第2の王宮 「昌徳宮」 12
つづき
さて私たちは、仁寺洞を後にして창덕궁(昌徳宮=チャンドックン)へ向かった。日本語の解説つきの 「後苑」 特別観覧コースに参加するためだ。昌徳宮正門の 「둔화문(敦化門=トゥンファムン)」のそばにチケット売り場があり、そこで入場券を購入。昌徳宮の一般観覧コースは3,000wで、後苑の特別観覧は5,000w(後苑の特別観覧だけでも、一般観覧のチケットも購入)。
事前に調べていた情報では、後苑観覧のチケットはここではなく後苑近くにある別のチケットブースで買うとのことだったが、実際にはここで両方一度に買えた。
後苑観覧コースは韓国語・日本語・英語・中国での解説つきで、日本語は1日2回(10:30と14:30)。予約なしでも定員(50人)に余裕があれば現地で直接チケットを買うこともできるが、私たちは念のためネット予約しておいた。14:30に後苑入口で集合とのことなので、それまでは昌徳宮の一般観覧エリアを自由に見学。
昌徳宮は1405年に朝鮮王朝第3代王・太宗(テジョン)が建てた王朝第2の王宮。もとは法宮(王が居住する宮廷)である 「景福宮」 に対し、離宮として建てられたが、その後の王たちは昌徳宮で居住することもあり、離宮としても法宮としても使われた。
敦化門(▼)は1412年に建てられた。当時の門は文禄・慶長の役のときに全焼。現在の門は1609年に再建されたもの。当時、敦化門は王の行列など儀礼を執り行うときの出入口として使われ、臣下たちは敦化門の西側にある小さな門 「金虎門」 から出入りした。
敦化門の屋根の端にも、魔よけの置物が取り付けられている。
敦化門をくぐってまっすぐ進むとやがて右手に錦川橋(▼)がある。現在、ソウルに残っている最も古い石橋。昔から宮廷は、敷地内に入る際、明堂水(ミョンダンス=吉とする場所を流れる水)を渡るような造りになっており、明堂水は宮廷の内と外を分ける役割をすることから 「禁川」 と呼ばれた。1411年、禁川に架けられたのがこの橋で、錦のようにきれいな小川に架けた橋ということから錦川橋と呼ばれるようになった。
錦川橋を渡ったところにあるのが 「進善門」(▲)。
進善門をくぐったところ(▼)。正面にあるのが 「粛章門」、左手に見えるのが 「仁政門」。
仁政門内部にあるのが昌徳宮の王殿 「仁政殿」(▼)。1405年の昌徳宮創建とともに建てられ、王の即位式や臣下たちの挨拶、外国使臣の接見など、重要な国家の儀式を行っていたところ。文禄・慶長の役で焼失したものを1610年に再建、さらに1803年に焼失し翌年修復して現在に至っている。建物の前の空間は、儀式を執り行う庭 「朝廷」。
仁政殿内部(▼)。外から見ると2階建だが、内部は吹き抜けになっている。もともと床には土を焼いて作った伝統磚(石床)が敷かれていたが、現在はただの床になっている。電灯やカーテン、ガラス窓などは1908年に西洋式に改造したもの。映画 『光海(クァンヘ)、王になった男』 のシーンを思い出す。
仁政殿前に立って、仁政門方面を見たところ(▼)。当時の王はこういう光景を見ていたのかと。
仁政殿の裏手にある階段式庭園(▼)。
つづく
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