大好きなオンニへ
1月から新聞社で働くようになって、昼間家にいる時間が以前より減って、最近ではオンニとお茶を飲みながらおしゃべりする機会も随分少なくなってましたね。
あの朝、出勤の準備をしていると久しぶりに聞き慣れたオンニのノックの音。「また何かおいしいおかずでもくださるのかな」 なんてのんきにドアを開けたけど、そうじゃなかった。
「引っ越すの。今日・・・」
耳を疑いました。
「前もって話できなくてごめんね。今までいろいろありがとうね。」
「今までいろいろありがとう」 なんて、オンニ、それは私のセリフです。いろいろ言いたいことは山ほどあったのだけど、「じゃあ今日私が仕事から帰ってきたらオンニはもういないんだ・・・」 と思うと涙が出てきて、のどが詰まって何も言えなくなってしまいました。
オンニと初めて出会ったのは、私たちが釜山で暮らし始めて2ヶ月ぐらいのときでした。映画を観に行こうと私と夫がでエレベーターを待っているとき。覚えていますか?オンニは笑顔で挨拶してくれ、「どこに行くの?乗せてってあげる」 と私たちを映画館まで車で乗せて行ってくれましたね。初めて会ったのに、いきなり乗せて行ってくれるなんて・・・と当時は本当にびっくりしました。
そのことがきっかけで、まるで本当の家族のように毎日お互いの家を行き来するようになりましたね。当時、私は韓国語がほとんどできず、最初の頃はオンニが話す内容の2~3割ぐらいしか理解できませんでした。あとは 「カン」 で、こんなことを言ってるんだろうなと想像してました。今思えばオンニも、私のたどたどしい韓国語に辛抱強くよく付き合ってくれたなと思います。
いただいた手作りのおかずやキムチは数知れず・・・。オンニは 「韓国料理もちょっとは覚えたら?」 って時々教えてくれたけど、オンニのおかずはどれもおいしくて、私の中では 「韓国のおかずは自分で作るものじゃなくてオンニにいただくもの」 という認識になっていました。
一緒にヨモギ摘みに行ったり、一緒に白玉だんごを作って食べたり、オンニの通うアクアビクスに連れて行ってもらったり、夏にはビーチで砂蒸しして遊んだり・・・数え切れないほどの楽しい思い出でいっぱいです。
夏と冬に私たちが日本に一時帰国している間、うちの観葉植物の水遣りを快く引き受けてくれましたね。とっても助かりました。そればかりか私の掃除の行き届いていない部分を、留守中何も言わずに掃除してくれていたり。気が付いてお礼を言うと 「あなたは忙しいけど私は時間があるからね」 なんて。それに日本から釜山に戻ってきた日には、「冷蔵庫空っぽでしょ」 とおかずを差し入れてくれたり。オンニのさりげない心遣いは本当にありがたかったです。
感謝の気持ちは言葉では言い表せません。
オンニとご主人も私たちより1ヶ月ぐらい後に、このアパートに引っ越してこられたのでしたね。オンニたちが私たちの2軒隣の部屋に引っ越してこられたのは、私たちにとっては本当に幸運な偶然でした。
困ったことや分からないことは何でも相談し、オンニたちのおかげで釜山での生活に自然に適応していくことができました。
「日本がキライだという人はたくさんいるのかな」 「日本人だという理由で、何かイヤな思いをするかもしれない」・・・釜山に来る前はそういう心配も多少していたけれど、オンニのおかげでそんな心配も吹き飛びました。
以前、オンニのことを他の韓国人の友だちに話したら、「その人(オンニ)は民間外交員ね」 って言ってました。本当にその通り。私にとっての韓国や韓国人は、私の身の回りの、私の目や耳や身体を通して、私の視線で見て私の肌で感じる韓国や韓国人。オンニと付き合っていく中で、韓国人の素晴らしいところをたくさん感じました。びっくりすることもたまにはあったけど、これが日本人と韓国人の違いなのかなとどんなことでも自然に受け入れられました。
オンニという存在があったのとなかったのとでは、私たちの釜山生活は天と地ほどの差があったと思います。
オンニとさよならするのは、私たちがいつか日本に帰国するときだと思っていたのに。こんな形で突然別れが来るとは夢にも思っていませんでした。
とは言っても引っ越し先は、ここから車で10分ぐらい、歩いてでもいける距離のところ。訪ねていこうと思えばいつでも会いに行けますね。引っ越しの荷物が片付いた頃に遊びに行きますね。
あの日、夕方帰宅してオンニがいた部屋の前に行ってみたら、窓のカーテンも外されて、少し開けてある窓から中をうかがうと当たり前だけどすっからかんになっていました。行っちゃったんですね。きっと、事前に引っ越すことを話せば私に気を使わせるだろうと思って、直前まで話さなかったのですね。
オンニ、今まで本当にありがとう。
オンニと出会えたことは、釜山での生活の中で一番の財産です。
いつまでもご夫婦仲良く、お元気で・・・。
M