東莱の大綱引き 1

dilbelau

2011年10月20日 21:19

おいしい昼食でおなかがいっぱいになった(なり過ぎた)私たち。腹ごなしを兼ねて허심청(虚心庁=ホシムチョン)方面へ。虚心庁は、大きな湯船が印象的なチムジルバン併設の銭湯だ。

東莱は昔から温泉地として栄えていた。日本が統治していた時代、大勢の日本人が温泉を楽しむため東莱を訪れたのだそう。昔は東莱が釜山の中心地だった。

やがて大綱引きの会場付近に到着。少し離れたところから、賑やかなマイクの声が聞こえてくる。会場付近は交通規制されているので、周辺の道路は少々混雑している。

大綱引き大会は13時から16時半ごろまで、この日8日と翌9日の両日行われているとのこと。私たちが到着したのは14時頃。すでに大勢の見物客で人だかりができていた。虚心庁と (農心=ノンシム)ホテルの間の道路で行われていた。



東莱の大綱引き大会の由来は、三国時代にさかのぼる。もとは当時、豊年を祈願する農耕社会の儀礼的行事だった。毎年正月15日の前後3日間に行われていたが、日本統治下の1930年中ごろに中断。その後1969年、1984年、1996年の3回再現されたそうだ。

東莱大綱引きで使われる縄は、一般的に 「綱引き」 と聞いて連想する1本の縄ではない。2本の太い綱(雌綱と雄綱)を中央で組み合わせる。雌綱(암줄)の輪の部分(▼)に雄綱(숫줄)を通し、비녀목(ピニョモク)という太い木をかんぬきのように挿して、2本の綱を連結する。





ちなみにこのピニョモクの皮をむいて食べると、子宝に恵まれたり男の子を授かったりするという俗説があるそうだ。

雌綱も雄綱もそれぞれ3本の綱に分かれている。3本の太い綱からは握りやすい太さの綱がたくさん出ていて、それを東軍・西軍に分かれて、それぞれ250人の人々が引っ張り合う(▼)。



この綱は、長さ250mの縄2000本をよることで作られた長さ100mの大綱で、韓国でもこういう綱を使うのは東莱だけだそうだ(他に아산(牙山=アサン)の1筋縄、양산(梁山=ヤンサン)の2筋縄が有名)。

つづく

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