心づくしのおもてなし

dilbelau

2012年10月26日 08:47

先日、韓国人の友人ご夫妻から、夕食に招待していただいた。友人といっても、ご夫妻とも70~80歳代。人生の大先輩だ。私たちと同じアパート群にお住まいで、数年前、鄭戊錬先生の日本語教室で初めて知り合った。お2人ともとてもきれいな日本語を話される。

家が近いこともあり、ずっと前から何度も 「いつか家に招待したいんだけど」 とおっしゃってくださっていた。数年前に一度、日時まで約束したのだが、何かの都合でダメになったことがあった。

それ以来、顔を合わせるたびにそうおっしゃってくれていたのだが、奥様もボランティア活動やシルバー大学の講師など幅広く活動され、お忙しいご様子。なかなか実現できずにいた。

それが先日、ようやく実現した。「特別なものじゃなく普段の食事だけど、楽しく食べておしゃべりしましょう」 と。約束の時間に夫と2人でうかがうと、笑顔で出迎えてくださった。すでにテーブルにはおいしそうな料理の数々が並んでいる。ご主人とは夫も私も初対面。ご挨拶を済ませ、早速、食卓を囲んだ。

左上から時計回りに、전=ジョン(野菜や魚、豆腐などに卵の衣をつけて焼く料理)、野菜とリンゴのサラダ、チャプチェ、プルコギ(▼)。



上から時計回りに、白菜キムチ、닭찜=タッチム(鶏肉と野菜の煮込み)、빈대떡=ピンデトッ(緑豆の粉を使った生地をお好み焼きのように焼いたもの)(▼)。



他にも豆類を炊き込んだご飯や、곰탕=コムタン(牛の肉・内臓などを煮込んだスープ)なども。もちろんどれも奥様手作りの料理。どれも非常においしくつい食べ過ぎてしまうほど。私たちが日本人なので、なるべく辛くないものをとメニューを選んでくださったようだ。

ご夫妻は、このアパートが建てられた約30年前に入居されたそうだ。キッチンの窓からは広安里(クァンアルリ)の海やビーチ・橋が一望できる。今ではホテルや飲食店、カフェなどが賑やかに立ち並ぶ広安里だが、30年前当時は 「本当に何もなかったですよ。ただ海があるだけ。本当に変わりました」 とご主人が懐かしそうに当時を振り返る。

そうだろう。私たちがここで暮らし始めた2008年からの5年弱でも、釜山はたくさん変化があった。30年前と比べれば、さぞ大きな変化だろう。そして釜山は今も変化し続けている。このアパート群のあるエリアも、3年後には再開発される予定になっている。10年後、このあたりがどんな姿になっているか、想像もつかない。

心のこもったおいしい食事をいただいたら、リビングに移動してデザートをいただく。奥様が毎週、日本語の講師を務められているシルバー大学の話や、日本やアメリカに留学中の孫娘さんのことなど、話題は尽きない。シルバー大学では、よく知られている韓国の歌に日本語訳をつけてみんなで歌ってみたりと、受講生が楽しく日本語を学べるよういろいろ工夫されているそうだ。

大きくてみずみずしい梨をいただきながら、ひとしきりおしゃべりを楽しんだ。それにしてもお2人とも、本当に美しい日本語を話される。発音も自然だが、使う言葉そのものが上品だ。昔、日本の植民地時代に習ったとのことだが、子どもの頃に習った日本語を、よくぞここまで維持することがおできになるなと感服する。子どもは外国語を習得するのも早いが、日ごろ使わないと忘れてしまうのも早いと聞く。ご夫妻も、日本人との交流もあり、今も時々日本語を使うとはいえ、何十年経ってもここまで流暢に話されるとは驚きだ。

さて、そろそろおいとましましょうと、せめて洗い物の手伝いでもと思ったが、「いいの、いいの。大丈夫だから」 と。たくさんご馳走になって後片付けもせずに帰るのは申し訳なかったが、今回はお言葉に甘えることにした。

しかも帰りにお土産も持たせてくださった。これも奥様手作りの약식(ヤクシッ)。はちみつや黒砂糖、ごま油、醤油、栗、ナツメなどを入れて炊いたおこわ。약밥(ヤクパッ)とも言う。「お友だちに教わったレシピで作ったの」 とのこと。



翌朝、早速いただいたが非常においしかった。甘すぎず適度な塩気もあり、絶妙の味加減だ。



帰り際、「また遊びに来てください。ご近所だから、時々こうやってご飯食べながらお話しましょう」 と笑顔で見送ってくださった。おいしい料理でおなかいっぱい、お2人のご好意で胸いっぱいの夜だった。

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