が入りこむ余地がなく、昔の釜山市庁の裏手にゴザを敷いて占いを始めた。当時、占ってほしいという内容は、家出した子を探してほしいというものや、子の結婚相手との相性を見てほしいというものがほとんどだった。占いの需要は多く、ペさんは釜山に来て3年で影島に新築の家を買うほど稼ぎもよかった。

そして釜山に来て7年後、現在の占い通りに移ってきたのだそう。「引っ越し・方位・家出・事業・結婚相性・命名・病状・就職」 と書いた看板を出した。1日に10人ほどの客が来たそうだ。夫と、その後生まれた子を合わせ合計6人の子の生活費をペさんが1人で稼いだという。

しかし1980年代に入ってこの占い通りの名声も薄れていき、占いにくる人も流動人口も減った。大人気だった影島大橋の跳開機能が1966年で停止し、1980年には釜山大橋が竣工したことも大きく影響していた。

それと共に、50軒以上あった占いの店もだんだん少なくなった。ペさんの 「소문난 대구점집」 を訪ねる客も、それまでの10人前後から半分ほどに減った。しかし幸いこの頃には娘はみな嫁ぎ、息子も全員就職していたため、影島の自宅を売り、占いの店で生活することにしたのだそうだ。

この日、人々が橋が持ち上げられて大騒ぎしている様子をよそ目に店先で靴を洗い、淡々と自分の日常を営んでいるペさんの姿は人生を達観しているようでもあった。

ペさんの 「소문난 대구점집」 と同じ建物には、現存する残り3軒の占い店が入っている。1階の並びに 「장미화 점집」 と 「소문난 철학관」 の2軒(▼)。


そして2階部分に 「목화 철학관」。2階部分では男性占い師が座っているのが見えていた(▼)。



占いの建物横の細い階段を上がると、そこも大勢の人・人・人。橋の上から見た占いの店4軒が入る建物(▼)。


つづく  

2013年12月17日

47年ぶりに上がった橋 2

つづき

定刻の12時が近づくと 「間もなく跳開が始まりますので遮断機の外に出てください」 というアナウンスが流れた。遮断機のそばには係員が待機していた。ちょうどもう間もなく跳開が始まるという時になって橋の向こう側に行こうと(?)走り出した中年男性がいたのだが、若い係員に追いかけられ引き戻されていた。

やがて12時になるとスピーカーから演歌調の歌が流れ、まず紅白のしま模様のバーが折り、続いて遮断機が下りた。遮断機のペンペンペン・・・という音も。

そしてゆっくりと橋桁が上がっていった。



以前聞いたところでは、橋桁を持ち上げるのに2分、下ろすのに2分かかるとのことだったが、実際には持ち上げるだけで4分以上かかっていた。



影島側の橋の端(▼)。


思っていたよりゆっくり、ゆっくりと持ち上がった。多くの人がその様子を撮影していた。使っているのは、立派な一眼レフのカメラかスマホだ。コンデジを使っている韓国人はほとんど見かけない。


そして上がりきるとすぐ、ゆっくりと橋は下りてきた。遮断機が上げられ、車や人の通行が再開されるまで15分弱だった。



見物に集まっていた人々の中には、47年前までの跳開を見たことがある人もけっこういたようだ。私の隣にいたおばあさんも、橋が上がるのを見て 「あー上がった、上がった」 と感慨深そうな様子だった。



つづく  

2013年12月16日

復元された影島大橋 1

2007年から復元工事中だった影島(ヨンド)大橋が今年11月27日、工事を終え開通した。

釜山市中区と影島区を結ぶ影島大橋は、日本統治時代の1934年11月23日に開通した。当時、韓国初・唯一の跳開式橋梁として大きな話題となり、1日7回橋桁が持ち上げられる様子を一目見ようと、全国から大勢の人々が訪れたそうだ。釜山の人口が約15万人だった当時、開通日には約5~6万人の人が押し寄せたというから相当なものだ。

その後影島大橋は、1950年に勃発した朝鮮戦争の動乱期には、避難民が生き別れた家族を探す場として知られ、橋の欄干には家族を探す張り紙がたくさん貼り付けられていたそう。張り紙を手がかりに家族を探す避難民の姿が思い浮かぶようだ。橋は、歌や映画のモチーフとしても使われた。

しかし、30年近くその役目を果たしてきた跳開橋も、1966年9月1日に跳開機能は停止した。橋桁を持ち上げるたびに周囲の交通渋滞がひどくなったことや、また影島区の上水道管埋設にも支障をきたすということが理由だ。

跳開機能は停止したもののその後も橋としては存続していたが、2000年代に入り老朽化が指摘されるようになる。橋を撤去し近代的な橋に架け替えるべきだという声や、思い出と愛着のある橋を復元して架け替えるべきだという声が上がった。

結局、釜山市は2006年11月に影島大橋を市の指定文化財として保存することに決定し、2007年7月から民間施行者であるロッテが1,000億ウォンの事業費を負担して復元工事に入った。

その復元工事がこのたび完了。これまで4車線だった橋(総延長215m、幅18.3m)は幅を7m広げて6車線となり、跳開機能も復元され橋桁は75度まで持ち上げられるよう設計された。

11月27日の開通日には、79年前の開通当時と同じく、47年ぶりに橋桁が持ち上げられるのを見ようと大勢の人々が集まった。

開通日以降、橋桁は毎日12時から約15分間持ち上げられるとのこと。跳開中はもちろん人も車も通行止め。市内バスも通っているが、一部はその時間帯、隣の釜山大橋へ迂回するそうだ。

週末は人が多そうなので、平日(12月3日)に私も橋の跳開を見に行ってみた。少し早めに到着したので、12時の跳開の前に近くのビルから橋の全景を(▼)手前が中区側、向こうが影島区側。


路面には釜山市の鳥・カルメギ(カモメ)のイラストが描かれている。橋の両端のオレンジ色の三角形に見えるのは、橋桁を持ち上げる歯車。その手前、橋をまたぐように設置されているのは跳開中、人や車の進入を防ぐ遮断機(▼)。


橋のたもとへ。橋の名前は漢字で 「影島大橋」 と書かれている(▼)。橋の周辺には同じぜっけんをつけたツアー客らしき人が大勢集まっていた。


「影島大橋」 と書かれた石柱のすぐ横にある細い階段を降りて行くと、跳開の様子が間近で見られる(▼)。橋の工事は終わっているが、橋のすぐそばの海上では何か工事をやっているようだった。船上のクレーンを使って作業していた。


写真左の白い板で覆われた部分が、跳開の歯車の機械室のようだ(▼)。


この部分が持ち上がる(▼)。橋上には影島側にも遮断機が設置されている。


影島側の遮断機のそばにも、跳開を間近で見ようと大勢の人が待機していた(▼)。


中区側にも大勢の人。平日だからそれほど人が多くないかと思ったが、予想外に混雑していた。跳開10分前の様子(▼)。橋の上(遮断機の外)にも人がぎっしり。


つづく