韓国の哨戒艦 『天安』 が、白翎島付近で沈没した3月26日から今日でちょうど1ヶ月。
この1ヶ月間、真っ二つに折れてしまった艦体の艦尾部分と艦首部分の引き揚げ作業、行方不明将兵46名の捜索活動、またそれらと平行して事故原因の究明活動などが、総力を挙げて行なわれてきた。
乗組員104名中幸い58名は無事救助されたが、46名という多くの命が無残にも失われてしまった。そのほとんどが20代や30代という若い命。そのうち6名は懸命の捜索も空しく、とうとう遺体さえ発見されないままだ。
46名のご遺族の胸中は、察するに余りある。テレビでも 「아이고(アイゴー)」 と慟哭しながら胸を叩き、泣き崩れるご遺族の姿が何度も映し出されていた。
また、幸いにも救助された58名の将兵たちも、ともに過ごしていた仲間たちの多くが亡くなってしまったという現実に、その心に受けた傷は計り知れない。
艦首内の遺体捜索作業が終了し、未発見の6名の将兵たちも 「산화자(散華者)」 として、他の40名の将兵たちと同じく 「戦死」 扱いで昨日25日より軍葬礼が始まった。葬礼は5日間執り行われる 「5日葬」 で、この5日間は 「国家哀悼期間」 とされた。また、5日目の29日には告別式が行なわれる予定で、この日は 「国家哀悼の日」 と定められたそうだ。
事故原因は、”水中でバブルジェット魚雷(重魚雷)が爆発したことによるもの” と今のところ暫定報告がなされている。魚雷が直接哨戒艦に命中して爆発したのではなく、哨戒艦に近い海中で爆発しその衝撃で艦体が大きく破損したとみられている。
現在も民軍合同調査団による詳しい調査が行なわれており、最終的な結論が出たら、六者会合に参加している国々(ロシア・中国・日本)にも公式に説明した後、協調要請をする予定だそうだ。(アメリカはすでに調査団に参加している)
さて、葬礼が始まった昨日より、ソウル広場をはじめとする全国39ヶ所に焼香所が設けられているとのこと(告別式が行なわれる29日まで、毎日午前6時から夜中0時まで)。私も釜山駅前広場に設けられている焼香所へと向かった。
月曜日の午前9時過ぎという時間帯は、会社員ならすでに勤務時間が始まっているからか、焼香所には思ったより人影はまばら。釜山駅の建物を背にするように設置されている焼香所には、犠牲将兵たち46名の遺影と位牌が並べられ、その前には焼香台が一つ。
正面向かって左右に1つずつ、記帳をするテントが設置されている。そこで記帳すると 「謹弔」 と白い文字で書かれた黒いリボンを渡され、胸につける。記帳した私の名前を見て日本人だと気がついた受付の人は、「ありがとう」 と日本語で返してくれた。
記帳が終わるとその並びにあるテントで、献花用の白い菊を1本手渡され、焼香台へと進む。
テレビやインターネットニュースでは、もう何度も目にしたこの46名の将兵たちの遺影だが、実際に目の前にするとあらためてのその数の多さに胸が凍りつき、足がすくむ。写真の上部には 「故・『天安』 の46勇士 大韓民国はあなたを永遠に忘れません」 と書かれてある。
まず白菊を献花し、焼香、続いて両手を合わせて犠牲者たちのご冥福を祈る。
韓国でのこういった献花・焼香といえば、昨年5月23日に亡くなった、ノ・ムヒョン前大統領の生家があった 「
봉하마을(烽下村)」 でのそれに続いて、私にとっては2度目。しかし、これほど多くの遺影を前に献花・焼香するのは初めてのことだ。
焼香台に前に立ち、端から端までそれぞれの遺影を見ようとすると、首を完全に左右に向けなければならない。こんなに大勢の人の遺影を前に手を合わせるなど、これほど辛く切ないことはない。しかも、どの遺影のお顔もまだ若く、中には ”あどけない” という表現が合うぐらいのまだ本当に若いお顔もあり、涙が出てくる。
どれほど無念だったろうか。
故人とは一面識もない私でさえこのような胸の痛みを感じるというのに、そのご遺族たち・友人たちの心中を思うと絶句する。
これら46名の将兵たちは、全員1階級特進し、「화랑武功勲章」 が追叙されることが決まったそうだ。
しかし今となっては、特進しようが勲章が与えられようが、また事故原因が究明されようが、もう故人は戻ってこないのだという現実は変わらない。
絶望のどん底に突き落とされたご遺族の方々の心の暗闇に、いつの日か一筋の希望の光が差し込むことを願い、あらためて故人のご冥福を心よりお祈りします。