2007年から復元工事中だった影島(ヨンド)大橋が今年11月27日、工事を終え開通した。
釜山市中区と影島区を結ぶ影島大橋は、日本統治時代の1934年11月23日に開通した。当時、韓国初・唯一の跳開式橋梁として大きな話題となり、1日7回橋桁が持ち上げられる様子を一目見ようと、全国から大勢の人々が訪れたそうだ。釜山の人口が約15万人だった当時、開通日には約5~6万人の人が押し寄せたというから相当なものだ。
その後影島大橋は、1950年に勃発した朝鮮戦争の動乱期には、避難民が生き別れた家族を探す場として知られ、橋の欄干には家族を探す張り紙がたくさん貼り付けられていたそう。張り紙を手がかりに家族を探す避難民の姿が思い浮かぶようだ。橋は、歌や映画のモチーフとしても使われた。
しかし、30年近くその役目を果たしてきた跳開橋も、1966年9月1日に跳開機能は停止した。橋桁を持ち上げるたびに周囲の交通渋滞がひどくなったことや、また影島区の上水道管埋設にも支障をきたすということが理由だ。
跳開機能は停止したもののその後も橋としては存続していたが、2000年代に入り老朽化が指摘されるようになる。橋を撤去し近代的な橋に架け替えるべきだという声や、思い出と愛着のある橋を復元して架け替えるべきだという声が上がった。
結局、釜山市は2006年11月に影島大橋を市の指定文化財として保存することに決定し、2007年7月から民間施行者であるロッテが1,000億ウォンの事業費を負担して復元工事に入った。
その復元工事がこのたび完了。これまで4車線だった橋(総延長215m、幅18.3m)は幅を7m広げて6車線となり、跳開機能も復元され橋桁は75度まで持ち上げられるよう設計された。
11月27日の開通日には、79年前の開通当時と同じく、47年ぶりに橋桁が持ち上げられるのを見ようと大勢の人々が集まった。
開通日以降、橋桁は毎日12時から約15分間持ち上げられるとのこと。跳開中はもちろん人も車も通行止め。市内バスも通っているが、一部はその時間帯、隣の釜山大橋へ迂回するそうだ。
週末は人が多そうなので、平日(12月3日)に私も橋の跳開を見に行ってみた。少し早めに到着したので、12時の跳開の前に近くのビルから橋の全景を(▼)手前が中区側、向こうが影島区側。
路面には釜山市の鳥・カルメギ(カモメ)のイラストが描かれている。橋の両端のオレンジ色の三角形に見えるのは、橋桁を持ち上げる歯車。その手前、橋をまたぐように設置されているのは跳開中、人や車の進入を防ぐ遮断機(▼)。
橋のたもとへ。橋の名前は漢字で 「影島大橋」 と書かれている(▼)。橋の周辺には同じぜっけんをつけたツアー客らしき人が大勢集まっていた。
「影島大橋」 と書かれた石柱のすぐ横にある細い階段を降りて行くと、跳開の様子が間近で見られる(▼)。橋の工事は終わっているが、橋のすぐそばの海上では何か工事をやっているようだった。船上のクレーンを使って作業していた。
写真左の白い板で覆われた部分が、跳開の歯車の機械室のようだ(▼)。
この部分が持ち上がる(▼)。橋上には影島側にも遮断機が設置されている。
影島側の遮断機のそばにも、跳開を間近で見ようと大勢の人が待機していた(▼)。
中区側にも大勢の人。平日だからそれほど人が多くないかと思ったが、予想外に混雑していた。跳開10分前の様子(▼)。橋の上(遮断機の外)にも人がぎっしり。
つづく