2012年07月09日

影島遊撃部隊とアジサイ 6

つづき

大雄殿横の山道を入っていくと、ほどなく 「6・25参戦遺跡碑入口」 という石碑と階段が見えた(▼)。「6・25(ユギオ)」 というのは朝鮮戦争のこと。1950年6月25日に勃発したことからそう呼ばれる。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

階段を上がったところには、「6・25影島遊撃部隊遺跡址碑」、「無名勇士碑」、「影島遊撃部隊先烈同志追念碑」、「海上隊遊撃作戦図」、「遊撃拠点配置状況図」 などの碑がずらりと並び、花が供えられていた。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

朝鮮戦争当時、「도깨비(トッケビ)」(お化け、小鬼)、「산돼지(サンテジ)」(イノシシ)と呼ばれ、北朝鮮軍をほんろうした影島(ヨンド)遊撃部隊。ここには遊撃隊員900人の手足の爪や髪の毛が埋められている。

ヨンド遊撃部隊はハン・チョルミン隊長を中心に、1950年11月にヨンドで創設された。軍番も階級も関係なく、ただ祖国の統一だけを願って志願した部隊員は約1,200人。しかし、手足の爪や髪の毛を練兵場に埋めて、北へと向かった約900人の隊員のうち、生きて戻ってきた約40人を含む生存者はわずか200人だった。非正規特殊部隊だった遊撃部隊は、停戦後、国連軍によって強制的に解散させられた。

「お化け部隊」という異名を持つヨンド遊撃隊は、創設後1年にもならない1951年までに、公式的に4,800人の敵を射殺あるいは生け捕りにした。確保した武器や主要文書は1,800点、軍事施設・整備の破壊は855点。これらは書類に残っている記録で、非公式的に残した戦果は数えきれないとされる。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

ヨンド遊撃部隊の英霊は、アジサイが満開のテジョンサ(太宗寺)のそばで静かに眠っていた。

「6・25参戦遺跡碑」 の先にも山道は続いていて、先の方でテジョンデの周回道路に合流しているようだったが、もう1度アジサイを見ておきたくて私たちはテジョンサの方へ戻った。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

影島遊撃部隊とアジサイ 6

影島遊撃部隊とアジサイ 6

影島遊撃部隊とアジサイ 6

影島遊撃部隊とアジサイ 6

影島遊撃部隊とアジサイ 6

テジョンサの入口近くにあった池(▼)。金魚がたくさん泳いでいた。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

立ち去りがたく、テジョンサを出るときもう1度振り返ってアジサイを見おさめ。いつまでも見ていたいようなアジサイだった。

影島遊撃部隊とアジサイ 6

つづく


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