キムチ食べてマッコルリ飲んで 2

dilbelau

2011年10月21日 08:57

つづき

長さ100mの綱を、500人の人々が 「東軍」 と 「西軍」 に分かれて引っ張りあう・・・はずなのだが、綱の位置を調整したりしているばかりで、期待していた豪快な引っ張りあいはなかなか始まらない。

実際に引っ張り合いをする前に、いろいろな段階を踏むのだそうだ。まず綱を所定の位置まで移動させ、豊年を祈願する고사(コサ=祭祀)を行い、東軍・西軍それぞれが気勢をあげ、ピニョモクの皮を食べ、東莱野遊の公演があり・・・と、大綱引きが始まってから終わるまで3時間30分ぐらいかかるそうだ。東莱野遊の衣装をつけ伝統楽器を持った人々(▼)。



綱のそばには、マッコルリとキムチを並べたテーブルがいくつか設置されている。見物客も自由に飲んだり食べたりできる。



もうしばらく待っていれば、豪快な引っ張りあいが始まったのだろうが、進行はかなりのんびりペース。適当なところで引き上げることにした。





当時の東亜日報の報道によると、日本統治下の1922年正月15日、釜山鎮で開かれた綱引きには、約6万人という当時の釜山の人口のうち、実に2万人もが参加したのだそうだ。

当時の釜山の人口の3分の1が参加したというのだから、それはそれは大賑わいだっただろう。この日も多くの人が秋晴れのもと、祭りの華やかな雰囲気を楽しんでいるようだった。

ちなみに2010年の人口住宅総調査によると、現在の釜山の人口は341万5000人(350万を下回ったのは25年ぶり)。当時の60倍近い数字だ。朝鮮戦争(1950~53)のときに多くの避難民が釜山に押し寄せ、爆発的に増えたのだ。

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