'09.10.31(土)研究室

dilbelau

2009年10月31日 14:15

つづき



館内で上映されるビデオによると、韓国人の父と日本人の母の間に生まれた禹長春(우장춘)さんは、幼少時、家庭の厳しい経済状況のため、一時期施設に預けられていたそうだ。

施設内では、朝鮮人だとからかわれることもあったが、それに屈することなく自分は朝鮮人であるという姿勢を貫きとおしたのだそうだ。

また、学業に秀でていて成績も抜群によかった彼は、大学の工学部への進学を望んだが、朝鮮人であるということを理由に入学が許されなかったのだそうだ。そのため、工学部ではなく東京帝国大学の農学部へ進学し、結果的にその道でも才能が開け、論文「種の合成」により農学博士号を取得したのだそうだ。

もし希望通り工学部へ進んでいたとしたら、勿論その道でも活躍していただろうが、その後の韓国の窮状を救い 「韓国近代農業の父」 とたたえられるような農学上での活躍は恐らくなかったであろう。

↓↓ 彼の研究室の様子。
顕微鏡やたくさんのプレパラート、黒電話などが見える。



↓↓ 直筆の原稿。



↓↓ 1階展示室。



↓↓ 2階展示室にも、たくさんの写真パネルや、



↓↓ 彼が研究していた 「種の合成」 の理論などが、図解・模型などを用いて説明されている。



つづく

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