'09.5.26(火)なぜ「七」光りなのか??

dilbelau

2009年05月26日 17:23

毎週月曜日に開かれている、鄭戊錬先生の勉強会。
日本語を勉強している韓国人が20人弱集まり、日本語で書かれた小説などを読みながら日本語の勉強をするもの。

現在読んでいるのは、木村治美さんの 『心をこめて家族の時間』 というエッセイ。

その中に 「親の七光りを期待できるひとのみに…」 というくだりがあった。
鄭先生が、親の七光りというのはどういう意味か説明され、皆さん納得されたかのようだったが、ふとある方が、

「先生、親の七光りの意味は分かりましたが、じゃあどうして 「七」 光りなんですか?」

これには一同首をかしげる。
私も首をかしげる。今までそんなこと、考えてみたこともなかった。

鄭先生がその語源を調べてくださっている間、参加者たちは

「親が100%だとしたら子供は70%程度だってことじゃないの?」

「仏像の後光の数と関係あるんじゃない?」

「虹も七色だから、それと何か関係があるとか?」

「でも虹の色の数って世界共通じゃないんだってよ。え?日本も7色?韓国と同じね。でもアメリカじゃあ6色なんだって。」

「へぇ~、何色が抜けてるの?」

「藍色だって」

など、銘々いろいろな推理をしている。
しかし、結局その場でははっきり分からなかったので、帰宅後調べてみると、

『三省堂「大辞林第二版」によりますと「七は大きな数として使う」と出ています。
要するに「大きな・偉大な」という意味で使われただけで、七つ何か意味があるというのではないようです。』

とのこと。
なるほど~。

さらにもう一つ。

同じエッセイの中の、今度は 「何の先生になるかは二の次で、…」 というくだり。

先ほどの 「七光り」 の質問の方とは違う方が、

「先生、『二の次』 が 『二番目、後回し』 だという意味なのは分かりましたが、例えばこの 『二』 を他の数字に変えて使うことはできますか? 『一の次』 とか 『三の次』 とか…」

これはNOだということは私にも分かる。
だが、なぜ 『二』 の次なのか。ついでに調べてみると、

『三省堂「新明解国語辞典」によると、この場合の「の」は同格を示す』

のだそうだ。

例えば、「昼食の(=である)カレーライス」、「部下の(=である)佐藤さん」 などのように、「二の次」 は 「2(番目)である次」=つまり 「2番目」 ということらしい。

なるほど。

これらの言葉を何の疑問も感じずに使っていた 日本語母語話者である私には、思いもつかなかった新鮮な疑問。
鄭先生が常々おっしゃる 「人間、死ぬまで勉強ですよ」 というお言葉が頭をよぎった。



鄭戊錬先生のご自宅にある돌하루방(トルハルバン)。

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