'09.12.13(日)小学4年生でベートーベン

dilbelau

2009年12月13日 09:17

つづき

このエデン公園内には、運動器具が本当にたくさんある。先ほどの広場のようなところにもたくさんあり、また遊歩道沿いにもところどころに簡単な器具が、使い方の説明書きと共に設置されている。これは懸垂棒(↓↓)。

木々の向こう、遠くに見えているのは 「東亜大学」 の建物。この大学も、釜山にあるほぼ全ての大学(釜慶大以外)と同じく、山の急な斜面に沿って建物が上の方まで建てられている。



また、ゲートボール場や、バスケットのゴールも。



この公園内の遊歩道を歩き、たくさんの運動器具を利用して一日運動すればかなりの運動量になるだろう。実際、器具を使って運動している人よりも、遊歩道を黙々と(おそらくは何周も)歩いてる人たちの方が多かった。ここなら車も来ないので安心して歩けるし、おいしい空気の中で運動できるので気持ちがいいだろう。

あちこち枝分かれしている遊歩道を歩いていると、ある石碑を見かけた。



「오태균음악비(吳泰均 音楽碑)」 と書いてあり、土台の部分には五線譜と音符が刻まれている。楽譜は、ベートーベンの交響曲第5番 『運命』 のもののようだ。

はて、오태균(吳泰均=オ・テギュン=1933-1995)という人は一体どんな人なのか、そのときは分からなかったので帰宅後調べてみると、釜山交響楽運動の先駆者なのだそうだ。

釜山交響楽団の創始者であり、常任指揮者であった彼は忠清南道の조치원(鳥致院)で生まれ、西洋音楽に興味を持ち始めた小学4年生のとき、地元のレコード店でベートーベンの交響曲 『運命』 を借りてきて聴くようになってからだったそうだ。小学4年生にして 『運命』 に惹きつけられたとは・・・。

その後、ソウルで活動した時代、朝鮮戦争(1950~1953)時代を経て、釜山で室内楽団を発足させ(第一バイオリン奏者として)、その後 釜山大交響楽団、釜山交響楽団と、さまざまな活躍の場を広げていったそうだ。

この碑の先にもまだ遊歩道が続くのだが、その先で不思議な空間に出くわしたのだった。

つづく

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