今日の韓国語の授業で勉強した文章。
韓国人に多く見られる ”せっかち” な気性と、離散家族問題について書かれてある。
筆者は歴史学者である허구생さん。この教科書を出版している서강大学の国際文化教育院の副院長、경희サイバー大学の社会福祉学科 兼任教授などを歴任されているそうだ。
『離散家族問題はこのままではいけない』
韓国人はどんなことでも、急いで早く結果を求めるという傾向がある。これは韓国の特別な歴史的経験のためではないだろうか。過去100年間韓国は、日帝時代、独立、戦争など多くの困難を経験し、そのたびに 「빨리빨리」 =「速く」 適応して危機を克服してきたためだ。
ところで、このように 「빨리빨리」 (何でも速く、速く)を求める韓国人が、「천천히 천천히」=「ゆっくり、ゆっくり」 と余裕を見せている問題がある。すなわち、戦争のために離れ離れになってしまった 「離散家族」 問題だ。離散家族問題は、世界中で韓国人だけが経験している苦しみである。
考えてみてごらんなさい。愛するお母さんが、お父さんが、だんなさんが、奥さんが、娘が、息子が、一体生きているのか死んでいるのか、どこでどんなふうに暮らしているのかさえ分からない状況が、実に50年以上も続いていることを。そしてそういう人の数が数百万人以上だということを…。
離散家族が発生した最も大きな原因は、6・25戦争(朝鮮戦争)だ。あるお父さんは戦争中、妻や子供に食べさせるための食料を求めようと家を出たが、強制的に軍隊に引っ張っていかれた。避難する途中両親を失って孤児になってしまった子供も、どんなに多かったか。
韓国と北朝鮮にしばらく離れて暮らしていた家族たちが、戦争のため完全に別れてしまい、また、韓国国内にいてもお互いを探し出すことができない家族たちも、非常に多かった。しかし家族たちとの別れが、そんなに長く続くものだとは誰一人として考えてもみなかった。
離散家族問題を解決しようとする努力は、1980年代に韓国でまず成された。韓国の放送局KBSは1963年6月30日、韓国国内で離散家族を探す番組を最初に生放送した。平凡に始まったこの放送は、一瞬で韓国全体を涙の海にした。
(↑↑↑ 1983年KBS放送局スタジオで放送の順番を待ちながら、家族の名前と別れたときの状況が書かれた紙を持っている離散家族。)
6・25戦争のとき家族をなくしたある女性が、一度に7人の親戚と会い、わっと泣き出す場面が放送され、その感動が波のように広がり始めたのだった。初めての放送が流れてからわずか数日の間に、数万人もの人たちが別れた家族を探すため、 汝矣島 (ヨイド)KBSに押し寄せた。
人々は夜通しやって来て、離散家族が再会した場面をテレビで見て、一緒に涙を流した。放送は1983年11月14日まで453時間もの間放映され、10万人を越える再会が成し遂げられた。
(↑↑↑ 1983年KBS放送局の外で、放送の順番がまだ来ない家族たちが、張り紙を見て家族を探す姿。)
1983年に家族と会った人は、それでも運がいい方だった。なぜなら、南と北で別れて暮らす家族は、そんな機会さえないからだ。しかし、幸いにも南北関係が良くなり、韓国と北朝鮮は離散家族問題を本格的に論議し始めた。
その結果、2000年8月15日から18日まで、韓国の離散家族100人がピョンヤンへ、北朝鮮の離散家族100人がソウルにやって来た。50年前に別れた家族たちと会うためだった。
20代で別れた夫婦が、それぞれ違う人と結婚して暮らしていたが、50年ぶりに再会するというケースもあり、まだ一人で暮らしている北朝鮮の妻が、韓国の夫と再会するというケースもあった。痴呆のため、自分のことを誰だか分かってくれない母親を見て、大声で泣いている息子もいた。
この場面を見た、ある外国人記者はこれらの再会を 「残忍な再会」 と表現していた。
(↑↑↑ 2000年離散家族対面の場で、家族に食べ物を食べさせてあげている場面。)
2000年以降から最近2006年6月まで、14回の離散家族の対面が成し遂げられたが、南の場合、わずか1490家族だけが別れた家族と再会することができた。現在生きている離散家族の数は、父母、兄弟、配偶者、子供と別れた場合のみを計算したとしても、100万人程度になると言われる。
1年に1000人の離散家族が再会したとしても、これら全ての家族が再会するためには約1000年程度かかることになる。しかし、大部分の離散家族は高齢であるため、夢でも忘れることができない家族と再会することが叶わぬまま、ひとり、ふたりとこの世を去っていく状況だ。
そうだとしたら、本当におかしなことだ。どんなことでも 「速くしてくれ」 というせっかちな韓国人が、離散家族問題が急を要しているこのときに、なぜこんなにも余裕を見せているのか?ものすごい速さで経済成長を成し遂げた韓国、今はその能力を離散家族問題を解決することに使わねばならないときだ。
(『서강한국어 5A』 より)